第311話 聖女のカウンセリング
「そんなに警戒しないで。ほら、座って!」
警戒心をあらわにするイナリに対し、アリシアは気さくな様子でイナリの両肩を掴み、椅子に座らせた。
「エリスからイナリちゃんの様子を見てほしいって頼まれたから来たんだ。何か、色々あったんだって?」
「まあの。しかし何故お主なのじゃ。エリスはどうしたのじゃ」
「ご期待に添えないようで申し訳ないんだけど、現状イナリちゃんと会えるのは私くらいだよ」
「何故じゃ」
「不本意だと思うけど、今のイナリちゃんは重犯罪人扱いだからさ。あ、もちろん、何があったかはエリスから聞いてるし、私は全然気にしてないよ!」
「何か、そんな言い方をされると白々しく思えるのじゃ。ひとまず、窮屈じゃからこれを外してくれぬか?」
イナリは己の手を縛る拘束具を持ち上げてアリシアに見せた。
「ええーっと……それをすると多分、ここの兵士が一斉にここに押しかけてきちゃうけど」
「じゃあいいのじゃ」
イナリは腕を下げて露骨にため息をついた。
「ごめんね。今の面会も、聖女による罪人の更生のための話し合いっていう体だから」
「聖女というのも随分偉くなったものじゃな。そも、どうせ外に出すつもりも無いのに、更生させて何になるのじゃ」
「少しでも良い心を持って生を終えた方が、命を創りなおす時にアルト神も喜ぶでしょ?」
「……なるほどのう?」
イナリはやや面食らいながら小声で返した。恐らく、死んだ者はアルトが何やかんやして次の生に繋げるというのがこの世界における基本的な死生観なのだろう。
その辺の思想を徹底しているのは流石アルト教の聖女という印象を受けるが……寧ろ、イナリの身近にいるあの神官が外れ値なのかもしれない。
「ま、我には関係ない話じゃな。というか、お主の方は大丈夫なのかや。ほれ、先日、聖地が滅んだじゃろ?」
「ああ、アルテミアの話?確かに驚きはしたし、本当に残念だと思うけど、アルト神が怒るようなことをしたんだから滅ぶべきだったは間違いないよ」
「ん?ああー……そうじゃな?」
想定していた答えと違う上に、仮にも聖地だった場所をバッサリと切り捨てるアリシアにイナリは面食らった。アルト神を絶対的な位置に置いている目の前の聖女は、常識人の皮を被った怪物なのかもしれない。
思えば、かつてこの聖女の前で己が神であると明かしたのも、実はかなり危ない橋を渡っていたのではなかろうか。その考えに至ったイナリは僅かに身震いした。
「ま、そんなことは一旦置いておこう!ずっと牢屋にいて辛かったでしょ?エリスからイナリちゃんのためにおやつを預かってるんだ。本当はダメなんだけど、エリスがどうしてもっていうから……特別だよ?」
「本当かや!?早く出すのじゃ!」
机の上に箱を取り出したアリシアを見て、イナリは尻尾を激しく振りながら身を乗り出した。
「あはは、エリスが言ってた通り、本当に食べるのが好きなんだね。……はい、口開けて」
アリシアは箱から菓子を一つ手に取り、イナリの口に放り込んだ。
「……ああ、美味じゃ……」
「それはよかった。……え、泣くほど?」
「うむ。最後にまともな食事を食べたのは何時のことか……」
「……まさか、ここの兵士はイナリちゃんに食べ物をあげてないの?」
「いや、そうではないのじゃが……とにかく、美味しくないのじゃ。あれは材料に対する冒涜じゃ」
イナリが涙をぽろぽろと流しながら返すと、アリシアは何か一考しておもむろに立ち上がり、イナリを優しく抱きしめた。
「……今は辛いかもしれないけど、皆イナリちゃんを助けるために頑張ってる。私も何か出来ることが無いか考えてみるから……もう少しだけ耐えられる?」
どうやらアリシアの目には今のイナリが相当惨めに見えたらしい。まるで子供をあやすかのような言葉にイナリは僅かに眉をひそめた。己を慮っていることは確からしいが、彼女が内に秘める想いは分からないのだ。
もしかしたら、未だにイナリが神であることを不服に思っていて、ここで「騙されたな、滅べ!」とか叫びながら、突然聖魔法を撃ってくるかもしれない。故にイナリは、声を上げながらアリシアを両手で押し返そうと試みた。
「は、離れるのじゃ!」
「ふふっ、照れちゃってるの?かわいいねえ」
「断じて否じゃ。そも、我はお主の何万倍も長く生きておるのじゃぞ、子ども扱いするでないのじゃ!」
「うんうん、そうだねえ」
アリシアの対応は完全にイナリを子ども扱いしている者のそれだ。いつか、もう一度立場の違いを分からせてやるべきかもしれない。
イナリはそう決意しながら、アリシアに差し出された菓子を啄んだ。
「ところで、ここの兵士に奪われた我の物はどうなっておるのじゃ?お主、わかるかや」
「ええと……多分、何処かに保管されてるはず」
「曖昧な返事じゃな。あと、皆が何をしてるか、具体的に聞いておるかや?」
エリスと神託を通してしばしばやりとりをしているが、イナリに気を遣ってか仔細な情報を中々教えてくれないため、何をしているのかはっきりとわかっていない。
故にイナリが問えば、アリシアはさらに目を泳がせる。
「色々してるのは聞いたんだけど、私、冒険者じゃないからさ。実を言うとあんまりよくわかってないんだ……あはは」
「……お主、何の為にここに来たのじゃ??」
「本当にイナリちゃんの様子を見に来ただけなんだよ、私は……」
イナリの容赦ない言葉にアリシアは項垂れ、そして勢いよく顔を上げた。
「あっ、わかる話もあった!勇者様の話と、意思を失った神官の話と、実験体の女の子の話!」
「ほう?話してみるのじゃ」
「勇者様は街に入れなかったみたい。それと、神官と実験体の子は教会で保護してるんだ」
「それだけかや?他には?」
「……ええと、まあ、そんな感じ」
アリシアは再び目を逸らした。これが普段聖女として振舞っている者の姿で良いのだろうか。
「まあ良い、特に気にする必要はないのじゃ。最近気が滅入ってきていたからの、こうして話せるだけでよい気分転換になっておるのじゃ」
イナリはアリシアを適当に労い、口を開けて次の菓子を待った。
そして、およそ一時間ほどゆったりとした時間を過ごした後、再びイナリは牢屋へ連れ戻された。談話室の装飾が無駄に凝っていたせいもあって、その落差は中々のものである。
だが、精神的に回復した今なら、向かいの牢屋の延々と地面に傷を刻み続けている狂人ですら、凪いだ気持ちで眺めていることができる。何なら、暇つぶしの一環として眺めているのも悪くない。
「皆、何をしておるのかのう?」
イナリは石の壁にもたれ掛かって呟いた。
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