第309話 パワープレイ

 イナリとベイリアは十数分程度に渡って激しい戦いらしき何かを続けたが、イナリのブラストブルーベリーの消費が激しく、風刃を気楽に撃つことも難しくなってきていた。つまり、そろそろこの決闘を締めくくる頃合いだ。


 イナリはベイリアに目配せすると、互いに攻撃を止め、肩で息をしながら向かい合う。


「どうですか。私の強さ、わかって頂けました?」


「ふぅ……。そうじゃな、当初の目的は達成されたであろうし、この辺でよかろう。どうじゃ、お主らから見て、人間はまだ脆弱な存在と呼べるかや?」


 イナリは三人の長の方を見て尋ねる。


「ああ、文句なしだ。狐の君の力を前に無傷でいられるなら、相当な実力者と認めてもいいだろう。以前の争いでは数だけの連中だと思ったが、認識を改めるべきかもしれない。鳥公、犬公、二人もそう思うだろう?」


 イナリ達の期待通りの反応を示すのは羊の長だ。しかし他の二人の意は異なるようで、鳥の長が不満をあらわにする。


「ふうむ……私は少し、納得が行きませんな。お互い小手先の術ばかりで、盛り上がりに欠けます。もっと爪や牙を使った、野性味溢れる、伝統に則った方式のものを期待していましたし、やはり勝ち負けはハッキリさせるべきかと。他の方もそう思うのではありませんか?」


「そうだそうだ!」


「はっきり勝負をつけろ!」


「ふむ。つまりそれは、人間の得意分野を封じ、獣人の得意分野で以て甚振れという話かや」


 長々と文句を垂れる鳥の長とそれに同調する獣人らを一瞥して、イナリはわざとらしくため息をついた。


「……それで勝ったとて、何になるのじゃ?これは、こやつの強さを証明するための戦いなのであるから、勝ち負けを決める必要も無いし、ましてや余計な制限など設けるべきでは無いはずじゃ。それに、卑怯な手を使っては、人間どころか『真の獣の民』全体から軽蔑されてしまうであろう。それは、お主の本意なのかえ?」


「……いえ、そういう訳では」


「それに、盛り上がりに欠けるとは何じゃ。お主、この我の神聖な決闘を娯楽として見ておったのかや。ううむ、それは心外じゃなあ……」


「その、ええと……」


「あーあ、残念じゃなあー!!」


「あの、姉様。その辺にしておいてください」


 そして、イオリの権威を笠に着て煽り散らかしていたイナリは、観衆の頭上を飛び超えてきたパウセルに制止された。ただ、父を助けるというよりかは、獣人の間でのイオリ像にそぐわないイナリの行動を咎める目的であったように見える。


 その様子を見届けたイナリは、ずっと唸り続けている犬の長を見る。


「最後はお主じゃな。どうじゃ、人間の力は信頼に値するかや?」


「……俺たちをを貶めた教会と同じ術を使っているのは忌々しくてたまらないが、実力は認めてやる」


「ふむ。それでは、ひとまずベイリアの目的は達せられたということじゃな」


「本当ですか!?それなら、早速私達のところに来て頂いて――」


「調子に乗るな、人間。これはあくまで、お前と話すことに時間を割く価値があると決まっただけのこと。勝手に話を進めるな」


「あっ、すみません……」


 鋭い眼光で睨みつける犬の長を見て、ベイリアは縮こまるように返事を返した。


「ところで狐の君、一つ質問があるのだが」


「む、何じゃ?」


「根本的な話ではあるのだが、狐の君は、人間について何も思わないのか?」


「無論、思うところはあるのじゃ。お主らが人間に冷遇されたり、教会にされたことを思えば、心を痛めずには居られぬ。しかし、少なくともこやつは獣人を助けようとしている者じゃ。そういった者まで無下にしていては、未来が狭まってしまう。そうであろ?」


「……なるほど、未来……」


「然り。この後『真の真の獣の民』が『真の獣の民』と再合流するかどうか決めるのは、お主たちの仕事じゃ」


 イナリの口からつらつらともっともらしい言葉が出てくるのは、昨晩、パウセルと共にこういう類の質問の答えを準備しておいたためである。他にもイナリの正体が疑われた際のことなども想定していたが、この様子だとその懸念は無さそうである。


 うまく受け答えができた事にイナリが安堵していると、突然イナリの背中に何かが突き刺さる。


「い゛っっだいのじゃ!!」


「奇襲だ!」


「集まってください!」


 悲鳴を上げるイナリを見て、犬の長が声を上げ、ベイリアが巨大な結界を展開する。その直後、周囲の木陰からいくつもの矢が飛来し、結界に弾かれて落ちた。


「ぐぬぅ、背中が痛いのじゃ。一体何事じゃ……」


 イナリは涙をこらえながら己に当たった矢を拾いあげた。


 イナリに当たった衝撃で見事に折れた矢の鏃は鋭利な上に何かが塗られており、明らかにイナリ以外に当たっていたらただでは済まない代物であった。


「これ、毒が塗られてますよ!イナリさん、体に痺れなどの異常はありませんか?……というかその、何で『痛い』で済んでるんですか?結構しっかり当たってましたよね……」


「我の身体は強靭じゃからの……うう、痛いのじゃ……」


 イナリとベイリアが緊張感のないやりとりをしていると、森の中から三十人程の武装した人間が現れて結界を包囲する。


「に、人間がどうしてここに。貴方、彼らを連れてきましたね!?」


「こうして奇襲から守っているのに、そんな訳ないでしょう!その目は節穴ですか!?」


 錯乱する鳥の長にベイリアが反論する傍ら、犬の長が人間に向けて声を上げる。


「貴様ら、奇襲など卑怯だぞ!恥を知れ!」


「そう言われても、俺達には俺たちのやり方があるんだ。そちらを尊重する義理などあるわけ無いだろう?」


「くっ……他の我らの仲間はどうした!」


「馬鹿正直に答える奴があるかと言いたいところだが……正直に答えてやろう。少し眠ってもらっているだけだ。尤も、そちらの行動次第では、二度と目覚めなくなってしまうだろうがな」


 男の言葉に犬の長が歯ぎしりする。それに代わって口を開くのは鳥の長だ。


「……あなた方の望みは何ですか?」


「そうだな。お前らの頭を差し出し、大人しくここから立ち退けば、我々はそれ以上手出ししないことを約束しよう」


 恐らく、この男が率いる一団が、エリスが言っていたところの獣人を対処するための部隊なのであろう。


 つまりこの状況でイナリがすべきことは、自然に彼らと共にここを抜け出すことである。幸いなことに、それはイナリが投降するだけで容易に達成できるだろう。


「そういう事ならば、我が――」


「ふざけた事を抜かすな!俺たちは誇りをもって最後まで戦う、そうだろうお前ら!」


「うおおおお!!!」


「えっ」


「そう来ると思ったさ。まさか結界術師までそちらの味方とは思わなかったが、久々に本気で戦えそうだ。お前ら、出し惜しみはするなよ!」


「えっ、あの、我……あの……」


 何故か盛り上がり始める、犬の長をはじめとした獣人達と相手の人間に、イナリが困惑しながらもごもごと声を上げていると、それを代弁するように羊の長と鳥の長が声を上げる。


「待て犬公、思い出すんだ!相手は我らの仲間の命を握っているんだぞ!」


「そうです!教会との争いで真っ向から争った時の事を忘れたのですか!?」


「……そ、そうじゃそうじゃ!一旦落ち着くのじゃ!ここは我が――」


「私達鳥族が人質の救出に向かいますから、皆さんで彼らを引き留めてください!」


「そうじゃないのじゃ!!」


 期待していた流れと真逆を行く鳥の長の発言に思わずイナリが叫ぶと、皆の視線がイナリに向く。一瞬だけ後悔しかけたが、今なら己の声が確かに伝わるはずだと信じて、イナリは改めて口を開く。


「……我が、投降してやるのじゃ」


「な、何を言っている!?」


「そうですイナ……イオリさん!あの人たちに捕まったら、イオリさんは……」


 漸く己の考えを口に出来たことにイナリが安堵する一方、周りの面々の反応は芳しくなかった。獣人からすれば「イオリ」を失うのは大きな痛手だろうし、ベイリアやパウセルから見ても、ここでイナリが犠牲になる必要はないと思うのだから当然の反応である。


 だが、イナリからすれば真逆で、彼らと共に戦おうものなら、勝っても負けても大変な目に遭うことが確定している。だからこそ、ここでこの集落から脱出しなくてはならなかった。


「お主ら、よく聞くのじゃ」


 ベイリアの結界があるおかげかはわからないが、人間達は特に手を出さずに待ってくれている。故に、イナリは落ち着いて思考を巡らせ、言葉を紡いでいく。


「お主らは事の重大さを理解するべきじゃ。お主らは今、未来の岐路に立っておる」


「どういうことです?」


 首を傾げるのは鳥の長だ。


「お主らは現状、基本的に教会としか敵対しておらぬはずじゃ。そうであろ?」


「そうですね」


 パウセルが頷くのを見て、イナリは言葉を続ける。


「じゃがそこにいるのは、身なりからして教会とは関係ない人間じゃ。お主らがあやつらと戦うとは、人間全体と敵対することを意味する。つまり、人間と共存を目指す『真の獣の民』と交わることも叶わなくなるわけじゃ」


「その程度のこと、俺たちは何の関係もない」


「本当かのう?その先には破滅しか無いと思うのじゃが。先ほども言うたが、我はお主らの未来が狭まる事を望んでいないのじゃ。それが修羅の道ともなれば尚のことの」


 イナリが返すと、羊の長が手を上げて前に出る。


「そ、それなら私も共に降ろう。狐の君だけに頼っていては面子が立たない」


「その必要も無いのじゃ。……幸い、あやつらは我だけがこの集落の頭と思っておるはずじゃし、お主らには他の者を率いる役目があるからの。ここで居なくなるのは、本来招かれざる者である、我だけで良いのじゃよ。……ベイリアよ、結界を一時的に解くのじゃ」


 イナリが声を潜めて告げると、返事を待つ前にベイリアに結界を解くよう促した。


「で、でも、そしたらイナリさんが……」


「だいじょーぶじゃ。先ほど証明したばかりであろ?我は強靭なのじゃ」


「……わかりました」


 ぺちぺちと己の腕を叩くイナリを見て、決意を固めたベイリアが結界に穴を空けた。


 イナリはそこを通り抜け、人間の前に歩いていく。


「本来はお主らに決めさせるべきであったのだろうが、そういう訳にも行かなくなってしまったからのう。ベイリアよ、すまぬが、ここの皆を率いてやるのじゃぞ」


「……はい、必ず」


「うむ。というわけで、連れて行くが良い」


「ああ、幼くして賢明な判断に敬意を表しよう。お前ら、この娘を拘束して撤収だ」


 イナリは近くにいた女性の戦士に丁寧に縄を巻かれ、連行されていった。後ろを見れば、イナリに向けて祈りの構えを取るベイリアと、静かにこちらを見つめるパウセルの姿があった。




 かくして、イナリは獣人の集落を脱出することに成功し、そのまま流れるようにメルモートへ帰ることになった。


「……」


 イナリは己の尻尾を枕にして床に横たわり、天井の石壁を見つめながら考える。


 去った後のことを知ることができない以上予想でしかないが、身を挺して集落を救った「イオリ」の犠牲により、「真の真の獣の民」は「真の獣の民」へ再合流することを余儀なくされたはずであり、パウセルやベイリアの望みは達成されたはずである。


 元はと言えばパウセルの頼みで、イナリは完全に巻き込み事故でしかなかったが、獣人の社会的立ち位置を悪くしないようにするためにも、あの行動は想像以上に価値があるものだったはずだ。


 しかもイオリの印象を下げずに、寧ろ上げる様な立ち回りすらできたのだから、仕事としては完璧と評してもいいはずだ。


 だが、それを無に帰すほどの汚点がある。


「おい、囚人番号五八七二。食事の時間だ」


「おお、待っておったのじゃ……のう、これは何じゃ」


「苦情は受け付けていない。黙って食え」


 薄汚れた鉄のお盆に載せられた、まるで炭のように黒くて硬いパンによく似た何かについてイナリが問いかけると、看守はそそくさとその場を後にした。


 そう、ここはかつてイナリが投獄されると早合点して森に逃げるきっかけになった、メルモート要塞内の牢屋のうちの一室。


 あの時とは違い、イナリは現在、正式に投獄されていた。


「……うぅ、硬くて食べられないのじゃ。どうしてこうなったのじゃ」


 イナリの呟きは牢獄内に溶けていった。

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