第305話 成長促進をひとつまみ
食糧難に関する問題提起がなされた後は、主に鳥の長と犬の長による嫌味の応酬や、今日こそ決闘だのなんだのと、聞くに堪えない不毛な会話が始まった。
初回会議にして彼らの良くない部分をたっぷり堪能したイナリは、使いが来たら己が応対することと、無駄な争いは極力控えることを念押しして、強引に会議をお開きにした。
「全く、疲れたのじゃ……」
「お疲れ様です」
イナリはパウセルから下処理がされた木の実を受け取り、一口齧った。
何が一番疲れたかと問われれば、犬の長が「決闘を喧嘩などと同じにするな」とか「我々は決闘を通してこそ強くなれる」とか言い出したところだろうか。
その言葉を聞いた時には、どこぞの口を開けば訓練、鍛錬としか言わない盗賊の顔が浮かんだものである。多分、根幹的なところはほぼ同じだろう。
「ところでパウセルよ。我、お主らの食糧問題を解決してやるのじゃ」
「はい?……もしかして、これを皆に配れということですか」
パウセルが籠に入ったたくさんの実や山菜を持ち上げて首を傾げる。
「それも悪くは無いが、もっと根本的な部分を解決してやるのじゃ。方法は秘密じゃが、この我の力を疑う必要はないのじゃ」
「は、はあ」
「というわけで、今日はもう我に構う必要はなし。お主には例の件を任せるのじゃ」
「わかりました。では、日が暮れる前に行ってまいります」
「うむ」
イナリは小屋を出るパウセルを見送った。
彼女に任せたのはテルミットペッパーの調達だ。これとブラストブルーベリーをうまいこと組み合わせて、イオリの狐火を再現できるようにしておくのである。再現度がどの程度になるかは何とも言えないが、対策しておくに越したことは無いだろう。
「さて、日が暮れたら我も成すべきことを成すとしようかの」
自分を攫った者達を助けるというのはやや不本意な部分もあるが、目の前で餓死する者を出すなど豊穣神の名折れであるし、これはイナリが正式な形で豊穣神として人々に恵みを与える初めての機会だ。絶対に成功させねばなるまい。
中でも気を付けるべき点は、一気に植物の成長を加速させると木の一部がトレントになり、イナリに向かって一直線に向かってくる点だ。
魔の森の時は謎の結界のおかげで安全地帯があったから良かったが、ここにそのようなものは無いわけで。大量のトレントが生まれたら、イナリは今度こそぺちゃんこになるだろう。
それと、もう一つ懸念しておくべきは食糧事情が解決した後、長達がどうなるかという点だが……それは後でも問題無いだろう。
イナリは寝床に横になり、仮眠をとって時が過ぎるのを待つことにした。
辺りが暗くなったところで、早速イナリは小屋の窓掛けをそっと外し、辺りに誰も居ないことを確かめつつ、森の景色を見て集中する。
「さて。まずは第二段階で様子を見るかの?」
イナリは成長促進度を一段階上げた。その証に、背には二本の尻尾がもふもふと揺らめいている。
森の方を見てみれば……夜で暗いせいもあるだろうが、あまり変わった感じがしない。
「全然じゃな。ここは思い切って……第五段階くらいかの?」
イナリが成長段階をさらに三つ上げれば、森が少しずつ大きくなっていく。気のせいでなければ、誰かが驚いて叫ぶような声が聞こえた気もする。
「や、やりすぎたかのう?」
イナリは少し様子を見て、程々のところで成長段階を最低まで戻した。
「……ひとまず、これで明日を迎えてみるかの?」
何もしなくても、イナリが居るだけでここ一帯の植物の成長速度は加速され続ける。一旦、これ以上余計な手出しはせず、明日を迎えて様子を見るのが吉だろう。
イナリは己の判断に誤りが無かったと信じて、寝床に横たわった。
翌朝。
「おはようございます。こちらが例の物です」
「うむ、ご苦労じゃ」
イナリはパウセルが持ってきた物品を見て頷いた。後はこれをすり潰せば燃料として使えるのだが……細心の注意を払わないとこの集落が火事に見舞われることになるので、その辺の木をくりぬくなりして、保存用の容器を用意しなくてはならない。
「そういえば昨晩、突然森の草木が大きくなったんですよ。危うく巻き込まれるところでした……」
「ふむ?……あー、それは大変じゃったのう」
イナリはパウセルを労いつつ、ふいと目を逸らした。
以前も、魔の森で食材を探していたエリスに同じことをしたような気がするし、成長促進の対象の地に人がいる可能性を失念しがちである。これは今後気にかけるべき点であろう。
「ところで、木が自力で動き始めたりはしなかったかや」
「トレントですか?見た限りは居ませんでしたね、最初はそれかと思って身構えたのですが。……そういえば、貴方は結局何をしたんですか?」
「秘密じゃ」
イナリはパウセルによって一口大に切られた山菜を齧りながら答えた。ひとまず、トレントが発生する最悪の事態にはなっていないらしいので、このままの調子で続けていけばよいだろう。
さて、イナリとパウセルが朝食を食べていると、鳥の長が訪ねてくるなり口を開く。
「私達の住処が半壊しました」
その言葉を聞いたイナリは、手に持っていた山菜をぽとりと膝の上に落とした。
気を取り直して小屋から顔を出して集落の上を見れば、確かに木が一気に枝を伸ばしたせいで、所々巣が崩れかけているのがわかった。ただ、半壊というのはやや誇張しているように思えなくもない。
「直ちに影響はありませんが、場合によっては巣の作り方を考え直す必要がありますので、原因は究明したいところですな。イオリ殿の知恵をお借りするとともに、判断を仰ぎたく」
「あー……ちと、考えさせてくれたもれ」
「承知いたしました」
イナリは目を泳がせながら答えた。そういえば、木を直接住処にしている者もいたのだった。
「狐の君!」
イナリが多文化社会の洗礼に苦しんでいると、今度は見るからに上機嫌な羊の長がやってくる。
「聞いてくれ、狐の君。何故かはわからないが、周辺の植物に再び実が生り始めている!」
「それは良かったですなあ。こちらは住処に打撃を受けているというのに」
「なんと、それは気の毒だ」
「……本当にそう思っていますか?」
イナリは、早朝から羊の長に食って掛かる鳥の長の前に割って入った。
「お主、そこまでじゃ。我の前で見苦しい真似は止すのじゃ」
「おおっと、これは失礼」
「それで、羊のお主よ。お主らの食事については解決しそうかや?」
「そうだな……まだ食べるには青すぎる状態に見えたな」
「ふむ」
聞いた限り、鳥の長とその仲間たちには悪いが、実を満足に食べられる状態にするためには、もう少し手を加えてやる必要がありそうだ。
「これはあくまで我の勘じゃが、今晩も同じことが起こると思うのじゃ」
「左様ですか。卵もあることだし、出来れば巣が落下するような事態は避けたいところですが……」
「必要ならば、我らの羊毛を分けよう」
「それはありがたい。……しかし、あまり異変が起こるようなら移住も検討すべきでしょうね。問題は……」
「犬公がそれを飲むかどうか。これ以上、不要な争いの種は増えてほしくないが」
鳥の長と羊の長が何やら憂いているようだが、ともあれ、食料問題についてはこの調子であれば、明日には解決することだろう。
「ひとまず、折角皆ここに居ることだし、今日も会議といきましょうか」
「……またかや。一体何を話す必要が?」
「特には決まっていませんが、皆で集まれば話題が自然と浮き出てくるものです」
「……半ば部外者の身で言うのも何じゃが、重要な話が無いなら、会議などしない方が良いと思うのじゃが?」
「……すみません。父はお喋りな性格なもので」
「そうか。とにかく、我は遠慮するのじゃ」
イナリは耳元に囁くパウセルの言葉にげんなりしつつ、しかと意思を伝えた。肩を落とす鳥の長がやや気の毒に思えたが、空気の悪い現場に居合わせたくない以上、致し方ないことである。
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