第301話 我は帰らせてもらう!
「そも、それは我に言うべき事ではないのじゃ」
察するに、獣人らは神であるイナリが指導者になることを期待しているのだろうが、同じ神にも創造神から豊穣神、果ては付喪神まで色々あるわけで。要するに、この願いはイナリの管轄外なのである。
しかし、そんな事を知らないこの世界に暮らす者からすれば、神は全て等しく神であり、皆がアルトのような御業ができるとでも思っているのだろう。
尤も、獣人達はアルトの存在を否定していたという話もあったので、神に対する期待がどのようなものか定かでない部分もあるが。あるいは、先日の神託の件で考えが改まったのかもしれない。
ともかく、そんな理由でイナリが首を横に振れば、鳥獣人がくるると鳴き声を零して一考する。
「つまり姉様が言いたいのは、私達だけで乗り越えるべき問題だと、そういうことでしょうか」
「うん?ああうむ、そんな感じじゃな」
実情は全然違うものの、説明するわけにいかない部分を都合よく解釈してくれた鳥獣人の言葉に、イナリは山菜をポリポリと摘まみながら返した。
「では一度、そのように伝えましょう」
「うむ」
誰に、とは聞かないでおいた。無駄に顔合わせが始まるような展開は御免だ。
「ところでお主、ここが気に入っておらぬにも関わらず、再建を望むのかや」
「……そうですね。一言で言えば、『真の獣の民』と和解してほしいのです。きっと姉様が率いれば、それも叶うと思いまして」
「ほう。ではもし我が人間共を討ち滅ぼせなどと言ったら、どうするつもりだったのじゃ?」
「……さて、どうしていたと思いますか?」
鳥獣人は表情を変えず、先ほどイナリに渡した実とは別の実の一部分を取り除き、イナリの前に置いた。
……つまり、答え方を誤ったら毒殺を試みるつもりだったのだろう。イナリは体質上毒とは無縁に等しいが、何とも恐ろしい話である。
何より、平然とそれを準備していた目の前の鳥獣人が恐ろしい。穏便なようで獰猛というか、やはり獣人というべきか。ここまでの会話から敵対する可能性は低くなったとは思うが、信用には値しないかもしれない。
「それにしても、ちと喉が渇いたのじゃ。水はあるかの?」
「あちらの方に川があります。ご案内しましょう」
「……んや、ならいいのじゃ」
「そうですか」
イナリが欲しかったのは杯一杯分程度の水であったので、わざわざ歩いて水を取りに行く必要は無かった。もしかしたら水浴びなどを併せての提案だったのかもしれないが、こんな環境下で悠長に水浴びなど、誰ができようか。
あるいは、水を汲みにでも行ってくれれば、その隙に不可視術を発動してこの場を去るつもりだった。目の前の鳥獣人には些か申し訳なく思わないこともないが、獣人らの内輪もめに付き合う義理は無いし、さっさと皆と共にメルモートに帰りたいのだ。
兎にも角にも、一旦目の前の鳥獣人にはこの場を離れてもらわねばならない。
「お主。我のことは構わんでよいから、一旦我の意思を皆に伝えるのじゃ」
「畏まりました。もし何かあれば、迷わず討ち取って頂いて結構です」
「わかったのじゃ」
イナリはひらひらと手を振りながら笑顔で返し、鳥獣人が小屋を去る様子を見届けた。そして、完全に辺りに誰も居ないことを確かめた上で、イナリは不可視術を発動し、飲み込んでいた言葉を吐き出した。
「いや、討ち取るって何じゃ?我の手で仕留めろということかや??」
風刃やらを使えば何とかなるだろうが、そんな常に襲われるかもしれない環境下にいること自体、到底受け入れられることではない。
しばしば見え隠れする獣人の価値観に、イナリは早くもうんざりしていた。
「こんな場所に居ては身が持たんのじゃ。我は帰らせてもらうのじゃ!」
イナリは籠に余っていた食べ物をいくつか拝借して、勢いよく小屋を飛び出した。幸いこの集落の入り口は分かっているので、行くべき方向の大まかな見当はつく。
外を見れば、ここに来た時とはまた違った種族の獣人達が活動を始めているのがわかる。「濃い」者の方が「薄い」者よりやや多く見られるが、いずれも老若男女問わず、良くも悪くも野性的だ。
明るくなった今気が付いたが、木の上の方に巣を作っている者がいた。きっと、先ほどの鳥獣人のような種族が作ったものだろう。
今は昨晩のように喧嘩している者の姿は見えないが、同じ種族同士でまとまっていて、如何にも険悪な状態にあることが伺える。
「全く。こんなことに我を巻き込もうなど、とんだ迷惑もいいところじゃ」
周囲から姿が見えないのをいいことに、イナリはぷんすこと文句を零しながら集落を後にした。
森の中を進むイナリは、雪が積もっている山を背に、ある一つの問題に気が付く。
「我、どうやって帰れば良いのじゃ?」
イナリは山の位置から大まかな方角を推測しているだけで、他の皆が居る村とイナリが誘拐された集落の厳密な位置関係は全く分かっていない。だが、獣人達も森の中を真っすぐに走り抜けていたわけが無いことはわかる。
そして今イナリが歩いている森は、道らしい道も見当たらず、誘拐されている間の記憶の中に、目印に出来そうな場所もほぼ無いという状況だ。
故に、イナリがどう頑張っても一日二日程度で村に到達するのは絶望的な上、時間が経てば経つほど、己の成長促進の力により、行く手を阻む植物が増えていくことが確定している。
「果たしてどうしたものか……む、川じゃ」
イナリは己の左手側に、浅く流れる川の存在を認める。
少し喉が渇いていたし、一旦冷静になるためにも、川で休憩して思考をまとめることにした。
「む、雪解け水というやつかの。ひやっこいのう」
――イナリさん、大丈夫ですか?
「ひゃわっ!?」
イナリが冷たい水を手で掬って口に運ぼうとした直後、エリスによる定期確認の声が頭に響く。
突然の事態に小さく跳ねて驚いてしまったが、やや孤独感を感じていたのも事実なので、何処か心強く思える。
――あんまり大丈夫じゃないかも。逃げたけど、何処行けばいい?
――逃げられたのですか!?今はどこに居ますか?安全ですか?
――森のどこか?安全だとは思う。川で水飲んでる。
――森のどこか、ですか……。あ、川の水が安全かどうかもちゃんと確かめてくださいね。
エリスの言葉に、イナリはそっと手の中の水を眺める。……川には小魚も何匹か泳いでいるし、問題無さそうだ。
――それで、どうすればいい?
――アースさんなどの助力は得られませんか?確か、転移術のようなものが使えましたよね?
――多分無理。これは我の問題であって、アースの力を借りるべき場面ではない。
――そ、そうなのですね……。
エリスがやや困惑しているようだが、これは重要な問題だ。アースの力を借りるべき場面というのは、神が関わる規模の話だけである。
……まあ、イナリが攫われた時点でその条件が達成していると言えないことも無いし、以前その理屈でアースを招集したことがあるのだが、あまりそんな拡大解釈を濫用するとアルトを困らせてしまうだろうし、イナリの存在意義にまで発展する話だ。
何にせよ、今回の件でアースに頼るとすれば、精々話し相手になってもらうくらいまでである。
気を取り直して、今度はイナリの方からエリスに尋ねる。
――発信機で我の場所、わかる?
――わかるとは思いますが……森にいるのでしたか。もしかしたら方角情報に齟齬が生じて、合流に苦労してしまうかもしれません。
――そんな話、聞いたことない。
――ご、ごめんなさい。発信機にも色々あるんです。今度、イナリさんの状況が全てわかるような発信機を調達しますね……。
――そういう事じゃない。
イナリは森で発信機がうまく機能しない可能性がある話について言及しているだけで、何もエリスのストーカー行為を強化させるつもりなど全くなかった。
――森を進むのは危険?
――どうでしょうか。進むべき道がわかるのであれば進むべきだと思います。
イナリはその言葉に肯こうとして一考する。
そういえば、魔の森を創り上げた直後、家を求めて森を彷徨い歩いたことでエリス達と出会ったのであった。つまりそれは、無茶したら迷子になる可能性が高いことを意味する。
イナリが黙っていると、エリスが言葉を続ける。
――もしそうでなくて、攫われた場所に直ちに危険が無いのであれば、そこで待機するのも手です。
――戻れと?
――安全なら、ですよ。どうやら、イナリさんを攫った獣人達に対処するための人員がすでに派遣されているようで。その方々に保護されれば、街に連れて行ってもらえるはずです。
――なるほど、悪くない。そっちはどうしてる?
――皆さんでイナリさんを救う方法を考えていますが、具体的なところはまだ何も。
――わかった、考えてくれるだけで十分。ひとまず、獣人達の集落に戻ることにする。そっちも頑張って。
イナリはそう言って、神託を介したエリスとの会話を終えた。
「さて……ちと、水浴びだけしていこうかの」
どれくらい時間がかかるかはわからないが、集落に戻ったら、しばらく満足に体を流す機会は無いだろうこともわかりきっている。
イナリはこの後の展開を憂いながら、水浴びに適した場所を探し始めた。
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