第300話 真の真の獣の民

 少し時は戻り、イナリが連れ去られてから数時間後、日が暮れてからのこと。


 獣人達に捕らえられたイナリは、山のふもとの盆地にある集落でおろされ、どこかへと連行されていた。辺りの景色からして、ここは以前トゥエンツの宿に泊まった時に外に見えた山の近くだと思われるが、だとすれば随分遠くに連れて来られたものだ。


 周囲を見回せば、魔の森にあるイナリの家と同じくらいの出来栄えの小屋がいくつも建っている様子が見られる。尤も、今は時間帯が時間帯なので、夜行性らしき種族の姿しか見られないが。


 ……それに取っ組み合いをしている者も見えた。あれはきっと、関わらないのが吉というものだろう。


 ――イナリさん、大丈夫ですか?酷いことはされていませんか?


 ――大丈夫。


 攫われてからというもの、既に数えるのをやめた程度にはエリスからの安否確認が入っている。身を案じてくれているのは嬉しいのだが、些か頻繁過ぎる気がしないでもない。


 それにしても、イナリは何故ここに連れて来られたのだろう?彼ら曰くイナリに価値を見出したとのことだから、神としての覇気が漏れ出てしまったと見るべきだろうか。


 ……だが経験上、イナリがこう考えて当たった試しは無い。実に不本意だが、きっと今回も違う理由であろう。


「ううむ、何じゃろうな?」


 獣人らの動機が何であれ、イナリには、天界に転移するだとか、隙を見て不可視術を使って逃げ出すという選択肢がある。究極的には、ブラストブルーベリーでこの場を地獄にすることも、成長促進で全てを自然に還すこともできる。


 だが、幸か不幸か、今のところ彼らはイナリに対して誘拐以上のことをしていないし、時々他の仲間と顔を見合わせてイナリの身を案じている様子も見られる。つまり直ちに危険は無さそうなので、しばし付き合ってやろうというのがイナリの考えであった。


 さて、しばらく集落の中を歩かされると、辺りの建物の中でも、明らかに豪華な造りの小屋の中に案内された。攫ってきた者を閉じ込めるための場所にしては変だし、人間の文明と比較するとやや劣りこそすれ、獣人なりに最大限頑張ったであろう生活環境が整えられているように見える。


 イナリが困惑していると、ここにイナリを連行した獣人が跪いて首を垂れる。


「……先ほどの無礼をお許しください、姉御」


「む?……ああ、構わぬが」


 街ではただの無法者だった彼は、イナリに対して異様に紳士的な態度を見せてきた。謎の姉御呼ばわりに困惑は深まるばかりだが、ひとまず謝罪は受けておく。


「では明日、改めて伺います。後で使いの者を寄越しますので、今日はお休みください」


 獣人の男はそう言うと、イナリの言葉を待たずに小屋を去った。


「全く、用件くらい言っても良いであろうに」


 イナリは腕を組んで不満を零しながら、改めて部屋を見回す。


 木で組まれた一室の土間で、広さはイナリの家の二倍よりやや大きい程度。窓には外からの視界を遮るように葉を織った窓掛け。端では羊毛を敷き詰めた寝床が作られている。


 そして一番目を引くのは、部屋の中央に置かれた横長い板の上に、木の実や山菜が入った籠が、供物の如く並べられている点だ。


「ふむ」


 部屋を見回したイナリは、腕を組んで一息つく。これまでの獣人達の態度とイナリが置かれている状況、これらを勘案して導き出される結論は――。


「これ、本当に我を神として扱っておるのでは?」


 イナリは籠の中の食べ物をつまみながら呟いた。


 今のイナリの胸中は、神として扱われた喜びより困惑の方が勝っている。一体どのように見破られたのかもそうだし、何を求められているのかも不明瞭だ。仮に人間を滅ぼせなどと言われたら困るのだが。


「ま、それは追々わかることじゃな」


 先ほどの獣人曰く後で使いが来るとのことなので、まずはそれを待つべきだろう。


 そう考えたイナリは寝床の上に座り、そのまま寝転がった。




「……寝てしもた」


 イナリは羊毛のフカフカとした感触が誘引した眠気に抗えず、己を誘拐した者らの本拠地で朝まで快眠してしまった。


 イナリが目をこすりながら身を起こせば、玄関の前に一人の獣人の女が控えていた。口には黒茶色の嘴、腕の代わりに生えた茶色い翼に、鳥らしい鉤爪……彼女は、所謂「濃い」類型の鳥獣人であろう。


「おはようございます、姉様。只今朝食をおつくりします」


 鳥獣人は籠をイナリの前に運びながら告げる。彼女も昨日の獣人同様、当然のようにイナリを「姉」と呼ぶ辺り、何か獣人の間でそういう呼び方をする文化があるのかもしれない。


「お主が件の使いか」


「はい。もしお気に召さなければ、すぐに代わりの者を呼んできます」


「んや、良い。……ところでお主、名は何と?」


「姉様に名乗るほどの名はございません。便宜上名前が必要な場合は、『おい』、『お前』、『あ』、『鳥』など、お好きな呼称でお呼びください」


「それは寧ろ、呼ぶ方が憚られるのじゃが?」


 記憶が正しければ、獣人は己の名に誇りを持つという話だったはずだ。それがこんな反応になるとなれば、過去に色々あったのかもしれない。


 何にせよ、今はイナリと彼女の二人だけだし、特に気にする必要は無さそうだ。


「昨晩は、ここに着いてすぐに眠ってしまったのですか?」


「うむ。少しそこの実をつまんで、すぐに寝てしまったのじゃ」


「そうですか。この実の皮の部分はどうしましたか?強い毒性を持つので、捨てていないのであればこちらで処分しますが」


「……食べてないのじゃ」


「そうですか」


 鳥獣人が爪先で器用に持ち上げた実を見て、イナリはそっと目を逸らした。本当のところを言えば、多分、その毒性のある皮ごと食べた。


 鳥獣人は無感情な様子のまま、翼と足の爪を使って器用に実の皮を剥き、イナリの前に置いた。


 その実を齧ると、昨日食べた実と同じとは思えないほどの甘味が口の中に広がる。皮の有無だけでこうも味が変わるとは何とも面白いものだ。


 イナリが実を堪能していると、再び脳内に聞き慣れた神官の声が響く。


 ――イナリさん。無事ですか?


 ――うむ、美味……あっ違う、無事。


 ――今、美味って言いました?イナリさん?


 ――無事、大丈夫。ありがと。


「姉様、何かお気に召さないことがございましたか?」


「あいや、何でもないのじゃ。これ、美味じゃぞ」


 焦りが伝わって鳥獣人を不安にさせてしまったと察したイナリは、冷静に取り繕った。


「ところで話は変わるが。ここは何なのじゃ?」


「『真の真の獣の民』の拠点です」


「……ええと、我の聞き間違いかや?」


「『真の真の獣の民』の拠点です、間違いありません。『真の獣の民』の中でもさらに真の獣の民なので、『真の真の獣の民』なんです」


「ややこいのう」


「私もそう思います」


 一つ屋根の下、狐と鳥は頷き合った。


「……というか、お主は何なのじゃ?何というか……」


「『真の真の獣の民』らしくない、ですか?」


「んん?まあ、そう、なのかのう?」


 この短時間で何回「真」と言っただろう?何ともややこしく紛らわしい呼称に、イナリは歯切れ悪く返した。


「私は元々『真の獣の民』の方に居ましたが、部族の意向でこちらに移ったのです。当然、帰属意識なんて微塵も無いですから、肩身は狭いばかりです」


 鳥獣人の実を割いていく音が子気味よく響く。


「とはいえ、使いとして選ばれる程度の信用はあるのじゃな」


「どうでしょう。さっさと姉様の不興を買って切り裂かれろ、という意図だと踏んでいますが」


「酷い話じゃな。そやつらに迎合するつもりはないのかや」


 イナリは次々と差し出される実を口に運びながら問いかける。


「ありませんね。今の『真の獣の民』は人間を迎え入れ、部族間を跨いで手を取り合う方向に舵を切っています。あの平和な日々を知ったら、そちらを支持しない選択肢などありえませんから。それも、ここの皆さん曰く『牙無し』らしいですけども」


「ふむ」


 つまり、『真の獣の民』が人間社会に馴染む方向に向かおうとしている一方で、『真の真の獣の民』は獣人としての矜持が捨てられず、方向性の違いから仲間割れ、そのまま独立した。この鳥獣人は、己が部族が後者に属してしまったために、一緒に来なくてはならなくなってしまったということか。


 となると、『真の真の獣の民』という呼称は一種のあてつけなのかもしれない。こちらからすれば理解がややこしくなるばかりで迷惑以外の何物でもないのだが。


「さて、そうして生まれた『真の真の獣の民』ですが、実は重大な問題に直面しています。これが姉様がここに連れて来られた理由です」


「ほう。何じゃ?」


「なんと、人間や『牙無し』に対抗すると啖呵を切った割に、何も成すことなく自壊寸前なのです。各々の部族の長が激しく主張し合うので、考えも合わなければ、方向性の決定すら困難な状況です」


「……ここに来るとき何やら争っている者がいたが、もしや?」


「もしやですね」


「嘘じゃろ?」


 本末転倒というか、なんと言うか。この一団が生まれたのも、その場の勢いとかいうオチではなかろうか。


 イナリが絶句していると、鳥獣人が言葉を続ける。


「それを踏まえて、姉様に期待されているのは、この空中分解寸前の組織を纏め上げ、率いることです」


「……無理では?」


 イナリは率直な感想を返した。

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