第299話 空回り ※別視点あり

<イナリ視点>


「僕が道を開く、この先に僕達の仲間がいる!」


「わ、わかりました!」


 結界が崩れると共にエリックが声を上げながら盾を構え、イナリ達を囲む獣人の一角に向けて突進する。それは獣人二人がかりで受け止められ、さらに横から別の獣人が追撃している。


 それ以外の獣人も横からイナリ達に襲い掛かるが、イナリ達が逃げるべき道を示すようにエリスが透明な障壁を展開し、それを阻む。それを見て、イナリを背負った少女と青年が走り出した。


 背後を見れば、先ほどエリスが張り直した結界がいとも容易く砕かれ、エリックの相手をしていた獣人と共にイナリめがけて走ってきている様子が目に留まる。


 獣人という名に恥じぬ、手足を駆使した動物らしい走り方で迅速に距離を詰めてくる様子は、イナリに恐怖を喚起させるには十分であった。


 以前トレントでも似たような経験をしたが、あの時はディルという逃げることが得意な人間であったから何とかなったわけで、ただの一般神官少女では、ものの十数秒で捕まるのが目に見えている。


「出来ればこれを使わずに済んで欲しかったのですが」


 青年の神官も危機感を感じたのか、おもむろに手に持っている胸飾りを獣人に向けてかざし、何か言葉を呟き始めた。


 走っているせいで息が上がって手間取っているようだが、彼が言葉を紡ぎ終えると、胸飾りから白い光の玉がいくつも浮かび上がり、獣人達に向けて放たれていく。お世辞にも威力は高くなさそうだが、手数も相まって足止めとしては十分だろう。


「ぼ、僕はここまでです。力を使い果たしました……」


 青年の神官はふらふらとした足取りで道の横に離脱していった。


 青年のおかげで獣人との距離が開き、エリックとエリスが追いついた再び注意を引こうと試みている。しかし既にすり抜けている獣人の姿が見えるので、状況が好転したとまでは言えないかもしれない。


「あ、あの!言われたとこまであとどれくらいですか!」


「うーむ。一分くらい、じゃろか?」


「わかりました!」


「うむ、頑張るのじゃ。さて、ここは一つ、我も力を貸してやろうではないか」


 イナリは後方の獣人に向けて手をかざし、風を手に集めて放った。風刃とは違い、ただ風をぶつけただけだが、油断していた獣人がのけ反っていく様子はどこか滑稽だ。


「くふふ。最初からこうしておくべきだったやもしれぬのう」


 思いのほか己の力がうまく作用し、イナリはくつくつと笑った。


 風を操作するだけならばイナリの体にそう負担も無いし、風を集めるなどと言う手間も加えず、ずっと逆風を吹かせておくだけで余裕で逃げ切れそうだ。


「……ま、そんな都合のいい話はあるまいな」


 気をよくしていたイナリだが、所謂「濃い」類型の獣人が地面に爪を立て、逆風をものともせずに迫ってくる。それを受け、イナリは自身を背負う少女に対して追い風を吹かせることにした。これで彼女の負担も幾らか減るだろう。


「ついでに、我からお主らへの施し物じゃ。ちと危険じゃから、慎重に扱うのじゃぞ」


 イナリは懐からブラストブルーベリーを取り出し、金具を外して獣人に向けてぽいと投げた。


 イナリの思惑通り、獣人の一人がそれを跳ね除けようと力強く殴って実を爆発させる。それにより、数人がまとめて吹き飛んでいく。


 中々に激しい爆発だが、彼らの体が頑丈なことはニエ村での一件である程度分かっている。死にはしないはずだし、己の身柄以上に獣人を案じてやる義理も無い。


 事がうまく運んでいることに気をよくしたイナリはもう一つ実を取り出し、獣人達に見えるように構える。


「ほれ、もう一つ行くのじゃ!」


 イナリはどこか挑発するような声色で告げて実を放り投げた。


 投擲された実を目前にした獣人は、再びそれに手を伸ばし――。


「同じ手は食らうか!」


 ――掴んで、イナリの方に投げ返された。


「はえ?」


 当然、そんな展開は予想していなかったイナリは見事に顔面で実を受け、実が勢いよく爆裂する。


 その衝撃で神官の少女が転倒し、イナリも回転しながら地面に打ち付けられることになる。


「けほっ、けほ……」


 常人ならば失神する事案だろうが、イナリは天から落下しても無事だった豊穣神だ。イナリは目を回しながらもよろよろと立ち上がって顔を上げ、状況を確かめる。


「ど、どうなってしまったの、じゃ……あっ……」


 神官の少女は道に蹲っていて、それには目もくれず、獣人が己を持ち上げんと手を伸ばしているのが目に入ってくる。


 後方に目をやれば、全力でこちらに向かっているエリックと、イナリの方に手を伸ばして声を上げているエリスの姿がある。察するに、風のせいで二人も追いかけるのが難しくなってしまっていたのだろう。


 要するに、イナリが余計なことをしたせいで今の結果があるということだ。


「……すまぬ」


 獣人に抱え上げられて村の外に連れ去られ、小さくなっていく村を見ながらイナリは呟いた。しかし、その言葉が皆に届くことは無かった。




<イオリ視点>


 どういう風の吹き回しか、イナリが誘拐された。その報せが入る少し前に、村から爆発音がしたことで異変に気が付いたが、その頃には手遅れだったようだ。


 当然仲間を失ったわけだから旅は一旦中止。あまり歓迎されている雰囲気ではなかったが、この村の空き家に滞在することになった。部屋の数がそれなりに多かったので、勇者様と二人きりだ。


「勇者様、何か出来ることはありますか?」


「うーん、今は大丈夫だよ。ありがとう」


「わかりました。……あ、それじゃあ、飲み物を持ってきます!」


 誰にも邪魔されず勇者様を支えることが出来るこの状況。イナリが誘拐されたという話が無ければ、もっと喜ぶことが出来たのだけれども。


 イナリには勇者様を誑かしたのではないかという疑惑があるが、とはいえ共に教会を潰した仲だ。彼女のことは仲間として認めているし、私だってその身を案じている。


 身を案じていると言えば、神官の動揺度合いが凄まじい。今でこそある程度落ち着いたが、イナリが誘拐された直後なんか、水が入ったコップを手に持ったら手の震えで中身が半分零れるくらいには動揺していた。


 あの神官が知っているのかは定かでないけれど、あのアースの姉妹であるとすればイナリも神なわけで、一方的に何かをされるはずは無いだろうとも思う。……いや、あのぽわぽわした雰囲気を考えると、ちょっと首を傾げそうになるけれども。


 私が部屋を出て馬車から下ろしてきた荷物を探っていると、居間の方からイナリの仲間たちが話す声が聞こえる。


 そっと覗き込むと、そこにいるのは学者の女、魔術師の少女、錬金術師ハイドラ、変態神官エリス、それにサニーの五人だ。尤も、外が暗くなっているせいか、サニーはうとうととしている。


「――ここは一度、原点から考えよう。何故、イナリ君が攫われたのか?」


「彼らは、イナリさんに『価値がある』と言っていました。きっと身代金目当てか、あるいは遠くに連れ去って奴隷商に売り渡してしまうつもりです」


「ふむ、『価値がある』か。しかし、こんな村を襲撃する程度には社会性が低い獣人が、果たして硬貨目当てに人攫いなどするだろうか。確か、テイルに限って言えば、貨幣制度はごく一部にしか浸透していなかったはずだ。ハイドラ君、そうだったな?」


「そうですね。私が知る限りでは貨幣を使う機会は一、二割。あとは物々交換か、力づくで奪い取るかの二択だったと思います」


「テイルってマジでヤバい場所なんだね……」


「ともかく、そんな文明に生きてきた者達だ。動機としては考えにくく、仮に硬貨が欲しいとして、それこそこの村を襲撃して奪った方が手っ取り早いし、彼らにはそれをするだけの力がある。しかし事実として彼らは最後まで村を襲わず、イナリ君を攫うだけに留めた。何故だ?」


「うーん、お金目的ではないとしたら……はっ!世界が、イナリさんの魅力に気がついてしまった……!?」


「エリス殿、今日はもう寝た方がいいのではないか」


「……そうします。ご飯は後で頂きますね」


 エリスがサニーを抱えて立ち上がり、私が居る扉の方に向かってくる。私は何となく会話を盗み聞きしていることに後ろめたさを感じ、彼女が寝室に向かうまで姿を隠した後、リビングに残された三名の会話を聴く。


「で……何だっけ」


「イナリ君を攫った理由だ」


「うーん……この辺で団結してた野生生物共って、確か教会と衝突して大打撃を食らったんでしたよね。だとしたら、再蜂起するために一人でも多くの獣人を集める必要があったとか、どうですか?」


「悪くない推論のように思える、が……」


「十人がかりで一人集めるって、ありえないくらい非効率的じゃない?」


「確かに戦闘になってるわけだし、割に合わないね……。イオリちゃん、そこにいる?」


 兎獣人の錬金術師ハイドラに声を掛けられ、私は姿を現すことにした。


「何だ?」


「うわっ、いつの間に居たんだ……」


「ふふっ、さっき物音がしたからもしかしたらと思って。今の話は聞いてた?何か考えがあったら聞きたいな」


「うーん、そうだな……」


 私は頭に浮かんだ言葉を声に出すべきか悩んだ末、口を開いた。


「多分、あの獣人連中の主導者、私なんだ」


「……はい?」


 私の言葉に、部屋の空気が変わったのを感じた。やはりこれは、言わない方が良かったかもしれない。




<エリス視点>


「朝、ですか」


 目を開くと窓から白い光が差していて、隣にはサニーさんが熟睡している姿があります。その様子にやや平静になりつつ、心に大きな穴が空いたかのような虚しさを噛みしめます。


「イナリさん……」


 発信機を指し示す羅針盤の動きは止まっているようですが、厳密な場所を探るのはこれからになるでしょう。あるいは、エリックさんとディルさんが昨日逃げられなかった獣人を尋問していたはずなので、有益な情報が引き出せているかもしれませんが……。


 私の最も大切な存在であるイナリさんは、一体どうなっているのでしょうか。


 もしイナリさんから返事が返って来なかったらという最悪の展開を恐れながら、今日初めての交信を試みます。今の私には、これが唯一の支えです。


 ――イナリさん。無事ですか?


 ――うむ、美味……あっ違う、無事。


 ――今、美味って言いました?イナリさん?


 ――無事、大丈夫。ありがと。


「……」


 一体、どうなっているのでしょうか、本当に。

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