第298話 村への再訪

「よわいお狐さん、大丈夫?」


「災難でしたね、イナリさん」


「ぐむむ、絶対あやつ、神罰の時間を巻きおったのじゃ。まだ視界が変な感じなのじゃ……」


 イナリはトゥエンツを発つ馬車に揺られながら、エリスとサニーに宥められていた。


 そも、神託の時間からちょうど五日を測るなら、少なくとも昼頃までは神罰が落ちないはずだったのだ。


 アルトの性格からして、時間を間違えたか面倒だったから前倒したと見るべきだろうか。今度話す機会があれば抗議すべきかもしれない。


「先生っ、さっきの魔法陣、すごかったですね!」


「ああ。遠目にしか見られていなかったが、恐らくあれは魔法陣を使って描かれた魔法陣だ。しかも神の力を取り込んだ魔法となると、聖魔法の括りと見做すべきなのかもしれないな。リズ君、どう思う?」


「うーん、やっぱり聖魔法の定義を見直すべきな気が――」


 馬車の後方を守っている魔術師二人組は、魔法陣の一部の写しを手元に持っている辺り間違いなく直視しているはずなのだが、平然と魔術談議に花を咲かせている。


「我だけ苦しむのは納得がいかんのじゃ。あやつらにも同じ苦しみを味わってほしいのじゃ」


「イナリさん、何か怖い事を言いだしてますね」


「ほら、魔術師は普段から発光現象とかを間近で見てるから、多少耐性があるんじゃないかな。それか、眩しさが気にならないほど魔法陣に対する情熱がある、とか……?」


「前者はともかく、後者はこじつけが過ぎると思うがの」


 ハイドラの言葉にイナリは首を傾げた。




 先ほど話に上がった村に到着したのは、昼過ぎのことであった。


 ここでは軽く休憩したらすぐに発つ予定ではあるのだが、教会の様子と獣人に対する人々のふるまいを観察しておくために、イナリがエリスとエリックと共に村を歩いて回ることにした。


 なお、イナリが選定された理由は「一番無害で頑丈だから」である。確かに、他の獣人と比較すれば事実ではあるのだが、何だか釈然としなかった。


「ここは、例の腕輪のようなものは無いのじゃな?」


「村によっては門番を用意するだけでも大変だろうし、ああいう道具を管理する方が大変だと思うよ」


「なるほどの。我には都合が良いし、それで良いのじゃが」


「それにしても……意外と何ともありませんね?石を投げられても対応できるように用意していたのですが」


「……寧ろ、恐れられているみたいだね」


 エリックの言葉にイナリが周囲を見回すと、道行く住人がイナリと目が合わないように顔を背け、あるいは物影に隠れていく。しかも何処からか視線を感じるものだから、何だか不愉快だ。


 しかも、以前少し立ち寄った雑貨屋や昼食を食べた飲食店の店番ですらそんな様子だ。ここまで来ると、もはや悲しくなってくる。


「ううむ、以前来た時は普通だったと思うのじゃがなあ」


「本当です。こんなに可愛いイナリさんを恐れるなんて……いや、世界がイナリさんを恐れれば、私だけがイナリさんを独占できるんですよね。なるほど」


「なるほどじゃないのじゃ。我は今、お主を恐れておるのじゃ」


「エリスの言う事は置いておくとして、この街はどちらかというと獣人に対して寛容だったはずだ。それがこんな風になる要因として考えられるとしたら、やっぱり――」


 エリックが話している間に、目的地である教会が見えてくる。


 元々それなりに年季が入っている教会ではあったが、その壁や窓には明らかに人為的に空けられた穴がいくつも見受けられる。扉も明らかに壊れてしまっていて、今は外して壁に立てかけられている状態だ。


「酷いですね……」


「うん。ここに居た神官の二人は大丈夫かな……」


「あのっ!」


 エリックが教会の中を覗き込んでいると、背後から声がかかる。


「む、何じゃ?」


「その喋り方、やっぱり!あの時助けてくれた『虹色旅団』の皆さんですよね?」


 そこにいたのは、ここの神官の一人である少女であった。後ろには青年の姿もある。どちらも顔に疲れが見えるが、青年の方が顕著だ。


「村の人の噂を聞いて来てみたら見覚えのあるお姿だったので、もしかしてと思って!」


「覚えて下さって嬉しく思います。ところで、ここで一体何があったのですか?」


 笑顔で話しかけてくる少女に対してエリックが尋ねると、彼女はきょとんとした表情で首を傾げる。


「あれ?依頼で来て下さったわけではないんですか」


「依頼は……見ていないですね」


 確かに、トゥエンツでは冒険者ギルドに立ち寄らなかったので、当然依頼のことなど知る由もない。


「そういう事なら、軽く説明しましょう。元々、こうなるのも時間の問題だとは思っていましたがね」


 少女に代わり、青年がこう前置いて話し始める。


「ナイアで獣人と教会の衝突があって、それで敗走した連中が腹いせにここに目をつけたんです。とんだ迷惑もいいところですよ。しかも、最近になってようやく補修を終えたと思えば、先日の神託を理由にまたここに来て……本当にやる気をなくしますよ」


「ま、まあまあ。私達が無事なだけで十分でしょ?」


 深くため息をつく青年の神官を、隣にいる少女の神官が励ます。きっと獣人らがこの教会に殴り込んできたのだろうが、何とも不憫な話である。


「何となく、お主らの気持ちがわかるのじゃ。所謂、賽の河原のような気分じゃろ?」


「サイノカワラって何ですか?」


「……何でもないのじゃ。とにかく、その獣人らのせいでこの村の者は委縮しておるわけじゃな。見たところ、教会以外は無事そうじゃが」


「はい。ですが実害が出たのは事実ですし、村人に矛先が向く可能性も生まれてきましたので、もはや話し合いで解決などと言っていられるような状況ではなくなりました。故に、冒険者ギルドや近くの街に、獣人を退治する助けを求めた次第です」


「そういうことです!で、この前依頼が受けられた旨の手紙を受け取ったので、てっきり『虹色旅団』の皆さんが引き受けてくれたものと勘違いしちゃいました」


 神官の少女は恥じらいを誤魔化すように笑った。


「まあ、そんなわけですから、貴方のような方もいることは承知の上で、あらゆる獣人に気を付けるべきです。今もたまにこの辺りをうろついていますし、彼らが何を考えているかなど、誰にもわかりませんからね」


「――それは理解しようとしていないのだから当然だろう、神官」


 遠くから、いつか聞いたような声がかけられる。


 声がする方に目をやれば、かつて教会で騒いでいた獣人達の姿があった。その背後には十人程度の獣人がぞろぞろと連れ立っている。


「貴方達は……何をしにここへ?もし村に手を出そうというのなら、ただで済むとは思わない事ですね」


「人間四人で我々に勝とうというその心意気には敬意を表するが、今回の狙いはお前達ではない。そこの狐獣人だ」


「……のじゃ?我?何で?」


 イナリが困惑の声を上げている間に、エリスがすかさず前に立ってイナリを隠す。


「我々が来たんだから、もう潜伏する必要も無いだろうに……いや、何事も徹底すべきと言うことか」


「何を言っているんです?意味が分かりませんが」


「こちらの話だ。とにかく、その獣人を引き渡せ。そうすれば、今日は大人しく引き下がろう」


「そんな事、絶対ダメですよ!この子は貴方達とは違うんです!」


「その通り。それに、明日になったらまた今まで通りに戻るだけで、その場しのぎにしかならないのが目に見えています」


 この村の神官である二人が声を上げると、獣人がくつくつと笑う。


「ならば、その狐獣人を引き渡せば今後一切、この村から手を引いてもいい。そこの狐獣人には、それだけの価値がある」


「信用できませんね。とにかく、交渉は決裂です」


「なるほど、では仕方ないな!お前ら、やるぞ!」


 その一声を合図に、獣人がイナリ達を囲むように展開して飛び掛かってくる。


 しかし、エリスが展開した半球状の結界により、その攻撃は全て阻まれた。また、かつてのように、イナリだけ結界の外に吹き飛ばされたりもしなかった。


 しかし、獣人達が結界を叩くたび、少しずつ結界に亀裂が入っていく。


「あわわ、拙いのじゃ。どうするのじゃ!?」


「この調子だと三十秒も持ちません。急いで作戦を立てましょう!」


「皆さんで時間を稼ぐことはできますか?私がこの子を連れて逃げます!」


 神官の少女がイナリの手を握って声を上げるが、青年の神官はあまり気が進まない様子だ。


「相手は十人近くいます。一人当たり三人以上を引き付けるのは……厳しいのでは?」


「私の結界術で上手くやれば、五人ぐらい何とかできるかもしれません。多分、一瞬ですけど……」


「ここで引き留めるより、僕達三人で後退するのを支援したほうがいい。出来ますか?」


「気は進みませんけど……まあ、どうにかするしかないでしょうね」


 神官の青年が懐から武器らしき胸飾りを取り出して構えた。


「背負う形で運んでくれれば、最悪、風刃で反撃できるのじゃ」


「背負う!?私に出来るかな……」


 神官の少女が恐る恐るイナリを背負い上げ、困惑の声を上げる。


「軽っ。え、見た目の半分以下の重さだ、何で?」


「イナリさんは綿のような軽さですからね。……そろそろ結界が壊れます!」


 エリスの声と共に結界が音を立てて崩れた。

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