第297話 隔離

 今回は崩落した橋が復旧したこともあり、イナリ達は特に何事もなく夜明け前にトゥエンツに到着した。


 夜中に出発したこともあって街門が開くまで少し待つことにはなったが、ニエ村を経由した時と比べればなんてことは無いし、寧ろ睡眠時間が出来たとすら言えよう。


 ただ、街に入るにあたり、朝食を食べたらすぐに発つにもかかわらず、ナイアで装着させられたものと同じ発信機を腕に取り付けることになった。しかも、ここはナイアと違い住民の獣人に対する印象がよくないらしく、馬車の荷台から出ないことを門番直々に推奨される始末である。


 無駄に揉め事に巻き込まれても仕方がないので、イナリ、イオリ、ハイドラ、サニー、カイトの五人は馬車の荷台に待機することにして、他の面々で、馬の面倒や朝食の調達を任せることになった。


「全く、とんだ迷惑じゃ。折角大金貨を使う機会と思うたのにのう」


 イナリは、膝の上に横になって船を漕いでいるサニーの頭に手を置いてぼやいた。


 イナリは未だに待機命令にご立腹なのだが、「獣人ではなく神だから外に出られる理論」は通用しなかったし、以前エリスが用意した狐耳偽装頭巾を被ろうとしたら、悲しそうな顔でそっと止められてしまったので、どうしようもなかった。


 そんな背景を知ってか知らずか、ハイドラは深く頷く。


「本当に。多分獣人の抗争が理由なんだろうけど、ここまで露骨な方策は久しぶりだよ。イオリさんはどう?」


「私は……獣人というか奴隷の括りに入れられていたからな、あまりピンとこない」


「あー、そっか。ごめん」


「いや、奴隷として酷い待遇を受けていたわけじゃないし、気にする必要はない」


 イオリのハイドラに対する態度は良好だ。どうにも、彼女が錬金術師になるまでの過程を知り感銘を受けたらしい。


「お詫びと言っては何だけど、食用キューブを一つあげる!一つでお腹が膨れる優れものだよ!」


「それはすごいな、感謝する。……勇者様、これあげます!」


「あ、ありがとう。うわ、見た目が完全にSFでよく見るアレだ……」


 流れるように渡された食用キューブをカイトはまじまじと見つめ、よくわからない感想を零した。


「ところでお主ら、メルモートまで同行するのじゃよな?その後はどうするつもりなのじゃ?……ああそれと、そこのやつもじゃな」


 イナリは沈黙したまま座っているファシリットを指さした。彼には悪いが、今ここで話題に上るまで、彼の存在は完全に忘れ去っていた。


 イナリの問いに、カイトはしばし沈黙してから口を開く。


「あくまで予定ですが、まずは住める場所を見つけて、魔王を倒すために準備しようと思ってます」


「ふむ」


「確か、メルモートの隣に魔王が居たはずですよね。手始めに、その魔王を倒そうかと」


「そ、そうか。でも我はそれ、危ないと思うのじゃがなあ。そこの魔王、過去に類を見ない、最強で偉大な魔王じゃからなあ。いくら対策したところで到底敵わぬと思うのじゃ」


「何で微妙に魔王寄りの視点なんです……?」


 慌てふためくイナリを見てカイトは訝しむが、まさか彼も目の前にいる少女がその「魔王」本人だとは露ほども思わないだろう。


「とにかく!そこの魔王は手出し無用なのじゃ!!」


 イナリが必死に誘導していると、事情を知るハイドラが口を開く。


「そういえば、カトラス商会で魔の森産の作物に高い値段がついてたよ。しかも最近は樹侵食の厄災も沈静化しているみたいで、大手を振っては言えないけど、商売的には寧ろ困ってるんだとか」


 どうやら、イナリ達がフルーティと話している間、ハイドラの方でも情報を集めていたようだ。彼女はそれをうまく利用し、イナリを援護してくれているらしい。


「だから優先順位的には、先にテイルの魔王をどうにかして、今私達がここに留まる原因を作った野生生物共を、本来いるべきところに戻してやった方がいいと思うな」


「は、ハイドラさん、目が怖いです……」


「あ、ごめんなさい。熱が入ってしまったうえに、勇者様に命令するような事を言ってしまって……ああ、恥ずかしい!」


 ハイドラは照れたような仕草をして誤魔化しているが、カイトは完全に委縮してしまったし、イオリも獣人を扇動していた過去があるためだろうか、気まずそうな表情をしている。


「え、ええと、とりあえず続きを話すと――」


「続き?魔王を倒して終わりではないのかや」


「はい。ファシリットをこんな風にした神と話をして、元に戻して貰いたいです」


「お主それ、本気で言うておるのか?……イオリよ。お主はこの話、聞いておるのかや」


「ああ、イナリが言いたいことは分かるし、私も反対した。だが勇者様は、仮にも友だった奴を見捨てることはしたくないらしい。全く、勇者様の懐の広さに感謝してほしいものだ」


「懐の広さとかそういう問題ではないじゃろ……」


 イナリは頭を抱えた。


 正直、ファシリットを救いたいとかそういう話はどうでもいいし、勝手にすればいいと思う。だがそこにアースが絡んでくるとなると話は別だし、正気に戻ったファシリットにまた陥れられたりしては元も子もない。


 これ以上話をややこしくしないで、魔王を倒すだけ倒してとっとと帰ってくれやしないだろうか。


 ハイドラも多少思うところがあるのか、カイトに向けて問いかける。


「カイトさん、神と話すって言ったけど、その方法は考えてるの?仮にあるとしても、実現可能性とか、ちゃんと考えてる?」


「いや、まだ何もわからないです。でも、もしかしたら魔王を倒した後で話せるかもしれないし、それか聖女さんの方にあたってみるとか……とにかく、これから調べていこうかと」


「そっかー……。大変だと思うけど、頑張って?」


 ハイドラの返事はイナリにも向けられたものであっただろう。




 しばらく雑談をしていると、荷台の後方からエリスが現れた。その腕には籠が提げられており、たくさんの料理が入っている。


「皆さん、お待たせしました!色々見繕ってきましたので、好きなものをどうぞ。……サニーさん、起きてください。ご飯の時間ですよ」


「うん?……んー……」


「ほら、どれがいいですか?」


 エリスは眠っているサニーの肩を優しく叩いて起こし、籠の中身のいくつかを適当に取って見せる。


 それをよそにイナリはいそいそと自分の分を確保し、口に運んだ。


 選んだのは、こちらの世界に来てから何度もお世話になっている肉串だ。なお、毎度何の肉かわからないまま食べているので、思いの外硬くて困ることも多々あるのだが、今回は問題無さそうだ。


 それにしても、普段イナリにべったりのエリスが自分以外の世話をしている光景というのは、何だか奇妙な光景だ。いや、イナリが現れる前のエリスはこれが普通だったのだろうし、この中で最も幼いサニーをそっちのけでイナリに構う方が、余程とんでもないことではあるのだが。


「ところでエリスさん。この街の教会の様子はどうでしたか?」


「それが、案外平常運転でしたよ。神官が教会の表で掃除をしていましたし、この後礼拝もありそうな様子でした」


「なるほどー……。もしかして、教会の状況と獣人の待遇に相関関係があったり?」


「否定はできませんね。帰り道にいくつか村がありますから、そこの様子も見てみましょう」


 ハイドラとエリスの会話を聞いていると、行きがけに立ち寄った村の事が頭をよぎる。


「村といえば……何か、獣人に絡まれていた教会があったのう?」


「そうですね。あそこは獣人に対する印象が悪そうですから、ハイドラさんの仮説を検証するには良い場所かもしれません。……仮説が正しかったとして、手放しに喜べるかといったら別ですが」


「エリスお姉さんの話、難しくてわからない……。お狐さんと兎さん、いじめられちゃうの?」


「今はわかりません。でも大丈夫です、何かあったら私や皆さんが守りますから!」


 サニーの呟く声に、エリスは腕を曲げて意気込んだ。


「しかし、道中はともかく、メルモートでもなんらかの仕打ちを受けるようでは、事態が落ち着くまで魔の森で暮らすことも視野に入れねばならんのう。……む?」


 イナリがふと外を見れば、およそアルテミアが位置していたであろう方角の上空に、ここからでもくっきり見える程巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。


「何じゃあれ。先ほどまであのようなものは無かったはずじゃが」


「神託からそろそろ五日経ちますし、あれが神罰、なのですかね?」


 エリスが呟く傍ら、外ではリズの興奮する声と、何かを書き留めるような音が聞こえる。もしかしなくてもウィルディアのものであろう。


「……にしても、デカすぎません?」


「本当です。あれではアルテミアの連中も一網打尽でしょう」


「そんな……!」


「あれはいわば神による浄化作業みたいなものですよ、多分。あそこの教会は腐りきってましたし、気に留める必要はないと思いますよ、勇者様」


 イオリはかなり容赦ない言葉でもってカイトを励ましているが、アースの価値観に則るとそれなりに妥当な言葉ではある。


「まあ何じゃ。神罰が落ちるまでもう少し時間はあると思うのじゃ。荷台から見る景色にも飽きたところじゃし、しばらく眺めるにはちょうどよ――」


 イナリが喋っている間に魔法陣が白い光を放ち、地上に向けて閃光を放った。


 それを直視してしまったイナリは、しばらく床に蹲って悶絶することになった。

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