獣人トラブル
第295話 教会(ボコボコの姿)
ここはアルテミアとグレリアの国境付近に位置する都市、ナイア。
世界でも有数の貿易都市であるその街の上空には、常に複数体のドラゴンが飛翔している。
そして、それを忌々しげに見上げる少女が一人。
「もう二度と飛竜便には乗りたくないのじゃ。あの浮遊感、無理じゃ……」
上下移動に耐性が無いためにドラゴン酔いしたイナリである。それを聞いてエリスが苦笑する。
「あの感覚は慣れが必要ですよね。それに今回は、着陸時の揺れが激しい感じがしました。サニーさんは大丈夫でしたか?」
「うん。楽しかった!」
「ふふ、それは良かったです」
エリスがイナリと反対側に立っているサニーに尋ねると、彼女は元気よく頷いて返した。
「アレを楽しいと思える神経が羨ましいのじゃ。ま、もう二度と乗ることも無いじゃろうし、この話はよかろ。……それより、腕が重いのじゃ。これ、外したらダメじゃろか」
「はい。トラブルの種になるのでダメです」
今、イナリの左腕にはそこそこの重量がある金属製の腕輪が取り付けられている。以前トゥエンツで持たされた魔力発信機が組み込まれた代物で、獣人が街を歩く場合は必ず着用することが義務付けられているのだ。
入国審査官曰く、元々獣人に持たせた発信機が捨てられてしまったり、正確な追跡ができなかったりと管理と運用の問題があったらしい。そこに教会と獣人の衝突があったものだから、それを機に本格的にテコ入れすることになったのだとか。無駄に重量があるのは、少しでも獣人が暴れた時の危険性を低減するためらしい。
しかし、実際のところ、それはうまくいっていないと言える。というのも――。
「勇者様!あそこのお店は安くて質が良い商品が多い店ですよ!」
「へえ、そうなんだ。あれ、何売ってるんだろう?」
「メラメラ鳥の肉とか、メゴギドベベスですかね」
「なんて?」
「イオリちゃん、メゴギドベベスなんてよく知ってるね!錬金術師でもないと知らない素材なのに」
「昔、少し縁があったので」
「あの、結局メゴギドベベスって何……?」
見ての通り、イオリもハイドラも腕輪の事など意に介さず、街並みを堪能し、得体の知れない名称の素材を見て盛り上がっているからである。
それに、街に時折みられる獣人も、腕輪の事など気にも留めていない様子だ。即ち、大抵の獣人は腕輪一つで弱体化する程やわでは無いのだ。
したがって、腕輪の重量に困っているのはこの世界で唯一、イナリだけなのである。
「うう、どうして我だけこんな目に……」
「気の毒には思いますが、この街を出るまでの辛抱です。助けが必要な時はすぐに言って下さいね。とりあえず、イナリさんの手の代わりに腕輪を掴みましょうか。これで多少負担が軽くなるはずです」
「うむ、恩に着るのじゃ」
エリスのおかげで、イナリの腕はかなり軽くなった。せっかくなので、ダメ押しとばかりに、もう一つの要望をぶつけてみることにした。
「ついでに、我の懐にある発信機も一つにしてくれぬか?」
「ダメです、イナリさんを見失いたくないので」
「受け答えが成立しておらぬ気がするのじゃ。サニーに一つ分けてやるのじゃ」
「ん?私、もう白いお姉さんから『はっしんき』っていうの、貰ってるよ?」
「……そう言えばアレ、やたらとあるんじゃったな」
計四つの発信機を身に纏っているイナリはため息をついてから、改めて周囲を見回す。
ナイアは相変わらず人が多いが、アルテミアから人が流れてきたのか、以前よりも一、二割増しくらいで人が多いように見える。
また、意外なことではあるが、最近問題を起こしたはずの獣人が迫害されているような様子がまるで見られない。石を投げられたりしないのは結構なのだが、忌避感を伴った視線を向けられるくらいの事はすると思っていただけに、やや拍子抜けであった。
その疑問が解消したのは、以前ベイリアを送り届けたこともある、アルト教ナイア支部の前を通りがかった時であった。
かつてここにあった、アルト教特有の荘厳な雰囲気の教会には、出入り口を塞ぐほどに大量の立て看板が立て掛けられており、建物の至る箇所に金槌で殴り壊したかのような跡がついていたのである。
当然神官の姿など無く、一等地に立つ廃墟とでも形容できそうな様相であった。
「おー、こりゃ派手にやったなあ」
「へえ、ここの教会、結構前衛的な感じなんだね」
「そんな訳が無いだろう、リズ君。……だが、住民はまるで気にしていない様子だ。ここは前からこういう場所なのかね」
「いや、アルテミアに向かう途中で立ち寄った時は普通の教会だったんですけどね……」
「ふん、勇者様を利用していた教会がこの世界から一つ減って、良い事じゃないか」
「回復術師が居ないのは結構深刻だと思うのですが、大丈夫なのでしょうか……」
皆が教会を前に各々感想を零す傍ら、イナリはエリスの袖を軽くつまんで尋ねる。
「のうエリスよ、看板には何と書いてあるのじゃ?」
「あー……簡単に言えば、口にするには下品すぎる言葉ですね。サニーさんも、見てはいけませんよ」
「……なるほど、罵詈雑言とか、そういう類かの」
「――そこの皆さん、ここの教会に用ですかい?」
イナリ達が教会の前で話していると、背後から声がかかる。
皆が振り返ると、そこには皺がついた服に身を包んだ、齢三十前半くらいの、ややくたびれた男が立っていた。彼は、エリスの姿を見て顔を顰める。
「ってうわぁ、神官ですかい。まだアルト教に従ってるんですか?」
「神官の身ではありますが、私が信仰しているのはイナリさんです」
エリスは何の躊躇いもなくイナリを持ち上げ、男の前に掲げた。イナリと男は互いに間の抜けた表情で目を合わせることになる。
「……よくわからんですけど、普通の神官じゃないのは理解しました。悪いことは言わんので、誤解される前に去った方が良いですよ」
「誤解というのは?」
「ほら、アルテミアの件があったでしょ?ここの連中、その前から獣人を迫害してたりしてたもんだから、あまりこの街の連中からは歓迎されてなかったんですよ」
「む?獣人は大体歓迎されぬ印象を受けておったがの」
「そりゃ会話が通じない奴と面倒な奴に限った話ですよ。そもそも、この街で種族にこだわるような連中、余所者しかいねえです」
「なるほど、それで義憤に駆られたといったところかな」
「いやあ、そんな大層なものじゃなくて、単なる憂さ晴らしですよ。そこの看板を見てなお、正義がどうとか言えます?無理でしょ?」
「……確かに」
エリックは振り返って看板を眺め、頷いた。そのような反応になるほどの文言ならば、いっそ見てみたいとすら思えてくる。
「ところで、皆さんって『虹色旅団』の方ですよね?噂はかねがね聞いてますよ」
「ああ、それはどうも、よくご存じで……?」
やたらと押しの強い男に、エリックもややたじろいだ様子だ。……いや、彼の性格を考えると、単に恥ずかしがっているだけかもしれないが。
「で、グレイベルとベイリアって名前に聞き覚えはありますよね?」
「ああ、わかるけれど……」
「それはよかった!ちょーっと伝言を預かってましてね、こんな往来じゃ何なので、少しうちに来てくれません?」
「……申し訳ないけれど、信用できない」
「おっと、それは残念……いやそうか、まだ名乗ってないですからね、そりゃ信用できるわけが無いですわ。申し遅れました、俺はそこで食材屋をやってる者です。フルーティって呼んで下さい」
「絶対偽名じゃない……?」
「ね、名前の割に見た目が全然フルーティじゃないよね」
妙な胡散臭さを醸す男改めフルーティに対し、ハイドラとリズが囁き合う。
「ちょっと好き放題言い過ぎですって。偽名なのはまあそうですけども。でもよく考えてください……吟遊詩人や物書きが偽名を使うように、食材屋が偽名を使ったらダメなんてルールは無いでしょ?分かりやすさ重視ってやつですよ」
「……わかりやすいのはそうですけど、何か、誤魔化されてる感じがしますね」
「で、どうです?別に薄暗い地下室にご案内なんてこともなく、ちょっと話すだけですから、ね?」
食い下がってくるフルーティを前に、イナリ達は顔を合わせて囁き合う。
「……おい、どうするんだ?」
「うーん、もし伝言が本当なら、聞くべきだとは思うけれど……」
「リズさんが言いたい事、わかります。胡散臭いですよあの人」
「それはそうじゃが、我の勘はそこまで危険視しておらんのじゃ。信用できるかは別じゃが」
「一つ、私に案がある」
面々が話していると、ウィルディアが手を上げる。
「部外者であろう私やリズ君、勇者、イオリ君、サニー君は、先に目的地であるカトラス商会に向かっておくというのはどうだろうか。その方が君たちも話しやすいだろうし、万が一の事態にも対応できるだろう」
「あ、なら私も行きます。先に馬車を借りておけば、すぐにここを発てますし」
ウィルディアの言葉にハイドラが手を上げて返す。その傍ら、勇者がポツリと文句を零す。
「……僕だけ役職名なんだ、何か複雑……」
「勇者様の名前を気安く呼ぶなど烏滸がましいですから、気を落とさずとも大丈夫です。……それはそうと、私はあの男と面識があるかもしれない。同席してもいいか」
イオリの言葉に反対する者は居なかった。
「……特に異論は無さそうだから、これで行きましょう。ウィルディアさん、サニーちゃんをお願いします」
「ああ。日が暮れても音沙汰がなければ、何らかの策を講じるとしよう」
会議が終わると早速皆が別れ、エリックがフルーティに向き直る。
「ではフルーティさん、話を聞かせてください」
「はい、喜んで!着いてきてください!」
フルーティはイナリ達を率いて人混みを進み始めた。
「……にしてもおかしいなあ。こんな警戒されるはずじゃなかったんですけど」
「多分、お主の胡散臭さのせいじゃぞ」
「やっぱりそう思います?皆そう言うんですよねえ」
イナリの言葉にフルーティは頭を掻きながら苦笑して返した。
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