第292話 勇者の帰還(後)
アースは、彼女が召喚した兵器の数々でもって、勇者が乗った馬車以外のすべてを徹底的に制圧した。神官の悲鳴は爆発音や射撃音で掻き消され、その姿も瞬く間に爆風に包まれていく。
故に、あとはただ頭を伏せて事が終わるのを待つことしかできなかった。アースがこちらに攻撃してくることはないと分かっていても、流れ弾を恐れずにはいられなかった。
「……終わったかや?」
「そう、みたいだね」
辺りの静けさが戻ったところで、イナリ達はゆっくりと立ち上がり、体についた砂埃を叩いた。折角寝間着で来たのに、これではまた着替えねばなるまい。
辺りを見回すと、イナリ達がいた場所を綺麗に避けるように無数の窪みが出来ていた。こんな攻撃を直接受けた神官達がどうなったのかは言うまでもないことである。
また、街門も無残に崩れ落ちていて、その奥の街の建造物も幾らか余波を受けてしまっている。まあ、どうせあと三日もしたらこの世界から完全に消失するのだから、そう気にする必要は無いのかもしれない。
さて、再びアースの方に目を戻せば、彼女は勇者が居る馬車に下降し、荷台を覗き込もうとしていた。しかしその直後、荷台の内側から聖魔法と思しき光線が走り、アースの頬を掠める。
そして中から出てきたのは、短剣を突き付け、カイトを人質にするファシリットであった。
「あいつ、勇者様になんてことを……!」
人形のごとく動じないカイトを盾にするファシリットを見てイオリが怒り狂っているが、こればかりは尤もな反応である。この行いはアルトの神託の内容すら反故にしているように見えるし、もはやアースを倒すためなら手段を選ばないということだろうか。
アースと向かい合うファシリットは、怒りに満ちた表情で彼女を睨みつけている。
「……この邪神め」
ファシリットの言葉に、アースはくつくつと笑った後、真顔で話し始める。
「邪神とは誰が言い出した?先の神託で、私はアルトの友と言われていたのを忘れたのか。ああ、お前らのような愚かな人間の矮小な脳では、それも無理はないか」
「安い挑発ですね。貴方がこの勇者を狙っていることは知っています。僕を見逃さないというのなら、この勇者も道連れに――」
ファシリットは話している途中で亜空間に飲み込まれ、カイトだけを分離する形で別々の場所に移動させられた。しかもファシリットの体は一瞬で拘束されており、逃げることすらままならない状態になっている。
「お前のつまらん戯言に付き合うつもりは無い。今すぐ死をもって償え」
アースは兵装の一つを展開し、ファシリットに向けて構える。
「待ってくれ!」
「ん?」
突如、アースの行動に待ったをかけたのはイオリだ。
「そいつは多分、勇者様を操ろうとした輩の一人だ。まだ利用価値があるかもしれない」
「ほう、それは良いことを聞いた。お前、知っていることを話せ」
「誰が話すものですか、さっさと殺したらいいですよ。どうせ貴方には、それしかできないんでしょう」
助からないと悟ったファシリットは、逆にアースを挑発する方向に舵を切ったようだ。果たして意味があるのかは分からないし、ただの負け惜しみにも見えるが。
しかしアースはこの挑発に思うところがあったのか、おもむろに兵装を収納する。
「確かに、こちらでの私は人間を始末してばかりだ。これでは本当に邪神の類と思われてしまいかねん。故に、こうしよう」
アースはカイトの首輪に触れ、いとも容易く取り外した。人形のように棒立ちしていたカイトはその場に倒れ、慌ててイオリが駆け寄る。
「な、何を……まさか」
一方のファシリットは、この後の事を予想して表情がみるみる青くなっていく。アースはその様子を、首輪を指先で回しながら愉快そうに眺めた後、もがき続けるファシリットに容赦なく首輪を取り付けた。
するとファシリットは次第に言葉を発さなくなり、先ほどまでの勇者のようにその場に立ち尽くすだけの存在と化した。アースはそれを見届けるなり、イナリ達の方に向き直る。
「貴様らに命を下す。この勇者にはまだ為すべき使命が残されている。我らの意志に欺いた人間に代わり、かの者を支えよ。では、さらばだ」
アースは言うだけ言って亜空間へと消えていき、後には風が吹く音だけが残る。
「……ええと。つまり僕達は、しばらくカイト君を保護すればいいんだよね?」
「多分そうじゃな。あやつ、我らにカイトを押し付けるのが目的であったと見える……」
「押し付けるとは何だ、こんな役得……重大な務め、願ってもない話だろう!まさか置いていくとは言わないだろうな!」
「それは勿論だけれど……そっちの人はどうしよう?」
イオリに迫られたエリックは、盾を使ってそれを押し返しつつ、一人立ち尽くしているファシリットを指さした。
「知らん。魔物の餌にしたらいいんじゃないか」
「対応の落差がすごいね。……うーん、放置するわけにもいかないし、一旦家に連れていこうか」
エリックもあまり気乗りしている様子ではないが、同じ人間を放置するのも良心が咎めるのだろう。彼は棒立ちしているファシリットをうまく持ち上げて担ぎ上げる。その様子は、さながら被服屋の人形を担ぎ上げる様な光景である。
「勇者様!起きてください!貴方のイオリですよ!勇者様!」
一方のイオリは力強く勇者の体を揺さぶる。勢いのせいで首を痛めたりしないか心配だが、その時はエリスかハイドラ辺りがどうにかしてくれるはずだ。
「全く、カイトが戻ってきたら戻ってきたで騒がしい奴じゃ。のう、エリスよ。……エリス?」
イナリが隣にいるエリスを見上げれば、彼女は物憂げな表情で周囲を見渡していた。
「……あの神官の皆さんの犠牲は、必要だったのでしょうか」
「む?それはそうじゃし、神に歯向かったのならば当然の帰結じゃろ。……お主、もしアースに何か物申すつもりなら、それはやめておいた方が良いのじゃ。この我であっても、どこまで庇ってやれるか――」
イナリが深刻な様子で提案していると、エリスは首を振りながらその言葉を遮る。
「庇ってくれる気持ちは嬉しいのですが、そうではなくて。彼らは、どうしていきなり襲い掛かってしまったのでしょう。もしかしたら、私とイナリさんのような関係を目指すこともできたのではありませんか?」
「んや、それは無理じゃろ。我らの時と今の時では、すべての前提が違うのじゃ」
エリスの言葉に、今度はイナリが首を振った。
今回は神官の浅慮さも相まってこのような結末を迎えたが、きっと彼らがそれなりに熟考を重ねたところで、アルト教の世界観を維持しつつ彼らの目的を達成するならば、どの道勇者を狙うアースは敵となる事は避けられなかっただろう。
あるいは、「勇者を保護するために集まった」とでも言えばもう少し別の結末もあったかもしれないが、勇者を操っていたという事実がある以上、アースはそれが欺瞞であると見破っただろうから、結局のところ帰着は同じように思える。
「何より、我とアースは同じ神でも全然違う存在じゃからの。多分あやつは、我以上に共存に向いておらぬぞ」
具体的には、理由のない殺生に対しては忌避感を示すのに、理由のある殺生はむしろ積極的な態度だとか、地上で暮らしているか天界で暮らしているかによる価値観や思想の乖離などである。
例えば飢えている人間を見た時、「食べ物が無いなら創ればいいじゃない?」だのと平然と言い放つ様子が容易に想像できる。
「イナリさんがそう言うのならそうなのでしょうね。……それに、イナリさんの尻尾は本物ですからね!」
「ああそうじゃな。さ、疾く帰って着替えるのじゃ。折角の服が台無しじゃからの」
イナリは頓珍漢な事を言い放つエリスに適当に頷き、手を引いて先行した。
イナリ達は家に戻って着替え、勇者とファシリットが寝る場所を手配し直した上で各自就寝することとなった。
なお、イオリが勇者と共に眠りたいと熱望した関係で、彼女はイナリの寝室からリビングへ寝床を移し、イナリとエリスはサニーを挟んで眠ることになった。
「何か、違和感が凄まじいのじゃ」
「そうですね。ですが、サニーさんをあそこで眠らせるわけにはいきませんから……」
エリスはサニーの頭を軽く撫でながら、ベッドの下に敷かれた毛布と、その上で転がるリズを見やる。
「……間違いないのじゃ」
この魔術師はあのイオリすら苦しめた寝相の持ち主だ。もしサニーを彼女の隣に寝かせたら、それはもう悲惨なことになるだろう。
「ところで話は変わるのですが。明日起きたら、サニーさんやリズさんも誘って、この街を去る前に軽く街を見てまわりませんか?この街が消える前に、軽く思い出に耽りたいと思いまして」
「ふむ、悪くないのう」
「ふふ、決まりですね。そうと決まれば、もう寝ましょうか」
「うむ。おやすみじゃ」
「はい、おやすみなさい」
イナリは、優しく頭を撫でられる感触と共に眠りに落ちた。
長く、波乱に満ちたアルテミアでの暮らしも、いよいよ終わりが見えてきている。
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