第207話 獣人の憂い

「それでは、僕達はこれで。これからも大変だとは思いますが、全てうまく行くことを祈っています」


「ええ、改めて、先ほどはお助け頂きありがとうございました、『虹色旅団』様。旅路に主神の御加護があらんことを」


「はい、あなた方に主神の御加護があらんことを」


 エリックとエリスが、青年の神官と別れの挨拶を告げる。


 イナリにはその作法がわからないし、そもそも神が「ご加護のあらんことを」とか言っても、誰目線なのか訳が分からなくなるだけなので、とりあえず見ておくだけに留めることにした。


「それでは行きましょうか、イナリさん」


「うむ」


「あっ、あの!」


 イナリが、エリスが伸ばしてきた手を掴んだ直後、少女の神官がイナリを呼び止め、耳元に囁きかけてくる。


「可愛い尻尾が見えちゃってましたよ。気をつけてくださいねっ」


 彼女はそう言うとすぐに先ほど居た位置まで戻り、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 そして、イナリは静かに冷や汗を流し、乾いた笑いで誤魔化した。




 教会での一幕が一旦の解決をした後は、物資の補給を終わらせ、教会での出来事の情報共有をしつつ食事も済ませ、再び移動を再開した。


「我、尻尾の事を何も気にしておらんかったのじゃ」


 イナリは荷台から空を見上げ、呟いた。


「そうなのですか?確かに、旅に出てからはお手入れをさせて頂いていませんが……。それでこのもふもふ加減は凄まじいと思いますよ。……はい、癒しパワーは健在です」


 エリスは、膝の上に乗っているイナリに抱きつき、尻尾をもふもふと触りながら答える。エリックと御者を代わったために向かいで座っているハイドラは、その様子を顔を赤くして凝視していた。


 そういえば、獣人の身体接触には色々な意味合いがあるのだったか。


 ハイドラの前、もっと言えば、外ではエリスのイナリに対する接触は控えめになっていたが、夜寝る時なんかはがっつり抱き枕にされていたし、その辺について驚くにしても、やや今更な感じが否めない。そもそも、イナリは獣人ではないので関係無いことであるけれども。


 気を取り直して、エリスにされるがまま、イナリは返事を返す。


「そうではなくてじゃな。尻尾を外套の内に隠していても、動いたら露呈してしまう事を失念していたという意味じゃ。先ほど、童の神官に我の尻尾が見られていたらしくての。思うに、我がお主に抱えられていた時に見えてしまったのではなかろうか」


「あぁ、なるほど……。しかし、耳ではなく尻尾が問題となると、イナリさんに頑張ってもらう外にはないかもしれませんね」


「然り。故に、改めて自戒したというわけじゃな」


「良い心がけですね。イナリさんが獣人に復讐しようとか言い出した時はどうしようかと思いましたので、そこも改めて頂けると」


「な、なんて無謀な。イナリちゃん、たまに獣人も顔負けの闘争心が芽生えるよね……」


「侮辱されて笑顔でいられるほど、我は寛容ではないのじゃ」


 イナリは腕を組んで鼻を鳴らした。


「うーん、それなりに長いこと一緒に居るのに、未だにイナリさんの言う『寛容』の基準がわからないのですけれども……もしかして、気分とかで決めてます?」


「……想像に任せるのじゃ」


 イナリは答えに詰まり、乱雑に会話を放り投げた。


 確かにイナリは、相手を許すかどうかを気分で決めていることが多い。でも、実際皆そんなものではないだろうか。


 思い返せば、本気で許していないのは地球に居るイナリの社を売り払った人間ぐらいのもので、事実上は先ほど己を侮辱した獣人の事も許したし、己を害しかけた集団に属する男も許したし、億年単位で己を放置した者も許している。これを寛容と評さず、何と言えようか。


「うーむ、やはり我、寛容すぎるのう」


「急にどうしたの、イナリちゃん」


 自賛するイナリの思惑を察することなどできるはずもなく、ハイドラが困惑した面持ちを向けてくる。一方エリスは、イナリの頭に手を乗せて口を開く。


「まあ、イナリさんは突然よくわからないことを言う事も多いですから、気にしないでおきましょう。それに、もしイナリさんが厳格だったら、こうして触れさせて貰えなかったかもしれませんしね」


「は、はあ……?」


 ハイドラが困惑の面持ちを向ける対象は一人増えた。


 会話が一段落し、三人は馬車に揺られてゆったりとした時間を過ごしていた。


 ゆったりとは言っても、たまに道の状態が悪いと、段差か何かで衝撃が走ってイナリの体が宙を舞いかけることもある。そういう時にはエリスがしっかり支えてくれるので、今のところ痛い思いはせずに済んでいる。


 馬車の前方ないし御者台からは、雑音が多くて何を話しているのかは聞き取れないが、時折エリックとディルの話し声も聞こえてくる。


 そんな状況を漠然と過ごしていると、ハイドラがやや遠方の後続の馬車を眺めながら、物憂げに呟く。


「はあ、どうなっちゃうんだろうなあ……」


 ハイドラはややマイペースながらもリズに似て、基本的には明るい性格だと認識している。そんな彼女がため息を零すとは何事であろうか。


「どうかしたのか……あいや、当ててやるのじゃ。さては獣人の件じゃな?」


「そう……」


「やった、当たったのじゃ!」


「イナリさん、今はそんな喜ぶ空気じゃないと思います……」


 露骨にガッツポーズを取るイナリをエリスが諫め、イナリの頬を軽く摘んだ。


「して、何故じゃ?お主は前から獣人……主にテイルの獣人については嫌悪感を表していたと思うのじゃが、何か心変わりでもあったのかや?」


「いや、何にも変わらないし、ますます思いは積もるばかりなんだけれどね?……何か、テイル出身だとかそう言うのは無視して全部ひっくるめた、獣人と人間の対立構造ができそうだなあって。下手したら、戦争とかもあり得るし……」


「……ふむ、中々深刻な懸念じゃな」


 思っていた以上に真面目な憂慮に、イナリも居住まいを正す。ハイドラはゆっくりと頷き返す。


「もしそうなったらきっと、人間の街に居るのも難しくなっちゃう。……でも、昔みたいな生活に戻るなんて嫌だし、頭の固いテイルの集団とうまくやるなんて、到底無理だよ」


「しかし、そう大層な話になるじゃろうか?確かにテイルの獣人は色々しているようじゃが、つい先日まで部族間で争っていたような連中の統率が取れるとは思えぬが」


「普通はそうなんだけど、今のあいつらは、アルト神が虚構だ何だって言って、人間っていう共通の敵を持っているからね。人って、より強大な敵が現れると、共同してそれを倒そうとするでしょ?」


「確かに、それは歴史が物語っていますね。過去に国家間戦争や種族間戦争は何度もありましたが、ほぼすべて、魔王が近場に存在しない時期の話です。魔王が出現して戦争が停戦することもしばしばです。今では戦争なんて不毛だ、というのが概ねの共通見解ですしね」


「うーむ、確かに、我もそういった光景は幾度か見た記憶があるのう。呉越同舟なる言葉もあるくらいじゃし、お主の言う事は妥当じゃ」


 ハイドラの言葉に、エリスとイナリはそれぞれ頷いた。尤も、「呉越同舟」が適切に二人に伝わっているのかは定かではない。


「……でも、これを憂いたとして、我らに何かできるかや?」


「……そうなんだよねえ」


「じゃよな。言っては何じゃが、気にするだけ無駄じゃな」


「い、イナリさん、流石にそれはないですよ……」


 議論を一蹴するイナリをエリスが咎めるが、イナリはそのまま続ける。


「人であれ獣人であれ神であれ、どうにもならんことはある。勿論、対策ができるならそれに越したことは無いが……神である我にすら未来はわからぬのじゃ。予測しうる万事に対策していては気が滅入るに決まっておる。故に、起こったことにどう対処するかを考えるのが一番よかろう。……今でこそそれなりに楽しくやらせてもらっておるが、そも、我はこれを盛大に誤ってここに居るからの」


 ここでいう「誤り」というのは、例えば、自分の神社が潰される予定になっていることを知った段階で人間の前に姿を現して殴りに行くべきだったとか、そういうことである。


 ……ついでに、ここ最近、起こった事に即席で対応した結果、パーティメンバー間で誤解の連鎖が起こったこともあったが、それも棚上げしてしまおう。


「まあ、何じゃ。つまり、一旦思いつめるのはやめて、肩の力を抜くと良いと思う、と言いたいのじゃ」


「……うーん、何か、耳触りのいい言葉で誤魔化されている感じがする……」


「流石にイナリさんの考えは即時的過ぎる感じがしますが……でも確かに、もう少し様子を見てから考えてもいいかな、とは思いますね。確かに状況は悪そうですけれども、少なくとも私達やリズさん、この馬車を貸してくれた商会さん等、ハイドラさんの人となりを理解している人は一定数居るでしょう?」


「……まあ、それもそう、ですけど……」


「それに、『真の獣の民』だとか、イオリなるリーダーだとか、不透明な事項は色々ありますからね。ひとまず、情報には気を配っておくくらいで良いのでは?私で良ければ、適宜相談にも乗れますからね」


「……そう、ですね。ありがとうございます、エリスさん」


「いえいえ、気にせず」


「……あれ、我は?」


「ふふっ、イナリちゃんも、ありがとうね。ちょっと気が滅入っちゃってたみたい」


「うむ」


 ハイドラはいつもの明るい表情を取り戻し、荷物箱に手を伸ばす。


「じゃあ……励ましてくれた二人には、お礼に『食用キューブ』をあげちゃいます!」


「それはいらないのじゃ」


「私も大丈夫です」


「あ、そう……」


 二人の即答に、ハイドラは取り戻した明るい表情を再び失った。


 さて、日は傾き、前方には大きな村の影が見えてきた。


 トゥエンツはもう、すぐそこである。

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