第206話 牙無し

 三日目の昼、イナリ達は道中にあった村に立ち寄った。


 見た限り、特に獣人に対する締め出し等はされていないようであったので、軽く物資を補充し、食事処があれば食事をしようという意図である。


 しかし、店を探す傍ら、村の一角が騒がしいことに気がつく。


 見たところ、十人前後の獣人が一つの建物の入り口に立って騒いでいるようだ。向かいには、エリスと同じような装いの男女が立っている。


 それにしても、それなりに距離はあるはずなのに、その声は村中に響き渡っていそうな勢いだ。近くの住民は顔を顰め、いかにも迷惑だと言わんばかりの表情をしている。


「何というか……うるさいのう」


「ね。何かもう、不快指数マックスって感じだよ……」


「あそこって、この村の教会だよね?穏やかじゃないな……」


 イナリの声にハイドラが頷く傍ら、エリックは建物の方を観察する。


「多分、獣人の治療を拒否したとかじゃねえのか?それで揉めてるとか、ありそうな話だろ」


「いえ、村の教会は基本的に治療拒否することは無いはずです。回復術師の技量次第では、大きい街に行くよう促されることこそありますが」


 エリスの言葉に、ハイドラが疑問を訪ねる。


「あの、私はあまり教会のお世話になった事が無いんですけど、金銭的に拒否されたりはしないんですか?」


「致命的なものに限っては、費用の後払いや、労働による補填制度などがあります。詳しくは相当長くなるので割愛しますが……何にせよ、教会に訪れた人を治療しないということはそうそうあり得ませんよ」


「となると、彼らは何を騒いでいるんだろう……?」


「ここは我の耳の出番じゃな。……ふむ。全体的に言葉そのものが聞き取りづらいが、何やら、アルトに文句をつけておるらしいぞ?『お前らの神は作り物』とか言っておる」


「……神官として気になりますね。すみません、ちょっと踏み込んでもいいですか?」


「一応僕達も同行するよ。行ってみよう」


「引き際は見極めろよ」


「あ、じゃあ私は物資の補充をしておきますね。その、テイルの獣人は本当に無理なので……」


「じゃあ、俺もハイドラさんに同行しておこう。気をつけてな」


 そう言ったハイドラとディルが歩き去っていくのを見送ると、イナリ、エリス、エリックの三人は教会の方へと歩み寄っていく。


 近づくにつれて興奮した獣人の叫び声は大きくなっていき、イナリの耳にビリビリと響く。なるほど、これはハイドラが嫌がるわけである。エリスが何か察してくれたのか、そっとイナリの耳を塞いでくれた。


 ある程度近づいたところで、エリスが神官の側へ向けて声をかける。


「こんにちは。あの、これはどういった――」


「た、助けてください!この人たち、何を言っても全然話にならないんです!」


 エリスに縋るように助けを求めたのは、神官の少女であった。それに対してエリスが答えるより先に、獣人の大きな声が割って入る。


「話にならない!?それはこっちのセリフだ!お前らが言う神だとか魔王だとか言うのは作り物で、本当は俺たちを苦しめようとするためのでっち上げなんだ!皆そう言っている!さっさと認めたらどうだ!」


「そうだ!俺たちが人間の国でどれだけ苦しい思いをしていると思っている!」


「そこの二人も獣人ならわかるだろ?俺たちは今こそ団結しなくてはならないんだ」


 どうやら彼らは、イナリとエリスが身につけているローブの頭の装飾を見て、二人とも獣人であると勘違いしているようだ。


 それを訂正する義理も無く、獣人達が口々に叫ぶ主張を聞き届けたエリスは、冷静に言葉を返した。


「……なるほど、確かにそうかもしれませんね。ですが、教会に乗り込むのは悪手ではありませんか?それに、人間から悪印象を持たれては、どれだけ正当性がある主張も通らなくなってしまいます。一旦落ち着くべきですよ」


「……まさか、お前ら『牙無し』か?……はあ、ここももうダメだな。皆行こう、手遅れだ。ここも真の獣の民の居場所にはならない」


 そう言うと、獣人の集団は列を成してその場を去っていった。


 それの後ろ姿を見ていると、先ほどエリスに助けを求めた少女が話しかけてくる。


「あ、あの、ありがとうございます。ですがよかったのですか?同じ獣人なのに……」


「ああ、私は獣人ではありませんよ、ほら」


 エリスが自分のフードを外し、獣の耳がそこにないことを相手に認識させる。


「あぁ、そういう装飾でしたか。中々斬新、ですね……?」


 少女は表情を引き攣らせて返した。この時世においてエリスの装いは相当変だろうが、ともあれ、これでイナリも人間として見做されたはずだ。現状においては、ほぼ無意味だろうけれども。


「それで……詳しい話を伺ってもよろしいでしょうか。彼らは一体何者なのですか?」


「……立ち話も何ですので、一旦中にお入りください」


 少女の隣にいた青年の神官の言葉に従い、イナリ達は教会の中へ足を踏み入れた。


 この教会は、メルモートの教会と比べると非常にこじんまりとした規模で、それなりに年季がありそうな雰囲気である。神官も全然見当たらないところを見るに、この村の神官は青年と少女だけなのだろうか?……いや、流石にもう二、三人くらいは居るだろうか。


 そんなことに思いを馳せていたイナリの意識を引き戻したのは、青年の神官の声である。


「最近、先ほどのような獣人が増えているのです」


 彼の口調からは、疲弊している様子がありありと感じ取れる。


「彼らはアルト神を虚構と見做し、魔王を人間が作った災いとして考えているようで、その一点張りで何やら主張しに来るのです。最初はまともに取り合って、丁寧にアルト教について説いていましたが、あのように連日、それも集団で来られると、もうお手上げで……」


「なるほど……。どこか大きい街や都市へ連絡はしましたか?」


「ええ、一応していますよ。ただ、他の場所も同様なのでしょう。支援は望み薄です。しかも、規模が規模ですから、私達が獣人一人一人に説いていったところで、檻にスライムを閉じ込めるようなものでしょう。……貴方も神官とお見受けしますが、存じ上げなかったのですか?」


「はい、私は神官兼冒険者ではありますが、基本的にはメルモート所属の回復術師なので……。それに、ここに来るまでそういった様子は見られませんでしたので……」


「そうでしたか。はあ、どうしたものですかねえ……」


「ちょっと、折角私達を助けてくれたんだから、そんな愚痴ってもしょうがないでしょ?あの、ごめんなさい……」


 少女が青年を諫め、エリスにぺこりと頭を下げる。


「いえいえ、お気になさらず。むしろ、知らなかった自分を恥じるばかりです」


 エリスは両手を上げて謙遜して返した。


「……ところで、我はあやつらの言っていた『皆そう言っている』というのが気になったのじゃ。我、あんな話聞いたことが無いのじゃが?」


 もっと言えば、アルトは実在するし、魔王が神のなりそこないであることも知っている。


「それは僕も気になったね。相手を騙す手法として主語を大きくする話術はあるけれど……彼らは騙すつもりなんて無く、本気でそう信じていたように見えた」


「察するに、あやつらの言う皆というのは、テイルから逃げてきた獣人の事を指しているのであろうか?」


「そうでしょうね。彼らのような連中以外がそう言っているところは見たことがありませんし。団結だ何だと言っている辺り、きっとリーダー格の獣人がそういう話を流布して、人間の国で苦しむ獣人をまとめ上げているのでしょう。境遇には同情しますが、その行いは迷惑極まりないので勘弁してほしいところですよ……」


 イナリの言葉に、青年が愚痴を含ませながら頷く。


「ふうむ、相当参っておるようじゃなあ……」


「本当です。この問題、相当長い事尾を引くと思いますよ……」


「ところで、最後にあの人たちが言っていた言葉って何でしょうね?初めて聞きました」


「『牙無し』のことでしょうか。それは確か、獣人語における、そこそこの罵倒語だったはずです。テイルにおいて、牙が無いというのは戦う意思が無い、あるいは弱いことを意味しますので。……厳密にはもっと酷い意味合いも込められているのですが、とにかく、気軽に使うべきではない、良くない言葉です」


 神官の少女の疑問に、エリスはそう答えながらイナリの頭に手を乗せた。


「……いや待て、我、罵倒されたのか?ならばたっぷり礼をしてやらねばならぬな!今ならまだ間に合うのじゃ!」


「イナリさん、落ち着いて、出発する前の約束事を思い出してくださいね」


 エリスは、腕をまくって憤るイナリを一秒で捕獲した。捕まった狐は、しばし足をバタバタさせた後、意気消沈した。


「……それにしても、『真の獣の民』か……」


 イナリ達をよそにエリックが腕を組んで呟く。


「どうかしたのかや?」


「うん。エリス、テイルの獣人達は自分たちを『真の獣の民』と呼ぶことはある?」


「いえ、少なくとも聞いたことはありません。彼らは基本的に、自分の種族ないし部族に誇りを持ち、何とか族の何とかだ!……みたいな感じで名乗りを上げます」


「なるほど」


 エリスによる渾身の名乗り上げを、エリックは真面目な顔で見届けた。


「……ええっと、ハイドラさんに聞けばもう少し詳しい話が聞けるかもしれません」


 やや遅れて羞恥心が湧いたエリスは、イナリを抱く力を強め、その頭を熱くなるほどの速度で撫でつけた。


「何にせよ、獣人達の間で何か変化が起こっているのは確かかな……」


「……つまり、どういうことなのでしょう」


 エリックの呟きに、神官の青年が問いかける。


「貴方も言ったように、彼らには主導者がいて、グループを形成している可能性が高いでしょう。となると、どこかに集まっているか、どこかに集まるように言われている可能性もあるはずです。何か、そういったことを示唆する言葉を聞いたりはしましたか?あるいは、何か目的があるとか……」


「うーん……ああ、何か、人名らしき言葉を何度か聞いた気がしますね。何だったか……」


「確か、イオリとか、そんな感じの名前だったかな?……と、思います」


 神官の青年に代わって、神官の少女が答える。


「なるほど、イオリ……覚えておきます。他には何か?」


「場所については特にそれらしいことは言っていませんでしたね。目的も……恐らく、アルト教の手が届いていない、定住できそうな場所を探しているのでしょう。……そんな場所、開拓でもしなければ無いでしょうね」


「なるほど……。ありがとうございます。申し遅れましたが、僕は冒険者パーティ、『虹色旅団』のエリックです。何かあったら指名依頼を頂ければ、お力になれるかもしれません」


「ああ、ご丁寧にありがとうございます。ですが、あなた方はメルモートから来たのでしょう。神官の方もいらっしゃるようですが、遠路はるばる来ていただくのも申し訳ありませんし、教会と獣人の揉め事は神官が解決すべきことですので、お気持ちだけありがたく頂いておきます」


「……ごめんなさい、素直じゃないんです、この人。ちゃんと感謝はしていると思うので、気を悪くはしないでください!」


 にべもなく返す青年に代わり、少女が謝罪した。

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