第204話 食用キューブ

 一行は村から少し離れた場所に移動し、木に縄を括り付けて馬を固定し、野宿の準備に入った。


「……近くに家屋があるのに屋外で過ごすというのは、何とも言えぬ哀愁があるのう」


「そうですねえ……」


 イナリが、エリスと共に近くの茂みから枝を集めつつ、つい先ほど通過した村の方を見て呟けば、エリスがそれに頷いて返す。


 見た限り、村を構成する家屋の窓から光が点々と零れていて、それはイナリ達が泊まれなかった宿屋も例外ではない。本来ならば、自分たちもあそこにいて、今頃人間の料理を頬張っていたはずなのだ。


「まあ、雨とか吹雪とかでもないですし、過ごしやすい気候なのは不幸中の幸いと言えます。冒険者をやっていればこういうこともありますから、気を取り直しましょう!」


 イナリが気落ちしているのを察してか、エリスが頭を撫でて励ましてきた。


「……いや、待つのじゃ。よく考えたら我、不可視術を使えば宿屋に潜り込めたのう!エリスよ、ちょっと我――」


「許可できません。理由は言わずともわかりますよね?」


「はひ」


 イナリの頬を軽くつまみながら低い声を出すエリスに、イナリは静かに返事を返した。


 二人が枝を集めて皆のもとへ戻れば、エリックからイナリに関する丁寧な説明を受け、何とか正常な状態に復帰したハイドラの姿があった。


「あっ、お、おかえり、イナリちゃん。ええっと、大体の話は聞いたよ。その……よくわからないところもいっぱいあるけど……」


「まあ、我が立派な神で、不服ながら魔王扱いされているという事実さえわかっておればよいのじゃ」


「一応なのですが、口外はしないでくださいね」


「それは勿論。……というか、口外しても信じてもらえないよ……」


「まあ、そうでしょうね……」


「何故我を見る。……やはり、我の力の本領を見せないとわからぬか?我は良いぞ」


 イナリが赤い眼を細めて構えると、それを見た皆がにわかに騒ぎ始める。


「落ち着いてくださいイナリさん。イナリさんの良さは私が全部わかってますから。ね?」


「すごい、ものすごい魔王っぽいよイナリちゃん……。あの、エリックさん。イナリちゃんってやっぱり、神を名乗る魔王なのでは」


「ハイドラさん。普段はこんなことは無いから、どうか勘違いしないで」


 イナリを見て慄くハイドラの誤認識を、すかさずエリックが訂正した。




 主にイナリの意地によって発生した混乱が落ち着き、周辺を軽く見て回っていたディルも帰還したところで、一同は火を囲んで会議する。


 一番最初に口を開いたのはディルだ。


「最早言うまでも無いことだが、村のすぐそばで、辺りもほぼ草原だから、今一番の脅威は人だな。まあ、これは夜番を一人立てときゃいいだろう。というわけで、問題なのは飯だ。村から何か買うか、備蓄から引っ張り出すかだな」


「さっき遠目に見た限り、この村の店はもう閉じているだろうね。仕方ないから、持ってきたもので何か作ろうか」


「あっ、それならいいものがありますよ!ちょっと待っててください!」


 会議に割って入ったハイドラは跳躍するような勢いで立ち上がると、馬車の荷台へと駆けて行き、小さな箱を抱えて戻ってきた。


 そしてその箱から茶色と青を混ぜたような色合いの、大きさ一寸程度の立方体を取り出し、皆の前に笑顔で差し出してくる。


「これ!食べてみてください!」


「……それは何?」


 静まり返った一同を代表してエリックが問う。


「私が作った『食用キューブ』です!一粒で一食分の満足感が得られます!」


 自信満々に立方体の内容を宣伝したハイドラだが、その後に小声で「多分」と付け足したのを、イナリの耳は聞き逃さなかった。


 それを知らないエリスは、ハイドラの言葉に首を傾げる。


「……満足感、ですか?栄養とかではなく……?」


「はい、満足感です。栄養も……まあ、それなりにはあると思います。さあ、エリスさん、どうぞ!」


「えっ」


 ハイドラは一番最初に反応を示したエリスに「食用キューブ」を手渡した。彼女はそれをそのまま、隣にいるイナリの前にスライドする。


「……イナリさん、食べてみますか?」


「わ、我か?いや、これは……」


 エリスの言葉に、イナリは露骨に顔を顰めた。ついでに、向かい側にいる男性陣が心底ほっとした表情になったのも見逃さなかった。


「私はこういったものを見たことがありません。きっと、最先端の料理の先駆けと言えましょう。もしかしたら美味しいかもしれませんよ?」


 エリスの言葉に、イナリは改めて「食用キューブ」を観察する。


 イナリが地球に居たころに食べたことのある供え物の中には、薄緑色や桃色の砂糖の塊などもあったが、それともまた違った雰囲気を醸している。


 そして、茶色に見える部分は、干し肉や干した薬草らしき物で構成されていることが分かった。よく見ると、粉末らしきもの、恐らく、塩か何かが付着しているようにも見える。


 そして、青色に見える部分は……何だろうか?全くもって見当がつかない。


 ともあれ、エリスの言う「最先端の料理」なんて、そんな素敵なものとは程遠いように思える。むしろ「食用キューブ」の発するただならぬ雰囲気が生む先入観も相まって、果たして食べて大丈夫なものなのか怪しいとすら思えてしまう。


「……まさかとは思うがお主、この我で毒見しようとしておらぬか……?」


「えっ!? いや、そ、そんなまさか……」


「失礼な。私、忙しい時にはよくこれを食べてるんだから、毒なんて入ってないよ!」


「本当かの……まあ良い。水を用意しておいてくれたもれ」


 万が一これが毒物でも、イナリならば問題なく活動できる。つまり、食べるならばイナリが最適なのだ。


 それを察したイナリは、「食用キューブ」を掌にのせ、深呼吸した後、意を決して口にぽいと放り込んだ。


 そして咀嚼し、飲み込む。


「……何か、何と言うべきか。こう、評価に困る味なのに空腹だけが満たされたのじゃ。つまり……気持ち悪いのじゃ」


 イナリは感想を告げ、エリスに手を伸ばし、水を要求した。


「あ、あはは。最初にも言ったけど、あくまで満足感を得るためのもので、それ以外は二の次だからね」


「ハイドラさん、絶対健康に悪いですよこれ。ちゃんと栄養をとるべきです」


「週に二、三回ぐらいしか食べてないので大丈夫ですよ、ご心配ありがとうございます。エリスさん、それにエリックさん達もどうですか?」


 ハイドラが再び「食用キューブ」を手に取り、面々の前に差しだす。


「健康には気を遣っているんでな、遠慮しておこう」


「僕も気持ちだけ受け取っておこうかな。非常時にはいいかもしれないね」


「私も……すみません」


「そうですか……他の錬金術師には好評なので、商品化も考えていたんですけど。もう少し練らないといけないですかねえ」


 一同のやんわりとした拒否に、ハイドラはとぼとぼと馬車の方へ戻り、小さな箱を荷台に戻した。


 それを見届けたエリスは、手を合わせて立ち上がる。


「では、気を取り直してご飯を作りましょうか!」


「え、我、もう満腹なんじゃけど……」


「……あっ……」


 その後、満腹のイナリは干し肉とパンを食べる面々を見届けることになった。


 どうしてこうなったのだろう。魔王の力を見せてやろうだなんだと言って、皆を揶揄って遊んでいた罰だろうか。


 イナリはそんなことを考えながら、夜空を見上げた。




 さて、イナリだけ実質夕食抜きという悲しい事故こそあったが、それ以外は何事も無く一夜を明かしたイナリ達は、まともな朝食を食べた後、再びアルテミアへ向けての移動を再開した。


 荷台でエリスの膝に座るイナリの手には、村にいた行商人から買った菓子が握られていた。

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