第203話 危うきに近寄らず

 あの後、イナリ達は移動を再開し、もう一つの補給地点の経由を経て森を抜けた。


 その道中、二度ほど魔物の襲撃があり、列を成して移動していた馬車が停止する一幕もあった。


 しかし、イナリが詳細な事態を把握するよりも先に、他の馬車に乗った冒険者によって、ものの数分で魔物が対処されたので、特に言及することも無かった。


 エリスとディル曰く、人が行きかう主要路に出る魔物というのは、大抵居合わせた冒険者や兵士によって袋叩きに遭うので、それなりに知能がある魔物は、殆ど主要路へは出て来ず、時に現れる手強い魔物でも、大抵の場合は数分程度で対処されるとのことだ。


 勿論例外はあって、大量の魔物が一斉に押し寄せるとか、ゴブリンが徒党を組んで計画的に襲撃をするとか、護衛だけでは手におえないような魔物が現れるといった場合もあるが、そういった場合は、改めて冒険者や兵士の方へ仕事が振られることになるらしい。


 閑話休題。日も暮れ、そろそろ一日目の移動を終えようかといったところで、遠くに深緑色の三角印が描かれた看板が目に入る。男性から警告を受けた地点に差し掛かった。


「……確か、例の補給地点は通過して、この先の村で一晩過ごすのじゃったか」


「うん。野生生物と関わる事は百害あって一利なし、だよ」


 ディルの隣にちょこんと座ったハイドラがイナリの言葉に頷いて返した。


 現在、馬車の御者はエリックがしていて、ハイドラは荷台でイナリ達と共に控えている。同じ獣人であるハイドラが目をつけられてしまう可能性を鑑みてのことである。


「イナリさん、変なことはしたらダメですよ。ちょっと見てみようとか、手を振ってみようとか、そういうのもしないでくださいね」


 エリスはそう忠告しながら、イナリを抱き締める力を強めた。


「別にそんな事するつもりは毛頭なかったのじゃが……」


 そして、しばし黙って、馬の足音と、馬車が鳴らす音を聞いているうちに、例の補給地点を通過した。


 後方で小さくなっていく補給地点に目をやれば、確かに、人間ではなさそうな物影が火を囲む様子があった。そして、ここの状況が完全に周知されているのか、一台も馬車が止まっている様子は無かった。


 それを見たイナリは、ふと気づいた事を小声で呟いた。


「遠目でわかりにくいが、あやつらって、どちらかと言うと動物寄りの見た目じゃよな」


「そうだね。獣人にも、私達みたいな、どちらかと言うと人間に近い『薄い』見た目のと、動物に近い『濃い』見た目の獣人がいるね。世間的には濃い方が狂暴だとか、野性的だとか言われるけど、実際言うほどの差は無いんだ」


「へえ、そうだったんですね。何となく、動物寄りの方のほうが攻撃的なイメージがありました」


「こればかりは見た目が発する威圧感の問題もあるだろうから、致し方ないところもあるんですけどねえ……」


「なるほどのう」


「……おい、何で俺を見るんだ」


「んや、深い意味は無いのじゃ。ほんとじゃよ、ほんと」


 軽い冗談も交えつつ、危機が去ったと判断したところで、イナリはエリスにもたれかかって寛ぎながら、ふと浮かんだ疑問を投げかけた。


「……しかし、お主らの考え方を踏まえれば頷けることではあるが、中には、我こそはというものが事態の解決、ないし仲裁に入ろうとしたりはしないのかや?我、そういう人間を何度か見たことがあるのじゃ」


「ああ、そういうのは中堅辺りの冒険者がやりがちだが、下手に干渉すると、むしろ事態が悪化したり、収拾がつかなくなる事もある。嫌な言い方にはなるが、依頼でもなければ、余程事態が切迫しているとかでもない限り、関わらないでおくべきなんだ。責任問題になるしな」


「中々非情じゃな。まあ、我がそれについてとやかく言う筋合いも無いが」


「ま、その辺の見極めもキャリアを積めば出来るようになるけどな。……いや、イナリには無理かな……」


「のう、お主、我を侮りすぎではあるまいか」


「そうは言われてもな。不満があるなら、もっと本格的な神らしさを見せてくれ。今のお前、のじゃのじゃ偉そうなこと言ってるだけのお子様でしかないぞ」


「よかろう。お主の期待に応えて、今からここを魔境にするから、しかと目に焼き付けておくがよい……」


 イナリが目を細め、尤もらしく手を広げて構えると、ディルは慌てた様子でイナリに向き直る。


「よし落ち着け。待て、ストップだ。……あー……実は、今まで黙ってただけで、ずっとイナリはすげえやつだと思ってたんだ」


「ふん、わかれば良いのじゃ」


「……今のは九割ディルさんが悪いですよ」


「え、一割は我が悪いのかや」


「ええ。イナリさんは神である事実を覆い隠すほどに可愛いですからね、その可愛さは罪ですよ、ええ!」


「何言ってるんじゃこやつ……」


 頭を撫でながら頬を擦り付けてくるエリスに対し、イナリは冷めた目を向けた。


 その様子を戸惑った様子で見ているのはハイドラだ。


「あ、あの、ええっと、イナリちゃん。魔境にするって……?」


「あぁ、それはじゃな。我が『樹侵食の厄災』なんじゃ」


「あー、なるほどね、おっけおっけ……えっ?」


 ハイドラは、この言葉を最後に硬直した。何となくだが、頭の辺りから煙が出ていそうな雰囲気だ。


「……ハイドラ?おーい、大丈夫かや?……ダメじゃ、完全に固まってしまったのじゃ」


「お前なあ、そんな大事な事をさらりと言ったら、そらこうなるに決まってるだろ……」


「そうですね、今のはイナリさんが十割悪いです。立ち直ったら、順を追って丁寧に説明しないといけませんね」


「……ぐう……」




 馬車の速度が緩やかになり、外を見れば、辺りに複数の家屋や建造物が立ち並んでいる。今日の目的地である村まで到着したのだ。


「ディル、宿の様子を見てくるから、少し馬をお願いしていてもいいかな」


「ああ、わかった」


 御者台からのエリックの声に、ディルが立ち上がって馬車の前方の方へと移動する。その様子を見届けながら、イナリは呟く。


「……宿か。昼間のディルの言葉から、もっと頻繁に野宿するものだと思っておったのじゃ」


「そうですねえ、少なくとも、主要路を辿っている間は屋根の下で眠れると思います。ハイドラさんに経路を聞けばもう少し詳しく……まだ固まったままですね。もう少し時間が必要そうでしょうか……」


「ううむ、お主らの時と同じように、あっさり受け入れてもらえると思っていたのじゃがなあ」


「むしろこれが一般的な反応でしょう。……いや、武器を抜いて襲い掛かる方がもっと普通かもしれませんが……」


 二人がそんな会話をしているうちに、エリックが馬車の後方から声をかけてくる。


「ごめん、少し問題が。どうにも獣人の宿泊ができないようでね……」


「……もしかしたらとは思っていましたが、やはりそうなりましたか……」


「何となく推測は出来るが、あえて聞こう。一体何故じゃ?」


「どうにも、さっき通過した獣人たちと関係があるみたいでね。宿屋側に問題があるというよりかは、宿泊者を守るための措置らしいから、交渉ではどうにもならなそうだったよ」


「待つのじゃ。もう、我が神であるにも拘らず獣人扱いされるのは百歩譲って良いとしてじゃな。我らの耳と尻尾を隠しておけば問題ないのではなかろうか?」


「それも少し考えたけれど、万が一バレてしまうとトラブルになるから、極力避けたいかな」


「ふむ……」


「他の宿屋はどうなのですか?」


「この村にある宿屋は二軒あるけど、どっちも難しそうだったよ」


「……最悪、我だけ外でというのも考えたが、ハイドラがおるしのう……」


 イナリは、未だにどこか空中を眺めて固まっているハイドラを一瞥して呟いた。


「仕方ないから、少し村から離れた場所で野宿しようか」


 エリックがそう言いながら馬車の前方へと移動すると、エリスがイナリの頭に手を置いて口を開く。


「……この件については、イナリさんもハイドラさんも悪くないですからね」


「言われなくともわかっておる。全く、迷惑なものじゃ」


 イナリは腕を組んで頷いた。どこの誰だか知らないが、イナリから人間の料理を食べる機会を奪うことの如何に罪深きことか、よく理解してほしいものである。

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