第202話 最初の補給地点
イナリがしばらく馬車の振動を堪能してぼーっとしていると、突如馬車が停止する。
「む、何かあったのかや?」
「一旦休憩ですね。馬も定期的に休まないといけませんから」
「ふむ、なるほどの」
イナリの問いにエリスが答えたところで、御者台の方からエリックの声が響く。
「皆、三十分程度ここで止まる。昼食を食べていてもいいよ」
「わかりました。……では、お言葉に甘えて、先に食べてしまいましょうか」
エリスは膝で寝ているイナリの頭を起こして立ち上がり、近くの積み荷の上に置かれた籠からサンドイッチを二つ取り出し、一つをイナリに手渡した。記憶が正しければ、この前昼寝をした時に食べた物と同じものだ。
「ふむ、やはり美味じゃ」
サンドイッチを一齧りしたイナリは、お決まりになりつつある端的な感想を述べた。それを見たディルが、イナリに向けて話しかけてくる。
「イナリ。一応言っておくが、ここから手の込んだ料理は殆ど無いと思っておいた方がいいぞ。旅の途中、村や街に寄れたらそこで泊まるだろうが、場合によっては野宿する可能性もあるからな」
「ふむ……残念ではあるが、致し方ないことじゃな」
ディルからの念押しに、イナリは素直に頷いた。
「私が料理番になった際には、極力イナリさんの満足いくものを作れるように頑張りますからね」
「うむ。期待しておこう」
「だがなあ、植物なら色々ある魔の森とは違って、採れる素材も限られてくるだろう。淡白になるのは免れないと思うが」
「少しだけですけど、調味料を用意したんですよ。それで何とかなります」
「また高価なもんを……」
「イナリさんのためです。この程度の出費、何てことありませんよ。ね、イナリさん」
「うん?……うむ」
食べることに夢中であったイナリは、エリスからの問いかけにとりあえず頷いておいた。
そして、サンドイッチを食べるのにそう時間がかかるわけもなく。
「はあ、また暇になってしまったのじゃ」
イナリは再び文句をぼやいた。
「私も食べ終わりましたので、前方にいるお二人にも渡しに行きましょうかね。イナリさんも一緒に来ますか?」
「そうするかの」
エリスがサンドイッチが入っていた籠を腕に提げて荷台を降り、イナリもそれに続いて飛び降りる。
辺りを見渡せば、少し前まで前後を走っていた馬車を含め、数台の馬車が止まっていた。
「ここ、どういう場所なのじゃ?」
「ここは……お堅く言うならば、補給地点ですね」
「補給地点とな」
「はい。あそこの看板に緑の三角が見えるでしょう?あれが補給地点を示す印です」
エリスが指さした先には、イナリの身長と同じくらいの看板があり、そこには深緑色の塗料を用いて、縦長の二等辺三角形が描かれていて、その下には、小さく何か文字が書かれている。察するに、ここの地名か何かが書かれているのだろう。
ただ、「前」と銘打つには些か距離がありすぎるように思うが、果たしてこれについて言及すべきだろうか。
イナリがそんなことを考えて悩んでいるうちに、エリスが解説を再開する。
「街と街を繋ぐ主要路には、こういう場所が一定間隔で設けられています。魔物や盗賊からの襲撃リスクを減らすためというのが専らの理由です。後は馬に無茶をさせないようにするため、とかもありますが……その辺は割愛しますね」
「まあ、聞いても十全にはわからぬし、それでよい」
「それで、補給地点とは言いましたが、大抵は、定期的に人の手で整備されているだけの広場で、そう特殊な事はありません。定期的に国直属の兵士が巡回したり、行商人等が若干割高で食品や雑貨を売ってくれたり、エリックさんがよくやっているような情報交換をしたりすることはありますけどね」
「なるほど確かに、話し合っている人間がしばしば見受けられるのう。要するに、多少安全な休憩所という理解で良いのじゃな」
「はい。その認識で十分だと思います」
エリスはゆっくりと歩きながらイナリの質問に答えつつ、馬車の前方へと回った。そこでは、エリックが二頭の馬の綱を握り、ハイドラがそれぞれに餌と水を与えていた。
「お二人とも、昼食をお持ちしましたが……すみません、少し早かったでしょうか。今渡されても困りますよね?」
「ああいや、丁度終わるところなので、むしろナイスですよ、エリスさん!」
エリスの言葉に笑顔で返すのはハイドラだ。彼女は餌が入った箱を御者台に乗せると、魔法で水を生成して手を洗い、エリスが持つ籠からサンドイッチを一つ手に取った。
「いやあ、美味しいですね!……あ、私だけすみません。エリックさんの手も洗いますね。『クリエイトウォーター』」
「ああ、ありがとう」
ハイドラは片手で空中にこぶし大の雫を生成し、エリックの手を洗った。
イナリはその様子をまじまじと見つめ、感心した声を上げる。
「ハイドラよ、お主も魔法が使えるのじゃな」
「はは、錬金術師だけど、魔法学校を卒業している以上これぐらいはできないとね。まあ、リズちゃんどころか、ちゃんとした魔法使いの人にはとてもかなわないけど」
ハイドラは軽く笑いながら答えた。
「それにしても、ちと喉が渇いたのじゃ。ハイドラよ、我にも水をくれぬか?」
「あ、イナリちゃん、それはやめた方がいいかも……」
「む?何か問題があるのかや?」
リズがいた頃は、食事の際には結構な頻度で魔法で出した水を用意してもらっていて、それを何も考えずに口に含んでいた。その時と同じ要領で頼んだのだが、それとは何が違うのだろうか。
「うん。飲用の水を生成する魔法は別にあるの。これが意外と難しくて、私には使えないんだ。一応さっきみたいな魔法で生成した水も、加熱、ろ過、魔力抜きその他諸々の処置をすれば飲めるけど、そんなことしてたらイナリちゃんの喉が干からびちゃう……」
「なるほどの。魔法、便利なようで複雑怪奇というわけか……」
もしかしたら、リズが使っていた岩を飛ばす魔法や火球を降らす魔法も、細かく詰めていけば複雑怪奇なものなのかもしれない。その話を本人に尋ねたら一生喋り倒しそうだ。
「荷台の方に水筒を用意しております。後でお渡ししますね」
「うむ」
「そういえば、私達の旅の友達を紹介しておくね。荷台から見て右側、茶色い毛の子がパル君で、左側の黒い毛の子がベティちゃんだよ。馬車全体含め、カトラス商会さんからお借りした子たちです!」
ハイドラが馬に向けて手を伸ばし、それぞれの馬と、ついでに後援者まで紹介した。
「へえ、カトラス商会だったんだ。結構大きいところだねえ」
ハイドラの言葉に、エリックが感心したように声を上げる。
「我には全く分からん……」
「グレリア王国ではかなり勢いのある商会だね。雑貨から兵器まで手広く扱っているところで、僕達もたまにお世話になっているんだよ」
「何度か貨物の護送の指名依頼を受けたりもしましたよね」
「ほえー、すごいですね!大手の商会が指名する冒険者って、相当吟味されてる印象がありますよ?」
「ふむ……」
具体的にはよくわからないが、何かすごいところらしい。
ハイドラは「虹色旅団」……厳密に言うなら、「虹色旅団イナリ抜き」を称えているが、話を聞くに、馬を借りることが出来たハイドラも相当信用されていると見える。あるいは相当粘っただけなのかもしれないが、何にせよ、そう容易いことでは無かったはずだ。
そんな会話をしていると、イナリの視界に遠くからイナリ達のもとへと歩いてくる男性の姿が映る。彼は近くまで来ると、声を落として話しかけてくる。
「会話をお楽しみのところ失礼。もし西へ向かっているのなら、この先、森を抜けた後、一番最初の村の手前の補給地点には寄らない方がいいです。獣人が敷地の半分以上を占領していて、トラブルが多発しているようです」
「……! わかりました。わざわざありがとうございます」
「いえいえ。小さなお子さんもいらっしゃるようですし、少しでも快適な旅になった方がいいでしょう。世の中助け合いですからね」
男性は言うだけ言ってすぐに去っていった。
「うーん、少し移動のペースと予定を組み直した方がいいかもね。ハイドラさん、食事が終わったら少し相談しよう」
「はい、そうですね……。はあ、本当、テイルの野生生物共は……」
ハイドラは天を仰いで嘆いた。
「そういえば、我らが獣人であるとは疑われなかったようじゃな?」
現在、ハイドラは耳を隠すための帽子を被っているし、イナリと、ついでにエリスも、それぞれ赤色と灰色の三角耳つきローブを身につけている。
これを踏まえると、先ほどの男性を見るに、エリスの策は功を奏したと言えるのではないだろうか。
イナリがそう思って尋ねるが、エリスは手を口に当て、考え込む仕草を見せる。
「どうでしょう。どちらかと言うと、イナリさんを見て無害判定された線もありそうじゃないですか……?」
「確かに、そっちの方が現実味がありそうですね……」
「納得が行かぬ。流石に魔王のような腫れ物扱いは御免じゃが、我の神々しさに慄くくらいはするべきであろ?」
「……エリスさん。積み荷に鏡ってありましたっけ?」
「無いです。持って来ればよかったかもしれませんね」
「鏡?何故急に鏡の話を?」
二人の言葉に、イナリは首を傾げた。
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