第201話 まだ見ぬ景色、もう見た景色

 他の馬車と列をなしながら、イナリを乗せた馬車は砂利道を進んでいく。子気味よい馬の足音と馬車の振動が、イナリの気分を高揚させる。


「おおぉ、すごいのじゃ!我、こういうのに乗るのは初めてなのじゃ!エリスよ!もう街があんなに遠くにあるぞ!」


 イナリは尻尾を揺らしながら荷台の後方に立ち、小さくなりつつある街を指さしてエリスの方を見た。


「ふふ、そうですね。危ないですから座っておきましょうね」


 エリスは興奮冷めやらぬイナリを抱え上げ、膝の上に乗せた。


「それにしても、我、こういう騎乗物にあまり良い印象は抱いていなかったのじゃが……これは便利じゃし、普及するのも頷けるというものじゃな」


 イナリは腕を組んでうんうんと頷いた。


「何で嫌いなんだ?何か嫌な事でもあったか」


「嫌な事というか……人間が植物を全部薙ぎ倒して道を作っていくのじゃ。その作業音が騒がしい事この上ないし、それが終わったと思えば、今度は騎乗物そのものが轟音と悪臭を伴った煙を発する始末じゃ。忌避こそすれ、好く理由など無かろ?」


「あぁー……。つまり、豊穣神的に受け付けないって感じの解釈でいいのか」


「そういうことじゃ」


 ディルの言葉にイナリは頷いた。


「それにしても、この振動も趣があってよいのう。こう、動いているという実感がよく感じられるのじゃ」


「ディルからイナリちゃんは酔いやすい体質だって聞いたけど、大丈夫そう?」


「うむ。ディルの時のは、上下移動に加えて回転だのをするせいで酔ってしまったのじゃ。故に、この程度ならば造作も無い」


「そうですか。一応、酔い止めや状態異常回復の備えもありますから、万が一辛くなったら言ってくださいね」


「うむ。エリスよ、もう少し外が見える位置へ寄って欲しいのじゃ!」


「ふふ、わかりました」


 要望に応えて、エリスが荷台の後方へと座る位置をずらすと、イナリはできる限り身を乗り出し、辺りの景色を一望した。


「エリスよ、小屋が見えるのじゃ!」


「あれは農家の住宅ですかね。きっと、メルモートで消費されるパンに使用される小麦の生産の一端を担っているのでしょう」


「あそこに何か飛んでおるのじゃ!」


「あれは……カラスですかね。ディルさん、わかります?」


「多分ホローバードだな。見た目はカラスそっくりだが、鳴き声がかなり特徴的で、死者の叫び声とか形容される。不吉の象徴になりがちだ」


「え、縁起が悪いのう……」


「まあ気にすることは無い。ホローバードなんてそこら中にいるからな、逆に見ない方が難しいぞ」


「確かホローバードって、手羽先の辺りが美味しいことでも有名ですよね?」


「そうだな。ちょっと捕まえるのにはコツがいるが、旅の道中で狙ってみるか」


「ほう、期待しておるのじゃ。して、あれは――」


 この後も、イナリはしばらく目に映ったものを指さし、エリスとディルに片っ端から尋ねていった。第三者からすれば、その様子は見た目相応の子供のようであったことだろう。




「飽きたのじゃ」


 イナリはエリスの腕の中で、完全に脱力した状態で呟いた。悲しきかな、イナリの興奮は昼を迎える前に冷めきってしまった。


「ディルよ、何か面白いことをするのじゃ。我を楽しませてみよ」


「その、困ったら俺に無茶振りするのをやめてくれないか」


 イナリの言葉に、ディルはげんなりとした様子で返す。一方エリスは、イナリの手をにぎにぎと握りながら覗き込んでくる。


「イナリさん、どうしたんですか?さっきまであんなに楽しそうにしていたじゃないですか」


「……確かに、最初は楽しかったのじゃ、それは間違いない。しかし……如何せん、代り映えが無いのじゃ!」


 イナリは体を起こし、体全体で不満を表現した。


「どこを見ても小屋、畑、ほろうばあど、そして草原ばかり!景色が変わったと思えば、森になっただけじゃ!」


「そ、そうは言われましても……」


「不満が爆発しているところ悪いが、多分、当分はこんな感じだぞ」


「何故じゃ!神生初の旅じゃから、一体何が待ち受けているのかと構えておったのに!」


「お前、意外と楽しみにしてたんだなあ……」


 イナリの言葉にディルは苦笑するが、実際、イナリのこれまでの活動範囲は相当狭く、生まれた場所もとい社を中心として一里にも満たないであろう範囲と、メルモートくらいのものであった。よって、イナリの中で、旅に出るというのは実に重大な出来事と言えよう。


 なのに、蓋を開けてみれば淡々とした景色の連続で、目新しさは一瞬にして失せてしまったのだ。これは残念と評する他ないだろう。


「でも言われてみれば確かに、昨日の夜は心なしか尻尾の活きが良かったですね」


「エリスはエリスで、一体どういう観点で納得しているんだ……」


「まあ、ともかく。イナリさん、貴方の好きな植物がたくさん見られますよ。それも併せて、景色の移ろいを楽しみましょう、ね?」


「確かに、我は豊穣神であるし、植物を愛でるのは好きじゃ。しかし、それは今までも散々してきた事であって、旅に期待していたことでは無いのじゃ。ついでに、景色の移ろいと言ったって、街が遂に見えなくなった今、色々な植物が犇めく魔の森でもあるまいし、先ほど見えた景色と今見える景色の違いなど、ほぼ無いも同然ではないかや?」


「そ、それもそうですね……」


 イナリの言葉に、エリスは外を一瞥した後小さく頷いた。


「……まあ、そんなに不満なら、前の方にいるエリックとハイドラさんにこの後の予定を聞いてきたらどうだ?あの二人がルートを決めているからな、もしかしたら、もしかするかもしれんぞ?」


「なるほど。では、そうさせてもらうのじゃ!」


「あっ、転ばないように気を付けるのですよ!」


 ディルの提案に一縷の望みをかけ、イナリはエリスの腕から抜け出し、エリックとハイドラがいる荷台の前方、御者席の方へと歩み寄った。


 そこではハイドラが綱を握って馬を制御し、エリックは地図を片手にハイドラと雑談をしていた。エリックがイナリの存在に気がつき、話しかけてくる。


「あれ、イナリちゃん、こっちに来たんだ。何かあったの?」


「うむ。この退屈な時間はいつまで続くのか尋ねるためにの」


「ああ、なるほど。うーん、退屈の基準をどこにするか次第だけど……この景色がいつまで続くかだけで言えば、当分は続く、かな……」


「そ、そんな……」


 顎に手を当てながら答えるエリックを見て、イナリは絶望した。どうやら、この退屈な時間に終止符を打つようなイレギュラーは一切無かったらしい。


「た、確か嵐の影響がどうとか言ってたじゃろ?それはどうなのじゃ?」


「ああ、それはもっと後の話だね」


「で、では、我らの前の馬車を追い越して急ぐとかは……?」


「それは危険だし、割れ物も積んでいるからできないよ、イナリちゃん」


「ぐ、ぐぅ……」


 二人の会話に割って入ったハイドラの言葉に、イナリは歯ぎしりした。


「ごめんね。そういうわけだから、しばらくは我慢して……」


「……分かったのじゃ。待つのは得意だからの、その時と同じようにしておればよいのじゃな……」


 謝ってくるエリックに返事を返したイナリは、静かにエリスのもとへと引き返し、彼女の膝を枕にして横になった。


「……イナリさん、ハニーキャンディ、食べます?」


「……たべる」


 イナリは口の中で飴を転がした後、不貞寝した。

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