アルテミアへの旅路
第200話 出発
出発当日の朝。
「虹色旅団」とハイドラは、以前リズを見送った馬車乗り場から少し離れた場所にある馬屋に集まり、旅支度を着々と進めていた。
荷台に乗って荷物の確認をしていたエリスをイナリがその隣から眺めていると、その手は動かしたままエリスが口を開く。
「そういえばイナリさん。私が昨日教えたこと、覚えていますか?」
「うむ。『知らない者にはついていかない』『不用意な争いを生まない』『知らない人の食べ物を受け取らない』『必ずパーティの誰かと行動する』……じゃろ?」
「そうですそうです!……あ、そうだ。今のうちにこれを渡しておきます」
エリスが、おもむろに荷物の中から黄色いこぶし大の立方体を取り出し、イナリに差し出してくる。
「……何か見覚えがあると思うたら、魔力発信機とか言うやつか」
「はい。前のとはちょっと違って、この羅針盤がその発信機の位置を教えてくれます。万が一イナリさんとはぐれたときは、これを使えばある程度場所がわかるのです」
「なるほどのう」
エリスが取り出した羅針盤の周りで発信機をぐるぐると回してみると、確かにその方角を針が示す。
「ふむ、便利なものじゃな」
「もとよりイナリさんと逸れるような事態はないように努めますが、万が一のための保険と思って頂ければ。予備もあと四つありますので、失くしたり壊れたりしても安心です」
「流石にそんなに必要とは思えぬが……」
「念には念を入れねばなりませんからね、ふふふ」
エリスが、イナリが発信機を懐にしまう様子を眺めながら、目を怪しく光らせる。楽しそうで何よりである。
イナリがジットリとした目をエリスに向けていると、彼女は突然ハッとした様子で口を開く。
「あっ、いけません。もっと大事な話があったのを忘れていました!……これ、着てみてください」
エリスが別の箱を漁り、赤い衣服を手渡してくる。
「以前、耳と尻尾を隠すものを用意するという話をしたじゃないですか。そのためのローブです」
「ふむ」
手渡された、柊の実の色に少し黒を混ぜたような色のローブは、イナリの体全体をしっかり覆う大きさのものであり、頭を覆うための部位もついていた。そして特筆すべきは、そこがイナリの耳とほぼ同じ大きさの耳を模した形状になっている点である。
「……耳を隠すのに、耳がついているのじゃが?」
「ふふ、これも考えがあってのことです。まあ、一回着てみてください」
イナリは疑問をそのままに、改めて外観を確認した後、エリスに手伝ってもらいつつ、ローブを着用した。
「……ピッタリじゃ」
「それは良かったです。違和感などはありますか?」
「……無いのじゃ。耳に殆ど干渉することなく覆っておるし、動きづらさも感じぬ」
今回、このローブを作るにあたって採寸等は一切していないはずだが、想像以上に体に適合している。「イナリの体の大きさを全部覚えている」という発言は伊達じゃなかったようだ。……何というか、あまり嬉しくはないが。
「ところで、尻尾の方はどうじゃ?」
「あぁー……ちょっと盛り上がっている感じもしますが、少し内側に寄せて頂けば……はい、大丈夫そうですね」
エリスの言葉に合わせて尻尾を少し動かせば、違和感が無い程度にはなるらしい。常に尻尾に意識を割くのは面倒ではあるが、ここは甘んじておくとしよう。
「さて、最初の問いに戻そう。この衣装の意匠について尋ねても良いかや?……ふふ」
「……何故笑っているのです?」
「あいや、気にするでない。それで?」
「ああ、ええっとですね。私も同じものを用意したんです」
「……はあ」
気の抜けた返事を返すイナリをよそに、エリスはいそいそと「同じもの」を取り出して掲げた。
確かにそれは、エリスに合わせた灰色っぽい色と、神官らしさを示すような装飾が多少増えている点以外は、狐耳らしい装飾がついているところも含めて、大体イナリのものと同じような意匠である。
エリスはそれを着て、イナリの前で手を広げる。
「わざわざ教会の方に、紋章をつけていいか確認までしたんです。どうですか?」
「どう、とは?まあ、似合っているのではないか?」
「そうですか、ふふふ。これで私もイナリさんと同じ耳を持っているわけですね」
「……何がしたいのかようわからんのじゃが」
嬉しそうに微笑むエリスに対し、イナリは冷めた目を向け続ける。
「要するにですね、本物の狐耳さえ隠せれば、『そういうデザイン』として押し通せると思ったのです。狐耳を持つイナリさんと、狐耳を持たない私が同じデザインのローブを着ていれば、私がローブを脱いで見せたとき、イナリさんも同様に獣人でないと勘違いしてもらえるかもしれません」
「……あまり意味がないように思えるが。それに、これを外せと言われたらそれまででは無かろうか」
「それは他の帽子などでも同じですよ。それに、完全に獣人の持つ特徴を消してしまうと、万が一獣人であることが露呈した際、人間を騙っていたなどといちゃもんをつけられかねません。しかしこのデザインなら、その辺の言い訳も効くわけです」
「……なるほどのう。あまり納得はできておらぬが、この外套の快適性は確かじゃし、お主の事を信じるとしよう」
「嬉しいお言葉、ありがとうございます。一応、ダメだった時のための備えも用意していますので、ご安心ください。……せっかくなので、このまま着ていきましょう。ペアルックですよ!」
エリスがイナリに抱きついてくるので、イナリはそれを受け止める。するとそこに、男の咳払いが響く。
「ん゛んっ。……お楽しみのところ悪いが、暇なら荷物の積み込みを手伝ってくれないか」
「……ディルさん……まあ、皆さんが働いている中、私だけイナリさんと遊んでいるわけにもいきませんね」
「そういうこった。馬車が出たらしばらくは暇だろうから、その時間で好きなだけ楽しんでくれ」
「そうさせてもらいましょう」
エリスはディルに返事を返しながら、彼から荷物が入った箱を受け取り、荷台へ引き上げた。
「我も何かすべきかや?」
「イナリは引き続きエリスと一緒に居て、必要に応じて手伝えばいい。何つーか……イナリに任せられることも無いし、適材適所ってやつだ」
「……それ、もしかしなくても、我を無能だと言っているのではないか?」
「――ディルさん、次はこれをお願いします!」
イナリがディルに迫ると、丁度いいところでハイドラがディルを呼ぶ声が割って入る。
「悪いがお呼ばれだ。じゃあな」
「あっ、まだ話は……むう、逃げられたのう……」
イナリは荷台から身を乗り出してディルを呼び止めようとしたが、彼はさっさとその場から逃げ出してしまった。
「きっと、イナリさんは神なのですから、その手を煩わせるのも憚られるということですよ」
「……なるほど、そういうことであったか。あやつ、気が利くのう!」
「さあ、引き続き荷物の確認をしていきましょう。ええと、次はポーション瓶五十個ですか。一、二、三……」
エリスが瓶を一つ一つ数える作業に入ったので、イナリはそれをぼうっと眺めながら、荷台の外から聞こえる会話に耳を澄ます。エリスに渡されたローブをつけたままだが、全く聴力に支障はない。
「……なあ、ハイドラさん。これ、必要なのか……?」
「私が旅に出るって聞いた魔道具を専門にする錬金術師が、壊れてもいいから代わりにデータを取ってくれって言って押し付けてきたんです。一応それなりに実用に足るものもあるので、道中で適当に使ってみようかと」
「なるほど。最大積載量は大丈夫か?」
「はい。一応、底が抜けそうなぐらいヤバそうなのは断ってあるので、問題ないレベルに収まっていると思います。多分ですけど。もしダメそうなら、その辺に捨てておけばいいです」
「流石にそれは駄目じゃないか……?」
「本来なら対価を払って冒険者や学生に試用させてデータを取るべきところ、私に使わせて安上がりに済まそうとしてるんです!相応の覚悟はしてもらわないといけません!」
「そ、そういうもんなのか……」
「そういうものです!」
会話が一区切りつくと、ディルが重量感のある箱を荷台に置き、また去っていった。
箱の中には、ごちゃごちゃと用途のわからない魔道具が詰まっていて、イナリがその一つ一つをまじまじと眺めていると、今度はエリックがハイドラに話しかける声を拾った。
「ハイドラさん、少し話を聞いた感じ、アルテミア最短ルートはこの前の嵐の影響で使えなくなっているらしいんだ。代替ルートについては考えておくから、安全な道での御者を任せていいかな」
「ああ、わかりました!」
察するに、どうやら御者役と旅路の選定に関する相談らしい。
「一体どこに行ったのかと思うたら、エリックはまた情報収集をしておったのじゃなあ」
「冒険者としては堅実派ですからね。リスクを鑑みないのが冒険者だという方もいますが、私は慎重に行動する方が絶対いいと思います」
「我も同意見じゃな」
イナリはエリスの言葉に同意しつつ、エリックの堅実さに感心した。
「……よし、点検終わり、準備完了です!」
エリスが最後の積み荷の確認を終えたことを告げると、エリックがそれに頷いた後、一同を見回す。
「よし。皆準備は良さそうだね」
「じゃあ、早速出発しますね!」
御者台に座ったハイドラが威勢よく声をかけるや否や、馬車が動き始めた。
いよいよ、旅の始まりである。
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