第188話 二人だけの秘密

 結局、イナリの気分が萎えきってしまったので、聖魔法の検証は一旦終了することとなり、現在、イナリはエリスが作ったシチューを食べていた。


「はい、あーん……ふふ、イナリさん、美味しいですか?」


「まあ」


「それはよかったです。たくさん食べてくださいね」


「うむ」


 ……厳密には、食べさせてもらっていた。


「ええっと、その、機嫌は治りましたか?」


「べつに」


「う、ううん……イナリさん、まだ検証して一日も経っていませんし、これから頑張りましょうね」


「しらん」


 エリスの言葉に、イナリは雑に返していった。


「そ、そんなへそを曲げないでくださいな……。まだ検証段階ということは、イナリさんの力は無限の可能性を秘めているわけですから。これからも色々試してみましょう?ね?」


「ふん。それもどーせ、魔法で十分なんじゃろ」


「い、イナリさん……わ、私はリズさんのように魔法に詳しくないですから、先ほど私が言ったことは要するに、素人の戯言みたいなものですから!だから、全く気を落とす必要は無いのですよ」


「……ほんとか?」


「ええ、本当です!」


「……そうか」


「そうです。そもそも、よく考えなくとも、偉大なる豊穣神のイナリさんの力が魔法とトントンなんてこと、ありえませんよね?」


「……確かにそうじゃな。我、神じゃしな!」


「そうです、その意気ですよイナリさん!」


 最近のイナリは神を自称することの危うさを理解し、初対面で「神じゃ」ということも無くなったし、神らしいことも大してしておらず、精々自分の神器を持っているとか、信者が一人出来たとか、創造神二人と茶会をしたとかぐらいのものだ。


 それ故やや自覚が薄れていたが、イナリはれっきとした神なのだ。


 エリスの全力フォローによって、それを再確認するとともに興が乗ったイナリは、突発的に思いついたアイデアをそのまま口にする。


「……そうじゃ!お主が我の信者となった事じゃし、ここは一つ、如何に我が偉大な神であるかを説明しておくべきかもしれぬのう!」


「あ、それはいいです」


「は?」


 冷や水を浴びせられたイナリが低い声で返すと、エリスは慌てた様子で弁明を試みる。


「あっ、いや、えっと……私はもう、十分イナリさんの良さを知っていますし、以前一度聞いていますからね。聞くまでも無いのですよ」


「ああ、そういうことであったか、ふむ……確かにそうじゃな」


 よくよく考えてみれば、エリスと出会った初日の夜に己がいかに神聖な存在かを説いた記憶がある。それと重複する部分も多そうだし、わざわざそれを繰り返すのは微妙であろう。


「ひ、ひとまず、一旦この件は終わりにして、ご飯を食べましょう?」


「うむ」


 イナリはエリスの言葉に頷いて、自分のパンを手に取った。エリスの方から「危なかった」と呟く声が聞こえた。




「さて、まだ話すべきことがあるのじゃ。一応、予定ではこれで最後になるのじゃが」


 食事と片付けを終わらせ、イナリはエリスの膝の上で口を開いた。


「はい。……ああ、数日ぶりのイナリさん、体に沁みますねえ……」


「……もうその辺については問わないでおくがの。聞いておきたいのが、この世界における主要な宗教であるアルト教が、異教徒にどのように接しているのかという話じゃ」


「……なるほど」


「以前、神を名乗ったら処刑だとか、神を侮辱したら陰湿な嫌がらせを受けるだとかいう話は聞いたがの、異教徒については殆ど聞いておらぬじゃろ?」


「そうですね。といっても、あまり言うことも無いですが」


 エリスはそう前置いた上で説明を始める。


「実を言えば、異教徒については、仮に人前で異教徒だと明かしても、多少変な目で見られるくらいなんです。まあ、アルテミアを筆頭に、地域差はありますけれど……」


「……それなら、我が我を神だと言っても何も問題無かったのでは?」


「いえ、以前も説明した通り、それはアルト教の世界観に影響を及ぼすのでダメです。歴史を紐解くと分かる事なのですが、アルト教は、アルト神やアルト教そのものに被害が及ばない分には、かなり寛容な傾向にあります」


「ふむ?しかし少なからずアルト以外の想像物を崇める集団は居るであろ?ともすれば、いつか問題が生じるのでは?」


「そうですね。アルト教の存在を脅かす規模になると聖騎士が派遣されたりします」


「は、はあ……?」


 イナリには、アルト教がやりたいことがよくわからなかった。


 エリスの言う事を合わせて考えると、異教徒の存在は実質的に許容しているのに、影響力が増すと潰しにかかっているということになる。


「それならば、最初から潰しておいた方が良いのではないか?」


「そう思いますよね。しかし、過去、聖騎士が異教徒の捕縛のために派遣された例は数回、直近でも……六十年前くらいに、魔族主導で興った宗教が勢いを増した時ぐらいでしたかね」


「魔族とな?」


「はい。獣人と同じで、一括りにするにはあまりに大雑把な言葉ですが……ひとまず、この辺では殆ど見ることはありませんね。今度出会うことがあれば、改めて詳しくお教えします」


「ふむ、わかったのじゃ。それで?」


「ええっと……何故最初から制圧しないのか、でしたね。答えは簡単で、実在が確認されている超常存在としての信仰対象であるアルト神と、それ以外だと、大きく性質が違うからです。わかりやすい例は神託や神器、聖魔法の存在でしょうか。そういうわけで、アルト教以外の殆どの宗教は、せいぜい村一つ二つ程度の間で共有される、民間伝承レベルに収まります」


「なるほどの?」


「つまり……まあ、何もしなくても特に問題が無いというか。何なら、民間伝承における神の存在を信じるアルト教信者というような例も結構あるぐらいで」


「ふむ。……あれ、もしかして、今のお主ってそういう感じなのじゃろうか」


「……と、言いますと?」


「今の話からするに、アルト教は他のものとの掛け持ちが可能なように思えるのじゃ。今のお主は、アルト信者かつイナリ信者なのでは?」


「……確かに何か、そんな感じがしますね?先ほど両者の聖魔法が使えましたし、特にアルト教を捨てたとか、そういうつもりも無いですし……」


「ふむ。ならば、我らがこの街に居られなくなって、辺境で二人暮らしすることになることも無さげかの」


「あ、辺境で二人暮らし、良いですね!引退後と言わず、今からでもしませんか?養えるだけのお金はありますよ」


「……ひとまず、余儀なくされることは無い、ということじゃな。うむ」


「……そうですね。あの、二人暮らしの件は、是非、ご検討してくださいね?」


「まあ、それは我の頭の隅に置いておくとするとして、じゃ。となると、一応、お主がイナリ教徒を自称することは問題ないと言えばないのかの。何をすればいいのかもわからぬし、イナリ教何ぞ立ち上げるつもりは毛頭ないがの」


「いや、どうですかね。イナリさんを崇めているということはイナリさんを神として扱っているというわけで……連鎖的にイナリさんが神を自称しているという判定になって、そのままお縄かもしれません」


「……何と面倒な……」


「というわけで、この件は私とイナリさんだけの秘密ですね。ふふ、パーティの皆さんも知らない、私達だけの秘密です」


「ううむ……」


 リビングには、にこにこと笑う神官と、その膝の上で唸る豊穣神の姿があった。

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