第187話 聖魔法の検証

「……やはり私は、イナリさんの信者になっているのですか」


 エリスは特に驚くようなことはなく、むしろ納得したかのような様子だ。


「うむ。やはりということは、お主、アースから何か聞いておったのかや」


「断言はされていませんでしたが、それを示唆するようなことは言われました。イナリさんの神器がわかるのは、イナリさんの信者だけ、といったような事を……」


「なるほどのう。となると、我が神器を持っていて咎められる問題はほぼ無しと見て良いか。偶然ではあるが、神器問題は解決したとみて良さそうじゃな」


「そうですね。ところで……イナリさんの信者って、どれくらいいるのですか?」


「さあ……昔はそれなりにいた時期もあったやもしれぬが、今はお主一人なのではないか」


「そうですか。私だけ、ですか……ふふふ」


 エリスは噛みしめるようにイナリの言葉を反芻すると、静かに笑った。先ほどのような思い悩んだ様子は無く、ご機嫌そうで何よりである。


「それでじゃ。まずお主、今、聖魔法とやらは使えるかの?」


「そうですねえ、一昨日、回復術師の仕事が最後ですかね……」


「ちと前すぎるやもしれぬな。ここで使ってみてくれぬか?」


 幸い、ここに座ってからというもの、数名の冒険者が魔の森の方へ歩いて行く以外には誰も目撃しておらず、人通りが少ないことが窺える。ならばエリスがイナリ信者になった事の影響を調べるには適当な環境のはずだ。


「いや……街の中で、それも街道で魔法を使うのは良くないですね、場所を変えたいです。家の庭を使いますか」


「ううむ……よかろう」


 イナリはエリスの手に引かれ、その場を去った。




 道中、エリスが教会に寄ってイナリの無事を副神官長に伝える一幕もありつつ、二人は予定通り家に到着した。


「先ほどから思っていたのですが、イナリさんの足、すごく汚れてしまっていますね。先に洗ってしまいましょうか」


「そうじゃな。いくらか慣れてきてしまったが、これで家に上がるのも良くないのう」


「家を迂回して、裏庭に行って待っていてください。替えの靴と靴下をお持ちします。……あと、勝手にどこかに行かないように……」


「わ、わかっておるよ」


 どうにも、エリスはこの前、イナリがアルトに強制転送された際の出来事がトラウマ化しているらしい。だがその点は不可抗力だったし、大目に見てほしいところだ。


 イナリはエリスに返事を返すと、裏庭に回って、井戸の横で草履と足袋を脱ぎ、魔導式井戸で足を洗って待った。


 そして間もなく、小さな籠を抱えたエリスが裏庭へ来ると、イナリの姿を認めて心底安心したような表情をつくる。


「お待たせしました、こちらをどうぞ。脱いだものはこちらの籠に」


「うむ、感謝するのじゃ。ところで、他の二人はどうしたのじゃ」


「ああ、簡単な依頼を受けに行っています。私はその……イナリさんの事を考えすぎていたのか、戦力外通知されまして。実を言えば、門に行ったのもイナリさんを求めての事でした。イナリさんが来るまで毎日通おうかな、なんて思っていたので……」


「何をやっとるんじゃか……」


 イナリは呆れた目をエリスに向けた。あまりイナリがもたもたしていたら、きっとエリスは何日でも西門に通っていたことだろう。


「まあ、我ら以外誰も居ないというのは都合がよい。早速、何か聖魔法を使うてみよ」


「はい。ええと……回復魔法は対象が居ませんし……結界にしておきましょうか。イナリさん、少し離れてください」


「うむ」


 エリスが祈るような姿勢をとり、詠唱を口にする。


「……今、簡易結界を展開しました。どうでしょう?」


 イナリはゆっくりとエリスに近づいていくと、途中でべちりと、透明な何かにぶつかる。


「……展開できておるようじゃな」


「そう、みたいですね?」


「確認なのじゃが、これはアルトの力の一部を使って行使しておるんじゃよな?」


 イナリが手の甲で結界を叩きながら尋ねる。


「ええ、聖魔法はアルト神の力を借りて行使するものとされていますね」


「……でもお主、我の信者じゃよな……?」


「そう、ですね」


「何で使えてるんじゃこれ……」


「わかりません……」


 イナリ信者がアルト信者が使う魔法を使えるというのはどういう理屈だろうか。イナリは腕を組んで唸った。


「……まあ良いか。使えるならそれに越したことは無いし、お主の生活に影響が出ないのは良いことじゃ。もし少しずつ使えなくなっていく等問題があれば、追々検討していけばよかろ」


「そうですね。何かあったらすぐに相談します」


「うむ。して、次の話じゃが。お主、我の力を使って何をできるかの?」


「……そういうのって、イナリさん側でわかるものじゃないのですか?」


「わからぬ!」


「そ、そんな自信満々に言われても、私もわかりませんよ……?」


「まあ、そうじゃよな。試しに、アルトの力を使うのと同じような感じで我の力を使ってみてくれぬか?」


「中々難しいことを仰いますね……。ううん、神官の修行過程を考えると……まずはイナリさんの力を知覚するところからでしょうか」


「うむ。お主は我の神器を判別できるのじゃから、それはつまり、我の神の力を知覚しているに等しいこと。それを応用すれば容易いのではないか?」


「なるほど。ちょっとやってみましょうか……」


 イナリは懐から短剣を取り出してエリスに渡し、しばらく目を閉じて集中するエリスを眺め、考える。


 こうしていると白い外套も相まって、神聖さ溢れる敬虔な神官らしいのだが、実際は普段は隙あらばイナリを抱き締め、尻尾や耳を撫でまわして興奮する、端的に言えばかなりアレな人間である。一体どうしてこうなったのだろうか。自分のせいか。


 いつからそうなのかは知らないが、彼女はイナリ信者と化す前から、既に結構イナリのせいで人生を狂わされているのではないだろうか。


 まあ、地球で近所の農家に崇められていた頃よりも集中的かつ具体的に自分が求められている状況は、自分が必要とされていることが確実であるという点で、悪くない気分ではあるのだが。


 そんなことを考えていると、エリスが声を上げる。


「……あっ、何か掴めた感じがします」


「ほう。では何かやってみるのじゃ」


「な、何か、ですか……?詠唱はどうしたらいいのでしょう?」


「知らぬ。無言でも発動すればそれでよかろ」


「そ、そうですか……う、うーん……偉大なる先人はどのようにしたのでしょうかね……」


「そも、聖魔法なるものをどのように行使するのかは知らぬが、とりあえず、我の力でできそうなことを思い浮かべてみるのはどうじゃ?」


「なるほど……では……『生えろ』、とか……?」


 エリスが首を傾げつつ、手を構えて適当な命令を告げると、丁度手が向けられていた辺りの芝生がもこもこと成長していく。


「おぉ!成功したようじゃぞ!」


「なるほど、豊穣神ともなると、こういった方向性になるのですね……」


「しかし、創造神たるアルトの力は回復やら結界やら、色々あるのじゃろ?何か他にもあるのではないか?」


「そうですねえ……豊穣神を少し拡大解釈して、植物を司る神として考えてみましょう。逆はどうでしょうか?『朽ちろ』」


 エリスが先ほど成長させた芝生に向けて告げると、少しずつ芝生から水気が失われてゆき、三十秒ほどで干からびた。


「お、ぉお……す、すごいのう、うむ……」


 その光景を見た豊穣神は、割と本気で引いた。


「ちょ、ちょっとイナリさん、何でそんなに驚いているのですか?」


「いや、だって、我、豊穣神じゃよ?植物を愛で、育み、生けるものに恵みを与える神じゃ。その力がこんな風に使われて……複雑な気分じゃ……」


「あ、ああ、そういうことでしたか……すみません、配慮がなっていませんでした……」


「いやまあ、実験じゃしな。それに、我の成長促進よりは使い勝手があって良いのではないか?特定の場所だけ植物を成長させるとか、人間にとっては便利じゃろ?」


「……まあ、はい。……あ、イナリさん、風刃ってありましたよね。あれも私に使えるでしょうか?」


「ああ、我、風を操れるからの。色々できると思うのじゃ」


「あれ?風刃だけじゃなかったんですね?」


「……そういえば、お主らには隠しておったままだったやもしれぬ」


「……まあ、深くは聞かないでおきましょう。では……『風よ、ここに集え』」


 エリスが右手の掌を上にあげて唱えると、そこに風が集まっていく。


「『放て』」


 集まった風が前方に向けて飛んで行き、隣の家を仕切る柵にぶつかって霧散する。


「おぉ、これもいい感じじゃ!」


「そうですね。ただ、風刃のようなことは難しそうです。上手く言葉にできないのですが、風を集めた段階でかなり不安定というか……行き場が無い?感じでしたね」


「なるほどの。まあ、風刃は我が疲れる程じゃからな」


 エリスの言葉にイナリはうんうんと頷いた。


「それに、これなら風魔法の方が強いかもしれませんね」


「えっ」


「先ほどの草を生やしたり枯らしたりしたのも、草魔法で事足りそうですし」


「……えっ?」


「それに、リズさんが使っていた魔法と同じ要領で発動できていたように思えますし、だったら普通の魔法で良さそうな感じがしますね……」


「…………ぐすっ、そんなこと、いわなくても、いいじゃろ……」


 イナリは静かに泣いた。それを見たエリスが慌てふためいたのは、最早言うまでもないことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る