第182話 家は何処? ※別視点

 アースは魔の森とメルモートの街の間、ヒイデリの丘に転移すると、まずはメルモートの街を遠目に確認する。


「ふうん。あれがイナリが暮らしていた街。悪くはないわね」


 アースは目的地を確かめると、周囲に誰も居ないことを確認しながら、街へ向けて歩を進める。


 イナリが神器を持ってきてほしいなどと言い始めたときは何事かと思ったものだが、事情を聞けば、ただのパシリというわけではないようだったので引き受けたのだ。


 ついでに、これはイナリと数億年規模で開いてしまった距離を縮める契機にもなっている。全体を見ればほんの一瞬にも満たない期間でしかないけれども、一日を共に過ごせたのは非常に大きいと言えるだろう。


 助けを求められた時点で薄々と感じていた事ではあるが、見た限り、イナリがアースに対して、長い間放置していた点以外でわだかまりがある様子はなかった。


 殺伐とした関係になることも覚悟していたアースとしては、杞憂で済んでよかったと思う反面、少々脇が甘すぎるのではないかと思わないこともない。


 それに、雨風吹き抜け放題のとんでもなくショボ……こじんまりとした小屋で暮らしていたのも心配だ。そんな環境で平然と暮らしている様子は、同情を禁じ得なかった。


 イナリがあんなことになっている原因の内、何割くらいが自分のせいだろうか。アースが与えるべきものはいくらでもあったのでは……?


 そんなことを考えつつアースが街門へと差し掛かると、門番と思われる二人組が手に握る槍を交差させ、アースの前に立ちはだかる。


「……何よ」


「申し訳ありませんが、獣人がこの街に入るには、身分証と通行許可証が必要です」


「獣人?私は獣人じゃないわ。だから通してもらうわね」


「お待ちを。その耳と尻尾は飾りではございませんよね?」


「……?ああ、なるほど?」


 どうやら姉妹感を強めるために生やした狐耳と尻尾によって問題が発生したらしい。だが、これはイナリと距離を近づけるための必要な措置であったのだから、やらなければよかったなどと思うことは無い。


「つまり、郷に入っては何とやらってことよね?じゃあその……身分証と許可証を発行してちょうだい」


「いえ、我々は一介の兵士でしかありませんので、申し訳ありませんが……。いずれも基本的には、冒険者ギルド他主要施設での発行となりますので」


「冒険者ギルド!私、そこに用事があるのよ。案内してもらってもいいかしら?」


 聞き覚えのある、というか目的地そのものが話題に上がり、アースはこれ幸いとばかりに声を上げた。


「いえ、しかしそれには身分証と許可証が……」


「……つまり、街に入るのに必要なものを発行している場所が街の中にあるって事?実質締め出しと変わりないじゃない。一体何を考えているの?」


「……非常に申し上げにくいのですが、少し前までは仮通行証を発行できたりもしたのです。しかしここ最近の情勢もあって、獣人の出入りには非常に厳しくなっておりまして……」


「……ふうん、そう。じゃあいいわ」


「大変申し訳ございません」


 アースは頭を下げてくる兵士を一瞥すると、裾を翻して街門を離れる。


 背後からは「暴れ出さなくてよかった……」とか、「貴族とかじゃないよな?」などという会話も聞こえてくる。狐の大きい耳は、遠くの音や小さい音も拾えて便利だと思っていたが、聞かなくていいところまで聞くことになるのは考え物かもしれない。


 そしてアースは、街門に立っている兵士の視界から外れると、道を逸れて引き返し、そのまま街を囲む壁の下まで移動する。


 街の壁は「聳え立つ」と形容するには少々低いように思える。しかし、壁に使われているレンガの表面はよく磨かれており、足を掛ける場所は全くない。生身で乗り越えるにはやや苦労しそうだ。


 壁を見てそう評価したアースは、壁に人差し指で四角を描いて切断し、足で蹴って穴を空けた。


「獣人が入っちゃダメとは言われたけれど、私は神だから対象外よね」


 アースは素早く穴を潜り抜けると、蹴り落とした部分を両手で持ちあげて壁に戻し、一撫ですると、壁は完全に元通りになった。


「……よし、目撃者も居ないわね。冒険者ギルドはどこかしら……」


 街に侵入したアースは、ひとまず街の中央へ向けて歩くことにした。




「ここが冒険者ギルド。全く、この世界の人間は狭量ね。主要施設だってのに、こんなに時間がかかるとは思わなかったわ」


 アースが冒険者ギルドに到達するまでにはそれなりの時間を要した。


 というのも、アースが道を尋ねようと話しかけると、用事があるなどと言って離れていったり、全力で謝られたりしたからだ。道を尋ねるだけで、どうしてこんなに疲れないといけないのだろうか。


 また、途中で横着して「『虹色旅団』の家を知らないか」と聞いてみたりもしたが、わからないか無回答かのいずれかであった。


 アースは冒険者ギルドの前に立って建物全体を一望する。この間も、周囲の人間からはチラチラと視線が向けられているのがわかる。端的に言えば、不快の一言に尽きる。


 アースはその視線を遮るようにさっさと冒険者ギルドへと立ち入ったが、施設内の人間からも同様の視線が向けられ、その視線が遮られることは無かった。用事を済ませたら、こんな街はさっさと撤収するに限るだろう。


「……あそこが受付ね」


 ギルド内部を見回したアースは、すぐに自分が行くべき場所に当たりをつけた。


 内外問わず変な視線が刺さっている今、受付に並んでいる人を全部すっ飛ばして要件を切り出したい気分だが、そんなことをして事態が好転することが無いことはわかりきっている。ここは甘んじて並んでおくことにしよう。


 アースが列に並んで待っていると、自分の前に並んでいた少女に声をかけられる。


「あの、綺麗なドレスですね」


「……何?」


「い、いや、えっと。ごめんなさい。それだけです……」


「……そう」


 あちこちから好奇や警戒の入り混じった視線を向けられていることもあって、話しかけてきた動機を予想しながら返事をしたら、思いの外低い声が出てしまった。


 純粋に話しかけてくれただけの彼女には少々申し訳なさを感じないこともないが、あれこれ話を振られても、この世界の者でないことが露見するだけなのだから、これで良かったはずだ。


 アースはやや居心地の悪さが加速した状態で列に並び、やがて自分の順番が回ってくる。


「お待たせしました。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 受付が笑顔で話しかけてくるので、アースはカウンターのそばに歩み寄ってから用件を口にする。


「『虹色旅団』の家の場所を知りたいのだけれど」


「……大変申し訳ございませんが、そのご用件は承りかねます」


「……どうしてか聞いても?」


「冒険者の居住地他個人情報は、トラブル防止の観点より、特別な理由がない限り開示できかねるためです」


「なるほど、特別な理由がいるのね?私、イナリの姉なの。それでは不十分かしら?」


「……それを証明して頂ければ問題ございません」


 受付から僅かに敵対心を感じたようにも思えるが、そういった人間はこれまでもたくさん見たので、特に気にしないでおくことにした。


「証明ねえ。私の耳と尻尾がその証よ?」


 アースはイナリと関連のある物品などは一切持っていないので、ダメ元で自分の身体的特徴を証明手段として主張することにした。


「申し訳ございません、私からはその判断はつきかねます……」


「……まあ、そうよね。予想はしてたけれども……。うーん、困ったわね。あなた、何かいい方法は思いつかない?」


「そうですね……。通常、ご姉妹でしたら、魔力の質の類似性から判定する方法もございますが……イナリ様は魔力を有していらっしゃらないので、この方法は難しいでしょうね……」


「そうねえ……」


 何なら、アースだって魔力を持っていない。これで証明にならないかとも思ったが、決定打に欠けることには変わりないだろうから、その点については何も言わないことにした。


 そんな調子でアースと受付が話し込んでいると、アースの背後に並ぶ集団からの、不快感を伴った視線がどんどん増えていくのを感じる。何と居心地の悪いことだろうか。


「……大変申し訳ございませんが、ご姉妹であることを証明できるものをお持ちの上、再度お越しになっていただけると――」


 受付もそれに思うところがあるのか、既にアースの話を畳む方向性に舵を切り始めていた。


 しかしここで、アースの耳が入り口の方から何者かが駆け寄ってくる音を拾う。


「……?この音、一体――もがっ」


 振り向いたアースの視界は一瞬で白で埋めつくされた。


「イナリさん!イナリさんがいる!!!」


「エリス、それはイナリじゃない!落ち着け!」


「ちょっと、何このイナリ信者!?離れなさいよ!」


「皆さん、すみません!すぐに収束させますので!」


 今受付の前に居るのは、小麦色の髪を持った狐少女の幻覚を見る神官、それを全力で止めにかかる剣士と盗賊、全力で腕から逃げ出そうとする創造神。


 ギルドは一瞬にして混沌と化した。

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