第178話 要塞は迷宮 ※別視点あり

「ふう、はあ、はあ……。やはりあやつら、我を陥れようとしていたのじゃな……」


 現在イナリは、要塞内部の人気が無い物置きの木箱の裏に隠れている。


 ここまで、イナリの攻撃に不意を突かれたディルがイナリを解放し、すれ違った数名の兵士は突然現れたイナリを反射的に避けてくれたのはかなり運がいいと言えよう。


 ひとまず身の安全を確保したイナリは、肩で息をしながら不可視術を発動する。


 エリックについてはわからないが、少なくとも、ディルに関してはイナリの居場所をすぐに突き止めてくる可能性がある事を考えて、念には念を入れていかねばならない。


 不可視術を発動させたら、しばらく木箱にもたれかかって息を整え、しばし冷静になる。


「……我はこれから、どうしたらよいのじゃろうか……」


 あくまで逃げるためとはいえ、あのような行動をしてしまった以上、間違いなく、不可視術無しでこの街を歩くことはできないだろう。ともすればここにいる意味も無いし、森の自宅に帰るのが無難か。


「エリスに助けを求めるか?いや、しかし……」


 エリスが教会に仕事に赴いたところを狙ってイナリを連れ出した辺り、主犯はエリックとディルだろう。


 言葉が通じたころのエリスの発言を鑑みれば、彼女がイナリの味方をしてくれる可能性は高い。何なら確実と断言してもいいほどかもしれない。


 しかし、エリスは専ら守る事に長けたタイプの人間だ。仮にエリスが味方になってくれたとして、攻撃手段を持つエリックとディルに囲まれたら防戦一方だし、犯罪者を擁護したともなればエリスもただでは済まないだろう。


 もっと言えば、今のエリスは教会にいる。そこには不可視術を貫通する、いまいち立場が定まらない聖女がいるし、神器を管理する団体の総本山みたいなものなのだから、好んで近づこうとは思えない。


 また、別の懸念もある。もしエリスの態度の変容も今の出来事と関係していたとしたら、ということについてである。


 もしエリスもこの計画に頷いていて、イナリが助けを求めたときに拒絶されたら、それはつまり、二度目の切り捨てを経験することになるということだ。その時、イナリの心は堪えられないだろう。


 そんな恐ろしいことになるのならば、あえて知らないでおくのも一つの選択だ。


「助けを求めるのはナシじゃな。我が家に帰るのじゃ」


 イナリは要塞を脱出し、魔の森の自宅まで帰ることにした。


 イナリは立ち上がって通路へ出た。


「……ところでここ、どこじゃ?」


 無我夢中で走ったイナリは、現在の居場所がわからなくなっていた。




「はあ……やっと外じゃ……」


 イナリが要塞を脱出する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 その道中も中々に大変で、同じ場所を延々とぐるぐると回ったりもしたし、必死な形相でイナリを探すディルやエリック、さらには見知らぬ兵士達とも幾度となくすれ違った。


 そんな彼らもやがて諦めたのか、しばらくしたらすれ違うことは無くなり、夜にもなれば皆眠りについたのか、誰も居ない薄暗い要塞に変貌した。


 イナリしか存在しない、同じような景色がひたすらに続く要塞は、イナリの精神力をガリガリと削っていった。


「疲れたのじゃ。実も尽きてしもうたし、もう寝たいのじゃ……」


 イナリは月明りに照らされる街道をふらふらと歩いていた。


「ううむ、要塞内の一角で寝るのもありだったのう。しかしここまで来たら、このまま家まで歩くほかあるまいな。日の出前には着くじゃろうか。……そういえば」


 イナリは懐に入っているカードを取り出した。冒険者証である。


「人間社会に居られなくなった今、これはもう我には不要じゃな」


 イナリはカードに刻まれた読めない文字をしばし名残惜しく見つめると、それをぽいと投げ捨てた。


「まあ、楽しくなかったと言えば噓になるが。やはり神は人間と相容れぬということじゃな」


 結局この話は、神器を管理したい人間の事情と、神器を渡したくない神のエゴが衝突しただけの話。折り合いがつかなくなったら関わりを断つというのも自然な話だ。


「……良き関係を築けていたと思ったんじゃがなあ」


 イナリはやや冷えた夜の空気を感じながら一言呟くと、静かな街の中を歩いた。




<ディル視点>


 俺たちは今日、イナリの呪いを解くカギを見つけるべく、要塞に収監された犯罪組織の連中とイナリを会わせることになっていた。


 だがイナリは記憶が無くとも本能的に恐怖を感じ取ったのか、俺を尻尾で殴りつけると一瞬で姿を眩ませてしまった。


 当然、俺は全力で要塞を探し回ったが、イナリの逃げ足は小柄な体格も相まってか、終ぞ見つかることは無かった。


「エリック、そっちは……見つからなかったか」


「うん、残念だけど……」


 合流したエリックと話し合う。その表情は暗い。


「悪いな、俺があいつを離さなければこんな事には……」


「いや、一緒に居た僕が責めることはできないよ。それより、イナリちゃんがどうなってるか……」


「少なくとも無事だとは思うが……」


 実を言えば、早い段階でもう見つからないだろうことは予想がついていた。イナリには不可視術とか言う、一部の特例を除いて無条件で認識が出来なくなる、盗賊の面目丸つぶれ、理不尽の権化のような能力があるのだ。


 しかも厄介なのが、不可視術は記憶にも作用するという点だ。イナリを探すように近くの兵士に頼んだら、さっきまで目の前にいたのに「一体どんな子ですか?」とか言い出すのだ。それを教えて捜索してもらっても、しばらくするとまた「我々は誰を捜しているのでしたっけ……?」などと尋ねてくるのだ。一体どういう理屈だ?


 普段は神らしさの欠片も感じさせないくせに、こういうところはしっかり神らしい理不尽さだ。


 ともあれ、その様子からしても、イナリが既に不可視術を発動しているのは明白だ。ダメ元で捜しまわってはいたが、俺たちが見つけることは不可能だろう。


 イナリは温厚な性格だから逃げることしかしないが、不可視術を発動した状態で後ろから刺されたりしたら、俺たちにはどうしようもない。本当に不可視術の持ち主がアイツで良かったと心から思う。


「にしても、どこ行きやがったんだアイツは。記憶喪失しても人騒がせな奴だな……」


「もしかしたらエリスのところに行ったのかもしれないね」


「確かに。アイツは今朝、エリスの事を気にしてたし、あり得るな」


「そういうこと。多分そろそろ退勤の時間だろうし、行ってみようか」


 エリックの提案に従って、俺たちは教会へ足を運んだ。




「おや、お二人とも、どうしたのですか?今日はイナリさんと要塞に赴いていたのでは?イナリさんはどちらに?」


 教会のメインホールで待っていた俺たちに気がついたエリスは、近づいてくるなり周囲を見回しながら尋ねてくる。


 俺たちはそれを聞きに来たのだが、エリスがこう質問してくるということは、イナリはここに来ていないということだ。しかし、確認はしておくべきだろう。


「エリス、ここにイナリは来なかったか」


「イナリさんですか?来ていませんけれど。どうしてですか?」


「……エリス、落ち着いて聞いてほしいんだ」


「な、何ですか急に。イナリさんに何かあったのですか?」


「……イナリちゃんが……逃げちゃったんだ」


「……はい?」


「要塞に入ってからは終始怯えていたんだがな、呪いを解くためだと思って無理やり連れていったら……逃げちまった」


「そ、そうでしたか。で、ですが、見つかったのですよね?」


「……その、不可視術を使われてしまったみたいで……」


「そ、そんな!ではどうするのですか!?」


 エリスが声を上げる。周囲からの視線が集まるが、そんなことはお構いなしだ。


「イナリが不可視術を解除しない事にはどうにもならん。正直、俺たちがアイツについて話せているのも奇跡に近いんだ。大半はイナリの姿すら思い出せなくなっている」


「そんな事って……。ああ、私がもっとしっかりしていれば……」


 エリスが床に崩れ落ちる。


 イナリが記憶喪失になってからというもの、ずっとエリスは自分を責めていた。曰く、自分がイナリの呪いに気づけなかったのは、イナリを愛でることに傾倒しすぎて他が疎かになっていたからだとか。その自戒として、しばらくイナリとの接触を自粛し、自分の仕事に集中していたらしい。


 だが、イナリはその必要を感じていなかったようだし、今のエリスはどこかやつれているように見えなくもないし……何とも言えないところだ。


「エリス、今の状況は僕にも落ち度があるし、ひとまず探索は続けるつもりだよ。それで、イナリちゃんが行きそうな場所で思い当たるところはあるかな」


「……イナリさんは同じ場所に留まりたがる傾向がありますから、やはり自宅だと思います」


「……わかった。明日、魔の森に行ってみようか」


 エリスが小さい声で返事を返す。こうして俺たちは再び魔の森に行くことになった。

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