第174話 呪いの解呪 ※別視点

<エリス視点>


 私はイナリさんの手を引いて、教会の奥の一室へと向かいます。


 ここまでの道中、記憶を失くした状態で街に来るのはさぞ不安な事でしょうに、イナリさんはしっかり私たちの事を観察しています。


 しかも、この短い間に私の名前や教会に行くということは理解しているようです。何と賢いのでしょうか。イナリさんが拙い発音で私の名前を呼んでくれた時には、思わず涙を流してしまいました。


 それと同時に、イナリさんの境遇に対する哀れみや、彼女をこんな状態にした者に、そして、ずっと一緒に居たにもかかわらず呪いの存在に気がつけなかった私に対する怒りが湧いていました。


 私がしっかりしていればこんなことになるはずが無かったのに、代わりに何をしていたのかと言えば、イナリさんが私を受け入れてくれることに甘んじて、好き放題触れ合わせてもらっていただけ。


 私がイナリさんを守るという約束は、全くもって果たせていません。これでもし呪いが深刻で、今までの記憶が戻らないなんてことになったら、果たして私はどう償えば……?


「イナリさん、大丈夫ですからね」


 私は不安そうな表情になっているイナリさんに向けて、そして同時に、自分にも言い聞かせるように呟きました。


 そして目的の部屋に入ると、一人の老人の男性が待っていました。


「おはようございます、エリス殿。今日はどのような用でしょうか?」


「おはようございます、ファトラ様。私のイナリさんが罪人に呪いをかけられてしまったので、解呪をお願いしたいのです」


 ファトラ様は、このアルト教教会メルモート支部の副神官長です。


 回復術師を兼任する聖女様のように、副神官長であるファトラ様もまた、解呪師という役職を兼任しています。どうやら、つい先日神官長様が戻ってきたおかげで、普段の役職である解呪師の役割に戻ったようです。


 激務から解放されて肩の荷が下りたのか、目に浮かんでいた隈もすっかり消えています。


「となあっつありねおぜをぜをろおよを……めいあもじゃ……」


 私たちが喋り出すと、イナリさんが苦悶の表情で口を開きます。何を言っているのかはわかりませんが、辛そうです。


「……確かこの子は……エリス殿のところで保護しているお子さんでしたかな」


「はい、イナリさんと言います」


「イナリ殿ですな。こんな幼いうちに呪いにかかるとは、なんと可哀そうな事でしょう……。見たところ、意思疎通が困難になる類の呪いですかな?」


「それなのですが、私は記憶喪失の類と見ています」


「むむ、ではこの言葉は一体……?」


「これまでの生活の中でイナリさんは私達と違う言語を使っていた様子が見られました。よって、記憶が無くなったことで言語に関する記憶が丸ごと喪失し、喋ることが出来なくなったと考えています。それに、言葉が話せなくなるだけでは説明できない行動がありましたので……」


「なるほど。ひとまず呪いを確認してみましょうかな。ここに座って……少々手をお借りします」


 ファトラ様がイナリさんの手を取って椅子に座らせると、目を閉じ、集中します。


「ける、となわさつありのじゃ?」


「この方はイナリさんを助けるために力を貸してくれているのです。落ち着いてください……」


 ファトラ様の行動にそわそわとし始めるイナリさんを宥めます。


 これは解呪師が呪いを見つける一番基本的な方法で、解呪師が解除できる技量がある呪いほど、わかりやすく、はっきりと反応が返ってくるらしいです。私には素質が無かったので具体的な表現は出来ませんが、そういうことみたいです。


 そして呪いを検知したら、解除方法を探ります。


 大抵の場合は、呪いを受けた対象と呪いをかける媒体となった人、物、魔物、空間などの間にある線のようなものを辿り、大元を断つことで解除となります。


 ただし、呪いを解除したところで呪いをかけた術者が誰かはわからないので、呪いを受けた対象の行動や人脈、呪いを受けるきっかけなどを考慮して絞ることになります。


 そういった事は探偵という職業の方が専門的に受けていることもありますが、今回のイナリさんの事例の場合は、イナリさんの人脈の狭さを考えれば、以前の犯罪組織の者であることはすぐにわかります。


 そういった理由から、エリックさんとディルさんには街の守衛の方へ話をつけに行ってもらっています。


 ……ただ、今思ったんですけど、これ、聖女様の時みたいにイナリさんが神っぽいみたいな話になりませんよね?何か急に不安になってきましたし、万が一の時は、今度こそイナリさんを守らないと……。


「んん……?これは……」


 ファトラ様が怪訝な声を上げます。これはマズいかもしれません……。


 私がイナリさんの両肩に手を置いて、何時でも運べるように待機します。ここから抱え上げるのはやや厳しい体勢ではありますが、そこは私がどうにかするほかありません。


「ファトラ様。何かございましたか?」


 緊張に手が汗ばみます。私が探りを入れると、ファトラ様は僅かに震えた声で返してきます。


「……呪いが……検知できないですな……」


「えっ?」


「いや、しかし……もうしばらくお待ちを」


 ファトラ様はすぐに平静を取り戻し、再びイナリさんの手を握って目を閉じます。しかし私は動揺が隠せません。先ほど脳裏によぎった最悪の展開が現実味を帯びつつあります。


 ファトラ様が呪いを検知できないということは即ち、彼でも解除できない呪いであるか、そもそも呪いなど存在しないかの二択ですが……。どちらもにわかには信じがたいです。


 後者については考えるまでもなくありえないとして、前者については、ファトラ様は今でこそこの街に滞在して副神官長をしていますが、かつては世界中を回る程の腕利きの解呪師であったのです。彼が解除できないとなると、それ以上の技術を持った解呪師を見つけるのは、魔の森の中で失くした家の鍵を探すようなものです。


 ただ、気になっていることもあります。


 まず、虹色旅団だけでも半分以上制圧出来た程度には練度の低い犯罪組織の集団の中に、ファトラ様ですら解除できないような呪いをかけられる者が存在するのか、という点です。


 これについては、犯罪組織に居れば呪いの手段くらいは知っているでしょうし、呪いをかけることもできるでしょう。しかし、ファトラ様が解除できない程の呪いがかけられるかと言われれば……あそこを逃げ延びた者が第三者に委託するくらいの事でもしないと、無いと言い切って良さそうです。


 そして、そもそも神であるイナリさんに呪いがかかるのかという点も気になりますが、こればかりはイナリさんに聞くほかありませんし、意思疎通ができないうちはどうにもならないでしょうか。


 ……あるいは、イナリさんの神の力が呪いの検知を難しくしている、とか……?


「うーん……、無いとは、言い切れないですかね……」


「……エリス殿」


 私があれこれ思考を巡らせていると、ファトラ様が私に声をかけてきます。しかしその表情は暗く、私に嫌な予感を感じさせます。


「……ファトラ様、どうでしたか?」


 正直、聞かなくても展開は予想できます。しかし、それが思い違いであってほしいと願いながら、ファトラ様の言葉の続きを促します。


「……私の力及ばず……申し訳ございませんが……」


「……そうですか、わかりました。時間を割いていただき、ありがとう、ございます……」


 ファトラ様の言葉に、一気に視界がぼやけ、体の力が抜けていくのを感じます。


「えりす。どいさそのじゃ?とぜとあつありのじゃ……?」


 イナリさんが困惑した表情で私を見上げてきます。この子は、見た目は今までと一切変わりませんが、私との記憶は全て無くなってしまっているのでしょう。


 何となくわかっていた事ではありますが、いざ言葉にして伝えられると、一気に私の中の感情がこみ上げます。


 ファトラ様はそんな私に気の毒な人を見るような目を向けつつ、優しく私に声をかけてきます。


「……諦めるのは私の流儀に反しますので、こちらでも情報収集してみます。私はお先に失礼させていただきますが、今日、この後部屋を使う予定はございませんので、しばらく休んでいっても結構ですよ」


「はい……」


 扉が閉じる音が部屋に響きます。


「イナリさん、ごめんなさい……」


「えりす、どいさそのじゃ。とをねのとさじゃ?」


 私は、純粋な目で私を不思議そうに見るイナリさんに縋って、謝り続けることしかできませんでした。

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