第173話 記憶喪失? ※別視点あり
<エリス視点>
「呪いだあ?」
私の発言に首を傾げるのはディルさんです。
「呪いか……聞いたことはあるけど。記憶喪失なんてあるの?」
「はい。解呪は専門職でないとできませんが、呪いの症状に関しては神官になる過程で必ず教えられることです」
「その、仮にイナリを恨んだやつがいるとして……何で記憶喪失なんだ?もっとこう…… 色々あるだろ?」
「言いたいことはわかりますよ。呪いと言えば大半は苦痛第一みたいなものばかりですからね。しかし、右足の小指だけが痒くなる呪いのような嫌がらせレベルの物から、遅効性のものや長期的に影響を及ぼすものまで、細かく見ていくと色々なものがあります」
「記憶喪失だという根拠は?呪いの種類には詳しくないけれど、言語不覚とか、そういう類のものもあるんじゃないの?」
「あるにはありますが……イナリさんの身の上を考えると、元々言葉を知らなくても無理はありませんし、それに、ここに来る意味が分かりません。記憶喪失で私たちの事や言語を忘れたのならば、自宅がここだと認識して、帰ってくるのも頷けます。帰巣本能とでも言いましょうか。少なからず、獣人にはそういったものがあると聞きますし。……あと、イナリさんはここまで私達の名前を呼んでくれませんし、何だか私に対して態度が冷たい気がします。これは記憶喪失に違いありません。寧ろそうであってほしいです」
私は皆に己の考えを力説します。
「最後だけ願望が混ざってないか……?」
「うーん、名前を呼んでくれないって、たまたま呼んでいないだけじゃないの……?」
「まさか。普段のイナリさんは私を見たら、名前を呼びながら胸に飛び込んできてくれます」
「そうだったかなあ……」
「俺たちが知ってるイナリと別人の話をしているのか……?」
「エリスならあり得るんだよなあ……昨日の夜も虚空にご飯食べさせてたし、途中まで、イナリちゃんが不可視術を使ってるだけで、そこにいるものだと思ってたぐらいだし……」
何やら失礼な事を言われていますが、何と言われようが私は気にしませんよ。ええ。
「それでエリス、イナリちゃんはどうするの?」
「……とりあえず街に戻って、教会に連れて行って呪いを診てもらいましょう。幸い私に大人しく抱えられてくれていますし、問題ないでしょう」
「わかった。この件はエリスに主導してもらってもいいかな。門外漢の僕より、ある程度知識がある人の方が適任だよね?」
「そうですね、任せてください!」
私は胸を張って答えます。イナリさん、私が貴方を助けてあげますからね!
<イナリ視点>
「終始、何を言ってるのか全く分からんかった……」
イナリはエリスに抱えられて街に戻ってきて、今はエリックとディルとは別れ、エリスと手を繋いで街を歩いている。
ここまではずっと皆の会話に意識を割き、少しでも言葉が理解できるように努めたが、その努力は実らず、ずっと混乱することしかできなかった。
今まで普通に会話していた人が突然まるっきり違う言語を話しだすという体験は、なかなかに壮絶だ。
特に、今まで当然のように交わしていた意思疎通は全て不可能になるし、何より何を話しているのかが全く分からないのがものすごく不安を煽る。もしかしたら、ディル辺りは「めんどくせえし捨てて行こうぜ」とか言っているかもしれないのだ。
それに、「イナリ」の発音が微妙に変わっているのも気になる。厳密に表現するなら、「イネィリ」に近い感じの呼び方になっていて、一瞬自分が呼ばれているのがわからないことがしばしばある。
当然、エリス達の名前も微妙に違う。厳密にいえばエリスは「ェイリス」に近いし、エリックも「エゥリク」と言った方が適切だ。なお、ディルは「ディル」であった。
「Et イナリ de zhelme」
イナリの不安が伝わっているのか、エリスは定期的にイナリの名前を呼んではこのフレーズを繰り返し呟き、立ち止まってイナリの頭を撫でる。恐らくイナリを安心させるための言葉なのだろう。
それに、イナリの名前の前には必ず「エト」という言葉がついている。これは恐らく、「イナリさん」の「さん」にあたる部分のように思われる。会話中も、人の名前を呼ぶ際には必ずくっついていた言葉だ。
アルトに言語モジュールをさっさと付与してもらえればそれに越したことは無いが、少なくとも皆の普段の言動から何を言っているかの推測が出来るので、完全な零からの言語習得よりは幾分か楽そうだ。
それにしても今、自分はどこに向かっているのだろうか。少なくとも、家に向かう道とは反対の方角に思っているのだが。
イナリはエリスの袖を軽くつまんで名前を呼ぶ。
「エリス」
そして、家の方向を指さしたあと、現在歩いている方向を指さし、今いる場所を指さし、といった具合でジェスチャーによる意思伝達を試みた。
エリスは一瞬驚いた表情をつくった後、イナリの様子を眺め、意図を理解しようと考えこむ仕草を見せる。しばらくすると、漸く意図が伝わったのか、エリスは教会の方を指さして答えた。
「Owel de gerenay althometica meozetta…… emm, wehit, aste, vilda. Quet de mim stemic ?」
「……教会か?」
恐らく、どうにか伝えようとゆっくり喋ってくれていたことは分かったが、言っていることは本当にまるで分らなかった。しかし、身振り手振りやエリスが身につけているペンダントなどから当たりをつけた。
「Quet de misto mim stemicast, Et イナリ? ……Phasmeticola!」
エリスはイナリの頭を再び撫でる。果たして正解なのかは分からないが、少なくとも、イナリが何かしらの回答を導いたことを褒めているらしい。
「……Et イナリ, mim de kalmy yemet yelis quetic, itely. Yem de yelis, kalmy!」
エリスはしきりに己を指さして自分の名前を呼ぶ。これは恐らく、イナリにもう一度呼ばれたいという要望なのだろう。果たして今することなのかはわからないが、この推理が正しければいくらか言葉を知るための判断材料になるだろう。
「エリス……む?」
イナリがエリスの名前を呼ぶと、彼女は白昼堂々、イナリにゆっくりと抱きついてきた。流石にわずかばかりの羞恥心が喚起されたために引き剥がそうとも思ったが、その目に薄ら涙が浮かんでいたのを見て、甘んじてそれを受け入れる。しかし……。
「今までも散々名前を呼んだじゃろうに、何故今になってこんなに喜ぶことが……?」
イナリは首を傾げた。
どうやらイナリの推理は正しかったらしく、エリスに手を引かれてイナリは教会につき、エリスが神官の一人と会話する。そして、かつて破邪魔法を受けたときのようにしばし広間で待たされた後、教会の奥の一室へ案内される。
「な、何故我はここに?まさか、またようわからん魔法を受けるのかや……?」
「Et イナリ de zhelme」
イナリが不安がっていると、再びエリスが異国語でイナリを宥める。そして部屋に待機していた老人の神官がエリスと会話を始めた。
「Mid ostol et yelis. Quet de wit vitelor ?」
「Mid ostol et fatola. Yemo Et イナリ de velment vixtant loy hammoc. Yem de itely mimet covixta heit」
「何言ってるのか全然わからん……もう嫌じゃ……」
そもそも、元々教会に来る予定はなかったはずだし、となると言葉が伝わらなくなったことがここに来るきっかけになるのだろうが、それと教会に来ることとの因果関係が意味不明だ。
エリスがイナリを励ましてはくれるが、もしこの会話の内容がイナリの引き渡しだとか、イナリにとって都合の悪い何かだったらと思うと怖くて仕方が無い。
そんなわけで、言葉が通じなくなって半日も経たずして、イナリは早くも限界を迎えつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます