第124話 回復術師の仕事 ※別視点あり

 既に計画の綻びが見え隠れしているが、かといって計画を変更するわけにもいかない。


「では不可視術を発動するのじゃ。エリックよ、しばし他所を向いておるのじゃ。……あ、その前に、この帽子はちと邪魔じゃから、どこかに置いておいてほしいのじゃ」


「うん、わかったよ」


「あ、ああ、折角夜なべしてイナリさんの耳のサイズを調べたのに……」


「……まさかとは思うが、我の尻尾も調べたのかや?」


 帽子も服も妙に自分の体にぴったりだと思ったら、何やらイナリが寝ている間に、エリスが色々していたようだ。


 何故か残念がっているエリスは放置して、イナリはエリックに麦わら帽子を手渡した後、エリックに背を向かせて不可視術を発動し、その効果を確かめるべく待機しているエリックの前に立つ。


「……しっかり発動しているみたいですね」


「僕には全く分からないんだけど、エリスには、その……イナリちゃんが見えてるんだよね。不思議な感覚だ……」


「私はまだそちら側を体験したことが無いですが、凄まじい違和感があるのでしょうね」


「我の術の発動は確認できた故、疾く行こうではないか」


「そうですね。ではエリックさん、今度こそ私たちは出ます」


「うん、いってらっしゃい。うまく行くことを祈っているよ」


「ええ、絶対にうまくやってみせますとも。ではイナリさん、一緒に行きましょう」


 エリスはエリックにそう返し、イナリの手をやさしく掴んで外に出た。


 外を歩けば、庭の花に水をやる者や、若干疲れた顔で庭に生えた雑草を刈り取る者、手紙か新聞か、そういった類のものを家に投函していく者など、街で生活する人々の姿が見られる。


 近所に住む者の中にはエリスに挨拶をする者もいて、エリスは笑顔と共に挨拶を返している。


 それを眺めていたイナリは、ふと呟く。


「この、我の事を誰も認識しない感覚、久しいのう」


「……いやイナリさん、これまでも結構例の術を使ってましたよね?」


「あいや、ここに来た当初の事故の時のようなものや、森で使用するのとはまた違うのじゃよ」


「そうなのですか」


「うむ。誰も我の存在に気づかぬから、面白そうな事があれば特等席で見ることが出来るのじゃ。この感覚は、自身が姿を隠していることを知覚した上で、人間が多くいる場所でないと得られないものじゃ」


「なるほど?……何となく、言いたいことはわかったかもしれません」


 エリスは首を軽く傾けつつイナリの言葉に理解を示す。


「それにしても、なんだかいつに増して周囲からの視線があるような気がします。イナリさん、私、何か変ですか?」


 イナリはエリスを色々な角度から確認する。服に問題があるのかと思いそちらを注視してみても、良く見慣れた、それなりに上等そうな白い神官服で、汚れも綻びも無い。


「いや、特に問題はないように見受けられるがの」


「そうですか?うーん、何でしょうね……」


「……あ、あれじゃな。よくよく考えたら、お主以外我の事が見えておらぬわけじゃから、今のお主は、傍から見たら虚空と手を繋いで会話しているように見えているわけじゃ。それではなかろうか」


「……!!」


 イナリがぽんと手を叩いて告げた答えに、エリスは数秒の間を置いたのち一気に顔を赤くする。


「……す、すみません。ちょっと、今は手を繋がないでおきましょうか。その、私の服を軽くつまんでおいてくれますか」


「そ、そうじゃな。我も、何も言わないでおくとしよう……」


 普段外出する際、イナリが勝手にどこかに行かないように、あるいはイナリと触れ合うために、意地でも手を繋いでくるエリスであるが、今回ばかりは若干距離をとることになった。


 イナリも些か気の毒に思い、気を遣うことにした。




 教会に着くと、エリスが他の神官に挨拶をしながら、以前イナリが破邪魔法を受けた部屋に繋がる通路へと歩いて行き、比較的手前の一室へと入る。


 部屋の中には誰も居らず、この教会全体に特有の白く淡白な意匠も相まって、一層静かに感じられた。


 破邪魔法を受けた部屋と比較すると、部屋の大きさは若干狭く、中央には、リズが魔法陣と呼んだ模様に代わって、大人が一人横になれるだろう台がある。そして、その台と壁の間ぐらいの位置に椅子が三脚ほど連なって配置されている。


 エリスはため息を一つついた後、後に続いていたイナリを抱き上げて、椅子の一つに腰かけ、神官服に備え付けられたポケットから時計を取り出して眺める。


「あと十五分くらいで業務が始まるので、じきに聖女様もいらっしゃるでしょう。それまでの間はゆっくりしましょうか。……ああ、先ほどの事を思い出すだけで、恥ずかしさで体が焼けそうになります……」


「ま、まあ、何じゃ。しばし落ち着くが良い。して、お主は普段、ここで何をしておるのかや」


 話題を変えるため、イナリはエリスの業務内容について尋ねることにした。


「ええっとですね、私はここの部屋に来た怪我人の方に回復魔法を掛けるのが仕事です。怪我人の状態を確認して、最適なものを掛けます。ただ、どういう人が来るのかは、実際に業務が始まるまでわからないです。患者の予約管理は教会側で行っていますので」


「ふむ?それではお主らにとって不便もあるのではないかや。確か回復できる量には限度があるのじゃろ?それを超過するようなことがあっては困るのではないか」


「ええ、ですが流石にその辺はしっかり考慮して管理してくれていますので、さほど問題ではありませんよ。寧ろ、予約管理まで自前でやるとなると、ただ仕事が増える以外にも、不都合があります」


「不都合とな?」


「はい。……例えばイナリさんが、一日あたり五人までならどんな傷も治せる力を持っているとします」


「ふむ」


「そして目の前には十人、棚に足をぶつけた人から、森を彷徨う魔物に嚙みつかれて重傷を負った人まで、様々な傷を負った人々がいます。どうしますか?」


「それは当然、我に一番供え物を捧げた者から順番に直していくに決まっておるな。……何故黙っておるのじゃ」


 イナリの回答に言葉を失ったエリスに対し、イナリは首を傾げる。


「……いや、すみません、価値観の違いをひしひしと感じてしまってどうしようかと。ええと、私の想定解は『重症者から順番に五人治す』だったので……」


「それでは、折角我に色々と捧げてくれた者が報われんじゃろ」


「あ、ああー……神の視点だとそういう発想になるんですね……?」


「しかし、どうやら人間は違うということはわかったのじゃ。確かに、もし我の見知らぬ者十人であれば、重傷者から治すやもしれぬ」


 話がエリスの動かしたい方向に進まなそうだと判断したイナリは、空気を呼んでひとまず方向を修正することにした。


「そ、そうですよね。ではイナリさんが重傷と判断した者を五人治したとして、残りの五人はどのように考えると思いますか?」


「翌日治してもらえば良いし、あるいは棚にぶつけた程度なら、自然に治るじゃろ」


「そうですね、ひとまずそれで良いとしましょう。では翌日、二人の傷が自然に治り、その代わりに新たに十人の傷を負った患者が現れました。合計十三人、イナリさんに傷を治してもらわないと回復できない者がいます。どうしますか?」


「まあ……恐らく、重傷者を五人選ぶ、じゃろうか?」


「それが最善ですよね。しかし、治療を受けた五人が喜ぶとして、残りの八人はどう感じるでしょうか」


「うーむ、少なくとも、良い気分ではないじゃろうな。特に、二日連続で治療されなかった者は」


「その通りです。しかも、重傷というのはイナリさんの主観によって決まるわけですから、外見上大した傷に見えない者が後回しになったりするでしょう。このようなことが続いていくと、やがてイナリさんに恨みを抱く者すら現れてしまいかねないわけです」


「ううむ、なるほどのう……」


「それに、重傷の患者に順位をつけるというのは、実際にやってみると相当精神的負担がありますし……。まあ、あくまでたとえ話ですし、現実には回復魔法以外にポーションなんかもありますから、事態はそこまで深刻ではないですが。ともあれ、そういったことを防ぐために、患者の予約管理は回復術師ではなく教会が行うようになっているようです」


「うーむ、何というか、実に難儀であるな……」


「命が懸かってますからね、仕方ないと言えば仕方ないのですが」


 エリスはイナリの耳を軽く揉みながら、イナリの呟きに返す。


「……ところで、神器の件、今の所何ともなさそうですね。正直、入り口で止められることすら覚悟していたんですけど」


「そういえばそうじゃな。ううむ、我が軽率に神器に言及したせいで不要な心配を……」


「まあ、過ぎたことを悔いても仕方ありませんよ。……ただ、似たようなことが起こると困りますし、少し作戦会議というか、打ち合わせはしておきましょうか」


「そうじゃな。ひとまず、余程の事が無い限り、我はお主の合図以外で不可視術を解くことはしないでおくのじゃ」


「はい、それでお願いします。あと、私が業務にあたっている間は、私から少し離れておいてください。……その、近くにいるとどうしても触りたくなりそうなので……」


「ふむ、それは大事じゃな」


「私はどうにか自分の欲を抑えますので、よろしくお願いします。あと……ひとまずイナリさんはまだ森にいることにしましょうか。家にいることにすると、どこかで矛盾が生じかねませんし」


「その辺はお主に任せるのじゃ」


「あとは、もしこの部屋に、イナリさんの神器を強奪しに兵士などが突入してきたら――」


 その後、聖女がこの部屋の扉を叩く直前まで、二人は考え得る可能性を想定して各々の動きなどを確認した。




<アリシア視点>


 今日は回復術師としての仕事の日。私は教会の白い廊下を歩く。


 私はほぼ四六時中、いつ来るかわからない神託に備え、教会の自室で生活しなくてはならない。


 外に出ることなんて殆ど無いし、外はおろか、教会内を動くのですら、基本的に事務関係のみ。しかも聖女としての自分を演じなくてはならないのだから、窮屈で仕方ない。


 もちろん重要な仕事であるのは確かだし、今の立場に不満があるわけでは無い。アルト神の素晴らしさだって、よくわかっている。でも、もう少し羽を伸ばさせてくれてもいいと思う。


 とはいえ、羽を伸ばす機会が無いというわけではない。


 以前、回復術師としての仕事を、親友のエリスと共にしていたとき。あの時、エリスはアリシアとして振舞うことを許してくれた。それは、私にとってとても嬉しい事だった。


 エリスはお堅いようで、かなり優しい。きっとこれからも、何だかんだでそれを許してくれるはず。


 でも確か、今日私と一緒の担当なのは、別の回復術師の人で……確か、新人さんだったかな。


 当のエリスは、魔境化が深刻化した魔の森に調査に行っていると、他の神官伝いで聞いたきり。


 果たしてそこがどのような状態なのか、私にはまるでわからない。ただ、無事に帰ってきてほしい。その一心だった。


 ああ、今日も息苦しい一日になりそうだな。そんなことを思っていたら、私の予定を管理している神官さんが手帳を見ながら口を開く。


「聖女様、伝えそびれておりましたが、本日の業務の担当者がエリス様に変更になったようです。直前になっての連絡、大変申し訳ございません」


「いえいえ、伝えて頂けただけで十分です。いつもありがとうございます」


 丁寧に笑顔で返しながら、私は内心飛び跳ねていた。


 エリスに会える。その事実だけで、心なしか足取りが軽くなった気がして、気がつけば、いつの間にか仕事部屋についていた。


 中からはエリスの話し声が聞こえるような気がするけど、誰かいるのかな。


 私は扉を軽く二回叩いて、一拍置いてから扉を開ける。


「失礼します」


「聖女様、おはようございます。本日はよろしくお願いします」


 部屋の中にはこちらに向けて、普段のように礼儀正しく挨拶をしてくるエリスの姿があった。


 そしてその奥、部屋の端の方には、白い服を着て、狐のような耳と尻尾に小麦色の長髪を持つ少女が立っていた。


 ……え、誰?

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