第123話 不安
その日の夜。
魔力灯が消され、月明かりのみが部屋の中を照らしている中、イナリは例によってエリスに抱き枕にされながら、自分の神器のことについて考える。
イナリは自身の神器に対して特別思い入れがあるわけでは無いが、とはいえ自身の数少ない、それも地球から持ち込んだ私物である。
しかも自分の神性を帯びた神器なのだから、神器集中管理法だとかいう訳の分からない、人間が勝手に作った法にほいほいと従って手放すわけにはいかないのだ。
そんなわけで、もしエリスが神器の所有権を勝ち取れなければ、その際は不可視術を使いながら教会に忍び込んで回収することも視野に入れよう。
しかし、そうなると、イナリはここにいることも難しくなるだろうし、ほぼ確実にここを去ることとになるだろう。
折角人間との良好な関係や、人間社会で生きていくうえで重要な収入源の目途も立ったところであるのに、果たしてそれをきっぱりと切り捨てることが、イナリに出来るだろうか。
そして仮にここを立ち去ることになったとして、普段のエリスはイナリがどこに行っても着いていくなどと言っているが、実際にいざ選択を迫られれば、きっとそうはならないだろう。
そんなことを考えて悶々としていたイナリは中々寝付けず、エリス腕の中でもぞもぞと動き続ける。このような状況では仰向けになるのも一苦労である。
イナリが何とか体勢を変えて天井を眺めていると、隣のエリスが囁くように話しかけてくる。
「イナリさん、眠れないのですか?」
エリスの声に、イナリは僅かに体を震わせた。寝息もしていたし完全に寝ていると踏んでいたが、イナリが動いていたせいで起こしてしまったのだろうか。
「……まあ、そんな感じじゃ」
「……大丈夫です、安心してください。イナリさんには不都合が無いように、私が全力を尽くしますから」
エリスがイナリの頭を撫でて宥める。
何が理由かは明かしていなかったが、イナリが眠れない原因について、どうやらエリスには察しがついているようだ。
「……何故そこまでするのじゃ?我はパーティに加入したとはいえ、実質的に被保護者であることに変わりはないじゃろ。そして、冒険者とやらに我のような者の保護義務があるというのは以前聞いたが、明らかにその範疇ではなかろう」
イナリがエリスの方に寝返ってそう言うと、イナリを撫でていたエリスの手が止まる。
そもそも、神器を渡したくないというのはイナリが言い出したことではあるが、それを突っぱねれば、ただでさえ山積しているややこしい話が一つ減ったはずだし、エリスがこの街に入る際に、神器の存在が露呈することについて不安にならずに済んだことだろう。
「それに、他の冒険者の中には、早々に保護義務を放棄する者もあると聞く。我がこちらに来ることになった原因もまた、それに近いものじゃ。何故、お主らはそうせぬのか?」
そもそも地球でイナリの神社を管理していたあの男がそれを手放したのは、少しもそれを維持しようという努力もせず――少なくともイナリからはそう見えた――ただ管理しきれなくなったためである。
あるいは、多少人間社会についての理解が進んだ今なら、金に目が眩んだのかもしれないとも考えられるが、何にせよ、神社を所有することと放棄することの損得を勘案した結果、あのようになったことには変わりない。
そして今。エリスや虹色旅団の面々がイナリを保護することで得られる利益というのは、恐らく皆無に等しいはずで、ともすれば、彼女らがイナリを保護する理由など大して無いはずだ。
神器のことについて色々と考えている中で、そもそも今の状況自体にすら疑問を抱いたイナリは、純粋にそれを問うた。
イナリが話し終えると、部屋にはリズの寝息と寝転がる音だけが響き、しばしイナリの赤い眼とエリスの青い眼が交差する。
そしてエリスはイナリに頭突きをした。
「んな!?」
突然の肉体言語による返答にイナリが額を抑えて困惑すると、エリスは真面目な面持ちで口を開く。
「あのですね、私たちは、損得勘定でもってイナリさんといるわけじゃないんですよ」
その声は先ほどの優しい声とは違い、また、以前ギルド長の部屋でイナリを叱り続けた時とも違っていた。
「私たちは、そういう話は抜きにイナリさんと一緒に居たいからこそ、全力を尽くしているのです。何故、イナリさんが魔王と呼ばれていることを知ってなお私たちが一緒に居るのかを考えれば、それは明らかでしょう?普通ならその時点で解散ですよ」
「……まあ、それはそうかもしれぬが。しかし、人間からしたら手に余る事じゃろうし、何時でも我を手放すことは出来るじゃろうし……」
「はあ、全く、何か考えすぎて変な思考に陥っていませんか?……一体イナリさんがどのような理由でもってここにいるのかを私は知らない以上、それについて何か言うことは出来ませんが……。ですが、少なくとも、私は絶対にイナリさんを見捨てたりはしません。これは好感度稼ぎのお世辞とか、そういうものではないです。これだけは忘れないでください」
エリスはイナリの目を真っすぐ見てそう告げてくる。
「……確かに、この質問は今更が過ぎたか。らしくないところを見せたのう。寝言と思って忘れるが良い」
「……すみません、それはちょっと難しいかもしれません。思い出は大事にするタイプなので……」
「知らぬ。というわけで、明日に備えてさっさと寝るのじゃ」
イナリは再びエリスに背を向け、尻尾をエリスの上にぼんと乗せた。
イナリが眠りに落ちるまで、さほど時間はかからなかった。
そして翌朝、イナリはエリスと共に起床する。
「イナリさん、おはようございます」
「おはようじゃ」
「折角イナリさんが一緒に起きてくれましたし、今日は勝負の日ですからね、頑張りますよ」
「うむ」
イナリに多少眠気は残っているが、とはいえ大事な日なので、二度寝などもってのほかである。
二人はそのまま朝食をとり、軽く井戸で顔を洗ってから寝室に戻って着替える。
「イナリさん、これを着てくれませんか?白いワンピースと麦わら帽子です。あ、ちゃんと耳と尻尾用の穴も空けてあります」
「……まあ、前にも似たようなものを着たし、冥土服と比べれば全然構わぬが……何故この組み合わせを?別に帽子を被るような気候でもあるまい」
「こう、ビビッと来たんです。あとはサンフラワー畑があれば最高なんですけど……」
「よくわからぬが、何か確かなこだわりがあるのじゃな……」
イナリはエリスに呆れたような目を向けながら着替えると、エリスは計画通りと言わんばかりにイナリを眺めて頷く。
「これはやはり、絵に残すだけの価値がありますね。イナリさんがサンフラワー畑に佇み、振り返っている情景が浮かんできます」
「そ、そうかや……」
昨夜のまともなエリスは夢だったのだろうか。イナリはそんなことを考えながらエリスと共に外出の準備を進めた。
「よし、準備完了です。では、行きますかね」
「うむ」
二人は玄関に並び立った。
「ではイナリさん、ひとまず、他の皆さんもじきに起きるでしょうから、それまではゆっくりしていてくださいね」
「うむ?」
「あ、あと、先ほど朝食を多めに作って少し余らせてあるので、軽食にでもしてください。キッチンの棚の下の方におやつもありますので、それもどうぞ」
「……」
「あ、あと今日の分のお小遣いです。計画的に使ってくださいね」
エリスは白い神官服に備え付けられたポケットから銀貨を一枚取り出して、優しくイナリの手に握らせた。
「では、イナリさんがわざわざ起床から見送りまでしてくれたのですから、吉報をもって報わないといけませんね。イナリさんは気楽に待っていてください!」
「いや、あのお……」
気合を入れるように声を上げ、扉に手をかけるエリスに、イナリは絞り出すように声を上げた。
「我も、行くつもりだったんじゃけど……」
「……えっ」
お互いの間に微妙な空気が流れる。
「……さ、流石に神器の話の前に業務があるので、それはちょっと……」
「不可視術を使ってもダメかや」
「……あー、そう、ですね。それなら大丈夫です……?」
「よし、決まりじゃ」
「業務中にイナリさんに対する想いが溢れたらどうしましょう、私、耐えられますかね……?」
「それは知らんのじゃ」
そんな会話をしているうちに、エリックが起きてきた。
「エリス、イナリちゃん、おはよう。エリスは今日聖女様と会うんだっけ?」
「ええ、これから行きます。少々突然ですがイナリさんも一緒です」
エリスがイナリを自身の近くに引き寄せて答える。
「そっか。……あのさ、昨日寝るときに気がついた、今言うべきじゃないけど、でも絶対に言った方がいいと思ったことを伝えていいかな」
「な、何ですか?そんな前置きをされると怖いのですが」
不安からか、エリスはイナリに抱きついて身構える。
「この前、魔の森の出来事について冒険者ギルドで報告したよね」
「ええ、それがどうかしましたか?」
「その、街門で存在が認識されていない神器が、冒険者ギルドからの報告書に存在するのって、大丈夫なのかな……。しかもそれ、教会に渡ってるわけで……」
「……ちょっと、聖女様に頷いてもらえないと良くないかもしれませんね。そしたら私もこの街に居られませんから、イナリさんと一緒にこの街を逃げないとダメですね」
エリスが冗談めかして苦笑しながら答えるが、その場にいる全員がすぐに表情を暗くした。
イナリの神器を守る計画は、本格的な始動の前の段階で、早々に雲行きが怪しくなっていた。
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