人間の悪意
第121話 劇薬(前)
トレントで溢れかえっていた魔の森から帰還した翌日。
眠りから目を覚ましたイナリは、ゴロゴロと転がって久々のベッドの柔らかさや温もりを堪能しつつ、毛布を捲って体を起こす。
「ふむ、よい目覚めじゃ。やはり硬い床ではダメじゃな。我の家にも寝具の導入を検討するべきかの」
窓を見れば、既に外からは日の光が差し込み、部屋を照らしている。そして、向かい側のベッドに既にリズの姿は無い。どうやらイナリはそれなりに遅くまで寝ていたようだ。
「……妙に寝覚めが良いと思うたら、エリスがおらんのじゃな。此度も皆、用事があるのじゃろうか」
イナリはベッドから出て、部屋の外へと向かう。魔石が足に当たってこつりと音を立てながら、別の魔石の手前まで転がっていく。
「あ、危ないのじゃ……やはりこれ、どうにかまとめた方が良いじゃろ……」
イナリは魔石を拾いあげて少し距離を開けた場所に置きなおして、今度こそ部屋を出る。
廊下に出てもやはり静かだ。誰かいるならば話し声くらい聞こえてきそうなものだが、それも聞こえてこない。
やはり誰もいないのだろうか?イナリがそう考えながらリビングへと向かうと、そこには一人、テーブルの上に三つの瓶を並べ、椅子にもたれかかって天井を見ているリズの姿があった。
状況はよくわからないが、ともあれ誰かが居たことにイナリは安堵のため息をつきながら、リズへ向けて声を掛ける。
「お主、居ったのかや」
「……ん?あ、イナリちゃん!おはよ!」
「うむ、おはようじゃ」
リズはイナリの姿を認めると、笑顔で挨拶をしてくる。
「他の者は居らぬのかや」
「うん。エリス姉さんは教会で聖女さんと会うための下準備に行くらしくて、エリック兄さんが今日もギルドの手伝い。ディルはいつもの」
「なるほどの」
「あ、あと危険物栽培許可証が届いてたから、そこの棚にしまっておいたよ」
リズが近くにある棚を指し示した。
「ふむ。して、お主は何を?」
「んー、ちょっと考え事をね。これ、イナリちゃんが出かけてから、一日ずつ間隔を置いて作っておいたブラストブルーベリーポーションなんだけど……」
リズが瓶を手に持ってイナリに見せてくる。
三つの瓶にはそれぞれ群青色の液体が入っており、少しずつ色が濃くなっているのがわかる。とはいえ、一番色が薄い瓶も、イナリ達が以前飲んだポーションの倍は濃い群青色である。
「これが何か問題があるのかや?」
イナリはリズから瓶を受け取って眺める。
「いやあ、かなり問題なんだよね。一番薄いのを少し飲んだんだけど、他のが怖くて飲めない」
「ふむ?一体何を恐れておるのじゃ?」
「なんかね、一口程度でも、効果が強烈すぎて一瞬意識が飛んだみたいになったの。となると、他の二つはそれ以上のものが待ってそうなんだよね……」
「い、意識が飛ぶ……?」
「うん。流石に危険そうだから、リズの手には負えなくてさ。どうしようかと悩んでたの。イナリちゃんもちょっと飲んでみて?少しなら大丈夫だから」
「まあ、お主がそういうのなら……」
イナリはリズに促され、三つの中で一番薄い色のポーションを恐る恐る飲む。
少し口に含めば、パチパチという炭酸のような感覚と共に、僅かに疲れが抜けるのを感じた。
「……普通に美味じゃが?」
「え、何ともないの?」
「うむ。少なくとも意識が飛ぶような兆候はまるで見られぬ」
「……ちょっと、他の二つも飲んでみてくれる?」
「良いじゃろう」
イナリは他の二つのポーションも色が薄い方から順に、口に含んでいくが、やはりいずれもリズが言ったような事態には至らない。強いて言うなら、多少疲れの抜ける感覚が強くなっていったくらいだろうか。
「……何ともないのじゃ……」
「えぇ、どういう事……?」
リズは首を傾げながら、一番薄い色のポーションに指を付けて舐め、顔を顰める。
「……いや、やっぱり強烈だけど。これ絶対イナリちゃんの体質の問題っぽくない?」
「ふむ、そうやもしれぬ。ともあれ、再度ハイドラに訪ねるべきではないかや?」
「そうだね。ついでにお昼も買っていって、ハイドラちゃんと食べようか」
「名案じゃ。……そうか、もう昼なのじゃな……」
「一応、朝に一回イナリちゃんに声掛けたんだけど、ぐっすりだったよ」
「ううむ……」
朝食もそこそこ楽しみにしているイナリにとって、朝食を飛ばすことは中々に苦しいことであった。
イナリ達は身支度を整えた後すぐに商業地区へと赴いて、適当な店でパンや軽食を三人分買い、錬金術ギルドへと移動した。
そして二人は、その入り口で立ち尽くしていた。目の前には重厚感漂う鉄の扉が構えている。
「……これ、どうやって入る?前みたいに無理やり入ったら、荷物が無事じゃ済まないよ。それに仮に入ったとして、イナリちゃんは鍛冶屋の時みたいに外に締め出されちゃう……」
「ううむ、お主がこの扉を開けられぬとなると、我も無理じゃからな……。いや、我らで協力すれば、あるいは……?」
「一緒に押してみようか。背中で押せば荷物もつぶれないよね。じゃあ行くよ、せーのっ!」
二人が扉に向かって全体重を寄せ、掛け声とともに扉を押す。すると、僅かに扉が奥へと動き、隙間ができる。
「よし、この調子でいけば通り抜けられそう……!もう一回行くよ、せーのっ!」
再びリズの掛け声に従って扉を押すと、突然扉が開く。
「……二人とも、何やってるの?」
中から出てきたのは、ウサギ系の獣人特有の長い耳を傾け、純粋な疑問を投げかけてくるハイドラであった。
「……いや、何でもないよ。ね、イナリちゃん」
「……うむ」
二人は羞恥心を必死に隠して答えた。
「そ、それよりさ。ご飯買ってきたの!みんなで食べよう!」
「え、本当!?丁度ご飯を買いに行こうと思ってたから助かる!私の部屋は散らかってるし、庭で食べよ!」
「いいね!ここの庭、久々に行くなあ」
「庭とな?ここには庭があるのかや」
錬金術ギルドの外見からして、そういったものは無いと踏んでいたイナリは首を傾げる。
「うん。一応錬金術ギルドの植物園としての側面も兼ねてるんだけど、休憩用の場所もあるからね。……あ、マンドラゴラはいないから、安心してね」
ハイドラの言葉に、イナリはマンドラゴラが体から離れなくなった時を思い出して顔を顰める。
「……お主、何故それを知っておるのじゃ。あの時に居ったのかや?」
「いや、いなかったけど、普通にギルド内だと有名な話になってるよ」
「な、何故じゃ……」
「ええっと、マンドラゴラの管理体制が問題提起された時の資料に事細かく載ってたよ!名指しはされてないけど、のじゃのじゃ言う人は現状一人しか知らないから、一発でイナリちゃんだってわかったよ!あ、資料取ってあるけど後で見る?」
「是非渡すのじゃ。燃やす」
「か、過激だね……」
「イナリちゃん、残酷な事を言うけど、その手の資料っていくつもあるだろうから、ハイドラちゃんのを燃やすだけじゃ足りないよ……」
「ならこの施設ごと潰すのじゃ。リズの力を借りればできるじゃろ」
「他力本願過ぎるよ」
「リズは大罪人になりたくないから、やるならイナリちゃん一人で頑張ってね。ちなみにその、マンドラゴラの管理をしてた人たちはどうなったの?」
「んー?確か実費での施設改修命令が出されたはず。最近マンドラゴラが逃げたって話も聞かなくなったし、多分改善したんじゃない?」
「そ、そうなんだ。それでも、錬金術ギルド側が費用を負担してくれたりはしないんだね……」
「ギルドとは言うけど、結局個の群れみたいなものだからねえ」
「ふん、当然の帰結じゃな」
イナリは腕を組んで頷いた。
「ところで、庭はどこにあるのじゃ?」
「ん?ええっとね、この廊下をずっと進んで、裏口を抜けた別館の中!」
「ふむ、屋内なのじゃな、中々趣がありそうじゃ。……ん?裏口?」
イナリが言葉を繰り返しながらリズに目線を向けると、それに合わせてリズが目を逸らす。
「裏口を使って入れば、先ほどのような醜態を晒さずに済んだのではないかや?」
「……今までまともに使ったことなんて一、二回だし、忘れててもしょうがないよね?」
「…………」
イナリは無言でリズの横顔を見つめ続けた。その何とも言えない空気を打ち破るように、ハイドラが声を上げる。
「そういえば、リズちゃんは魔の森に行ってきたんだよね?それにイナリちゃんも、タイミング的に魔境化に巻き込まれたでしょ?無事で帰ってきてくれてよかったよ」
「うん、まあ、大変だったよ……。帰ってきたのも昨日だし」
「え、そうなんだ!まだ休んでなくて大丈夫なの?」
「一応主な目的は例のポーションの報告だけど、休みついでに遊びに来たっていうのもあるから、そんなに気にしなくていいよー」
「あ、そう?そう言われると嬉しいな、へへ……」
ハイドラの耳が目に見えてぐにゃりと曲がっていて、見るからに嬉しさか、あるいは照れか、そういった感情がありありと読み取れる。
それを見たイナリは自分はどのようになっているだろうかと、己の行動を振り返った。恐らく、自分の耳や尻尾はあれほどわかりやすくはないはずだ。
「で、魔の森はどんな感じだった?やっぱり危険?魔王はいた?珍しい素材とかあった?」
ハイドラが質問をまくし立てるが、本人にとって一番重要な事項は最後の質問に集約されていそうだ。
「うーん、素材はこれから探せば色々ありそうだったけど。危険、というか、何というか……」
リズは自身の隣にいる、事の元凶を見つめながら言葉を探す。
「魔王はいなさそうだったけど、ともあれ危険の原因と対策はわかったかな」
「へえ、流石リズちゃん!」
ハイドラがリズを称える中、今度はイナリがリズから目を逸らした。
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