第120話 第二の家

「えっと、ですね。イナリさんが偶然出所不明の神器を所有してまして、それが偶然活きたのです。それで、近いうちに教会に持っていく予定なのですよ」


 本来は聖女に対して神器の所有を直談判する予定なのだが、当然、エリスがそんなことを言うつもりはない。


 そんなわけでエリスはどうにか適当な理由を絞り出し、それらしく話す。本当の事は言っていないが、嘘も含まれていない。


 慣れないことをする緊張からか、エリスのイナリを抱く力が次第に強くなる。


「ほー、なるほどな。後で報告書を渡すついでに、俺が代わりに届けておいてもいいぞ?」


「いえ、これはイナリさんの保護者でもあり、神官である私のするべきことですから。お気遣いありがとうございます」


 エリスは、イナリの保護者という部分を妙に強調しながら、笑顔でギルド長の言葉を返す。


「ところで、狐っ子が死にそうな顔になっているのだが。エリスさんよ、ちょっと力が入りすぎではないか」


「え?……あっ、すみません!」


「ぷは、ふ、ふう。助かったのじゃ……」


 ギルド長の指摘により、イナリの体を締めつけていた腕が緩み、イナリは胸をなでおろす。


「何か誤魔化されてる感じがしないでもないが、ひとまず、神器については把握した。細かいことも聞かないでおいてやろう。あでも、もしなんかあったらお前らの事チクるからな」


「え、ええ。はは……」


 エリスはギルド長の言葉に苦笑で返す。どうやら彼は、神器について裏がある事を何となく察しているようだ。


「お主、相変わらずじゃな。というか守秘義務とやらは何処へ行ったのじゃ?」


「もし法に反する感じだったら、守秘義務は適用されないからな」


「な、なるほどの……?」


「まあそんなことはもういい。それで、妙なトレントとやらの話に移ろうではないか。これについては、神器の事を、何故か、黙っていたエリックさんから聞きたいなあ?」


 ギルド長はニヤニヤとしながら、そして「何故か」という部分を強調しながらエリックに問いかける。


 もしこの顔がイナリに向けられていたら、イナリは殴り掛かっていたかもしれない、そう思えるような表情であった。


 しかし当のエリックは平然と受け答えする。


「わかりました。といっても、イナリちゃんが言った以上に言えることもさほど無いのですが……。そのトレントは、リズによって討伐されたトレントの残骸を集めて自己修復していました。それに、神器以外ではほぼダメージがありませんでした。対処法が判明してからは何事も無く討伐したので、それ以上に話せることはほぼ無いかと」


「なるほどな」


 ギルド長は腕を組んで頷く。話が途切れたタイミングを見計らって、イナリは口を開く。


「我が思うに、あれが『樹侵食の厄災』だったのではないかや?」


「あ?」


 イナリの言葉にディルが疑問の声を上げる。


「ほれ、確か、神器は魔王に効くのじゃろ?じゃったら、必然的に件のトレントは魔王じゃろ」


 イナリがわざわざ、エリック達が伏せていた神器の件を掘り起こしたのは、これを言いたかったからだ。つまり、あのトレントに魔王疑惑を擦り付けるのが目的であった。


「狐っ子の言いたい事はわからんでもないが……魔王にしては弱すぎないか?お前らが一日もかけず、たった五人で対処出来たんだろ?」


「それは知らんのじゃ」


 実際本物の魔王の強さとやらを知らないので、イナリはギルド長の懸念を一蹴した。


「……まあ、仮定の話だからな。一応報告書の端にでも書いておくとしよう。リーゼ、頼む」


「はい、わかりました」


 ギルド長の指示に従って、リーゼが手元の紙にペンを走らせ、部屋の中にその音が響く。


「これで教会の魔王を追ってる勢力の溜飲が下がると良いんだが……。ともあれ、情報感謝だ、狐っ子」


「うむ」


「さっきから話を聞いてて思ったんだが、神官ってのは、そんなに魔王について色々言うのか?」


 ディルがエリスに向けて尋ねる。


「はい、個人差はありますが、言う人はものすごくあれこれ言いますね。教典でも魔王は世界の敵とされていますから、当然と言えば当然なのですが……」


「だがそれが行き過ぎると、冒険者ギルド側に無茶言ってきたりもするんだ。今回もいたぞ?遠まわしに『冒険者を全員魔の森に送り込め!』みたいなことを言ってくるのが。そのための予算はどっから出るんだって話だ」


「冒険者でもある私としては勘弁してほしいところですね」


「本当、神官が全員エリスさんみたいな人だったらいいんだがなあ」


「エリスのような者は少ないのかや?」


「ああ、相当少ないな。いないことは無いんだが……。大体一ギルドに一、二人ってところだな」


「そもそも、神官になるだけの素養に加えて冒険者としてやっていくだけの体力や知識が求められますから、普通はなろうと思いませんよ。回復術師としてだけでも十分な収入が手に入りますし」


「お主が我に銀貨を持たせたのもそれ故かや」


「ええ。大体収入の半分がパーティ維持費とイナリさん維持費に割り当てられています。あ、もっと欲しければいくらでも増額します」


「エリス、それはイナリちゃんの教育に良くないからやめた方が良いよ」


「うむ。銀貨一枚でも十分な額と、以前リーゼから教わったばかりじゃ」


「てかイナリ維持費って何だ?わざわざ予算が割かれてるのか……」


 イナリ達が雑談をしている間に、リーゼが報告書を書き上げたようで、ギルド長が声を掛けてくる。


「よし、ひとまず報告書もできたし、今日は帰ってゆっくり休むといい。時間を取って悪かったな」


「いえ、これも仕事の内ですから。もし何かあったら、遠慮せず訪ねてください。では失礼します。皆、行こう」


「おう。俺はまだ疲れが抜けきってないからな、さっさと帰って寝たい」


「我は持ってきた作物を使って何か美味なものを作って欲しいのう」


「そういう事でしたら、後日、時間がある時に私が腕を揮いましょう。今回は自宅ですから、前よりも拘れますよ」


「ほほう、それは楽しみじゃ」


「その前に片付けと装備の点検も忘れないでね。……リズ?行くよ?」


 エリック達が皆席を立つ中、リズだけが椅子に座ったままだ。


「……こいつ、寝てやがる。呼吸音からしてまさかとは思ってたが……」


「そういえば、我らが入ってきてから一度も喋っておらぬ気がするのう」


「おい、起きろ!……ったく、しょうがねえなあ……」


 ディルは、全く起きる気配のないリズを片腕で担いで持ち上げる。それなりに乱雑な扱いのわりに、リズはまるで起きる気配を見せない。エリックはリズの帽子と杖を持つ。


「……こやつ、確か寝相がものすごかったと記憶しておるのじゃが」


「……誰か、俺の代わりにこいつを担いでくれ」


「いや、私はイナリさんを運ぶ重要な責務がありますので……」


「僕も杖と帽子を持っちゃってるからなあ……」


「いや、イナリは歩けるだろ。それに帽子と杖も一回地面に置けばいいじゃねえか。……マズい、足が動き出したぞ」


 リズを見れば、足がゆっくりと歩くような動きを始めている。


「……トレ……ト……全……ろす……」


「……俺の聞き間違いだと良いんだが。こいつ、トレントがどうとか言ってないか」


「万が一の時は魔法結界もありますから。ディルさん、頑張ってください」


「勘弁してくれ……」


「なあ、さっさと帰ってくんねえか」


「まあまあ。賑やかで良いことじゃないですか」


 ギルド長は「虹色旅団」がワイワイ騒ぐ様子を眺めて呟き、リーゼもまた、それを微笑みながら眺めていた。


 なお、リズは酒場の長椅子に置いて手足を拘束された。その作業の間、イナリはエリスから、神器の一件でしっかり叱られた。




 その後、一同はそのまま家に戻った。既に日は傾きつつある。


 道中でで屋台の肉串を購入したので、エリスに抱えられたイナリは、肉串の袋を抱えている。


「街門を見た際にも思ったが、この家を見るとなお帰ってきた感覚がするのう」


「ええ、今夜は久々にゆっくりしましょうね」


 そんなほのぼのとした会話をする二人がいる一方で、そうでない者もいる。


「ああ、何か、余計に疲れた感じがする……」


「いやあ、まさか、縄をほどくとはね……」


 そう呟くのはリズを片腕で抱えるディルと、エリックだ。その表情にはありありと疲労が見て取れる。


 エリックの言う通り、途中までは縄で手足を拘束してディルが抱えていたが、途中からリズが何故か縄をほどいてしまい、ディルとエリックが交代してリズを運搬していた。


「こいつ、日中に寝たらこんなことになるのか……クソ面倒くせえな……」


「本当、気づけたのが今で良かった……。今後はしっかり睡眠時間をあげよう……」


 どうやら今回の様な例は初めてのようで、何やら反省会のようなことをしている。


 そんなことはよそに、エリスはイナリを地面に降ろして、家の扉を開ける。


「今日は食事を食べて体を洗ったら、さっさと休みましょう。まだやるべきことは色々ありますが、今日くらいは休んでも誰も文句は言わないでしょうから。片付けなんかも明日でいいです」


「うむ、それがよかろ」


 エリスの言葉に、イナリは微笑みながら返し、家の中に入る。


「エリス、リズを部屋まで運んでくれ」


「ああ、そうですね。わかりました」


 イナリが家に入ったところで、ディルに呼ばれてエリスが再び外に出ていく。イナリはその後ろ姿を見ながら考える。


 そもそもイナリはこの世界に来た当初、人間とここまで密接に関わることになるとは思っていなかった。そして、このように人間と共に暮らせているのは、実はとんでもない奇跡のようなものではないだろうか。


 森で彷徨っていたイナリと遭遇した時。


 エリスやリーゼが言っていたように、良からぬことを企む人間に騙されていたかもしれない。拒絶されたり、襲い掛かられていたかもしれない。あるいは、そもそも人間と逢う事すらなかったかもしれない。


 そしてイナリが魔王とされている神であることを知った時。


 そのまま教会に突き出されていたかもしれない。イナリから神器を取り上げて、それで刺されていたかもしれない。そこまで残酷な事はされなくとも、それとなく距離を取られたり、放逐された可能性だって十分にあるだろう。


 そんなことを考えると、ずっと変わらず同じ態度で接し、むしろ事態の解決に協力してくれた彼らは、とても得難い存在なのでは無いだろうか。


「……いかんのう、何か、変な事を考えておる。やはり疲れておるのう……」


 イナリは一旦頬を両手で揉んで思考を仕切り直す。


 そのタイミングで、リズを抱えたエリスが再び家に入ってくる。


「イナリさん、先に肉串を食べていてもいいですよ……どうしましたか?何か、あまり普段見せない感じの表情をしてましたよ」


「ん?いや、何でも無いのじゃ。では言葉に甘えて、先に食べておるのじゃ」


「ええ。……さっきの表情、絵にして残したいですね。腕のいい画家を探しておくべきでしょうか……」


 何か変な言葉が聞こえないでもないが、それは一旦置いておいて、イナリはリビングに移動し、肉串を一本齧る。


「……美味じゃ」


 イナリは一言呟いた。

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