第113話 トレント殲滅

 イナリ達が、目標地点であるエリック達が待機する場所に到達する少し前。


「ディルよ、今我は風刃を使ったのじゃ!あと五回が限界じゃぞ!まだ着かぬのかや!?」


 ディルの背に揺られるイナリは、背後のすぐ目の前まで迫ったトレント達を確認しながら、後頭部で軽く小突いてディルに急ぐよう訴える。


 もはやトレントを見たくないなどと言って目を逸らしていられる次元はとうに越しているほどに、事態は逼迫していた。


 ここまでにイナリは四回ほど風刃を使用していた。


 うち三回は、ディルが低い場所を走った際に、トレントとの距離が狭まった時に念のため撃ったものであった。それについては三回目にして、その間隔で撃っていたらこの先もたないと判断し、以降はひたすら耐えていた。


 そして残りの一回は、つい先ほど、トレントの枝がイナリの少し前まで到達し、本格的に危険だと判断して撃ったものだ。こうなってくると、そろそろ到着してくれないと、イナリはトレントに捕まってしまうだろう。


「ああ、俺の勘が正しければもうすぐだ!俺も全速力で動いてっから、もし捕まりそうになったらどうにかして耐えろ!」


「んな無茶な……ええい、仕方ないのう!」


 作戦が始まってからというもの、ディルはイナリに対して無茶ぶりしかしていない気がする。そんなことを思いながら、イナリは一先ず、風刃を準備してすぐさま撃てるように準備した上で、トレントの枝先を注視し続けることにした。


 揺れによる視界のブレを鬱陶しく思いながら、突出したトレントがイナリに向けて枝を伸ばしてくるのに対処する。


 ――あと四回。


 そのイナリに枝を伸ばして両断されたトレントとそれに巻き込まれた数体のトレントを踏みつぶし、並列して二体のトレントが距離を詰めてくる。一瞬撃つべきか迷いつつも両方にそれぞれ風刃をお見舞いする。二回打った分、若干トレントとの距離に余裕ができるが、それも一瞬で埋まるだろう。


 ――あと二回。体に疲労が溜まってきているのを感じる。


「おい、見えたぞ!もうすぐだ!」


 僅かに明るい声でディルがイナリに伝えてくるが、イナリに返事を返す余裕はない。


「おい、大丈夫か!?」


「……うむ」


 何も反応が無いことに慌てた様子でディルが問うてくるので、応答だけして無事は伝えておく。


 その間にもトレント達はイナリの目前に迫っているのだ。イナリは疲労に耐えつつ集中し、時間をかけて次の風刃を撃つ準備をする。


 そして撃つ準備ができたところで前に目をやると、既にトレントの枝がイナリに向けて勢いよく伸ばされていた。


「!!」


 その光景にイナリは目を見開きながら慌てて首を反対側へ動かし、ギリギリのところで避けるも、イナリの長い金色の髪の毛が僅かに掠り、一部が切り落とされる。


「このっ……」


 そのトレントに向けて風刃を撃ち込む。体が一気に重くなるのを感じる。状況も相まって嫌な汗も止まらない。


 いよいよ本格的に追い詰められた。イナリがそう思ったところで、突然視界が明るくなる。どうやら森を抜け、川辺に出たようだ。


 木の枝から飛び降り、開けた川辺を走るディルは、絞り出したような声で叫ぶ。


「おい、着いたぞ!リズ!やってくれ!!」


 その呼びかけに呼応するように、空から五つの巨大な火の玉が飛来し、爆音とともにトレントの群れに衝突する。


 その衝撃による風に背中を押され、イナリとディルは、エリスが待機する安全な場所まで前のめりになって飛び込む。そのまま伏せていると、後方からは激しい熱のうねりを感じる。心なしか、イナリの尻尾がチリチリとしている気もする。


 そして爆音やテルミットペッパーが炸裂する音が収まると、辺りには静寂が訪れる。


「……やった!あの忌々しい木偶の坊共を全部燃やし尽くした!!最ッ高!!!!」


 まずその静寂を破ったのは、ぴょんぴょんと飛び跳ね、杖を掲げて喜ぶ魔術師の少女であった。何だか気分が高揚しているようで、普段とは様子が全く違う。


「二人ともお疲れ様。無事でよかった。とりあえずイナリちゃんの縄を切るね」


 前方でトレント達の様子を警戒していたエリックが歩いてきて、イナリを固定していた縄を剣で切断する。


「はぁ……はぁ……。ああ、何とか生還したなあ。なあ?イナリ」


 イナリの下で、ディルは安全圏に飛び込んだ姿勢のまま、肩で息をしながら、達成感に満ちたような声で話す。


「……イナリ?大丈夫か?」


「なんとかの……ひとまず、実を、食べさせてくれたもれ……」


 返事のないイナリにディルは慌てるが、イナリはもう、動くことはおろか、返事すらしんどいのだ。ひとまずこの状態から回復するべく、実を食べさせてほしいと伝える。


「ああそうか、お前はお前で大変だったんだよな……。おい、エリス。イナリの服からブラストブルーベリーを出して、食べさせてやってくれ」


 ディルは自身の背に乗っかったイナリを地面に寝かせて立ち上がり、後方に控えるリズの隣にいるエリスを呼ぶ。すると、その声に反応したエリスがイナリの方に駆け寄ってくる。


「ディルさん、無理しないって話はどこに行ったのですか?ギリギリだったじゃないですか!」


 エリスが安堵と怒りの混ざったような声でディルに話しかける。


「ハハ、俺は最初から行けるって思ってたからな」


「全く、いっつも最終的には無茶するんですから。……見たところ怪我などは無いようですね。これでイナリさんに怪我があったら承知しませんよ?」


「こいつは軽さと弱さに反してあり得ねえ硬さだし、大丈夫だろ。今のこいつもただ疲れて倒れてるだけだからな?」


「開き直らないでくださいよ。……ええっと、イナリさん、実はどちらに?」


「あー、確か、さっき懐にあるとか言ってたんだが。流石に俺がそれを取るわけにもいかねえからな」


 エリスの問いかけに、ディルがイナリに代わって答える。


「……」


「何だよ、そんな目で見て……」


「いえ、そういう配慮をするだけの脳があったのかと感動しまして……」


「お前、流石に俺の事を馬鹿にしすぎだろ……」


「いや、普段の様子を踏まえると妥当な評価だと思いますよ。まあ、ディルさんはあっちで休んでいてください。ではイナリさん、失礼します」


 エリスはディルをリズの方へと移動させた後、一言断ってから、イナリの服の間に手を入れ、実をしまっている場所で手が止まる。


「……あ、これですかね。このまま渡して良いんですか?」


「……うむ」


 イナリは横になったまま若干震える手で金具がついた実を受け取り、金具を取り外して口に放り込んだ。


 そして身を噛むとバチバチという音と共にイナリの体から疲労が抜けていき、完全とまでは行かないが、十分動ける程度には回復した。


 イナリは服をパタパタとはたきながら立ち上がり、大きく伸びる。


「ふう。助かったのじゃ。この、体を我の自由に動かせる解放感。実に良いのう」


 イナリは縄から解放された喜びをかみしめていると、エリスがイナリ抱きしめる。


「ああ、イナリさんが無事に帰ってきてくれて本当によかったです……!」


「いやあ、ちと危なかったし、ディルのやつには無茶言われるしで大変だったのじゃよ?」


「そうなのですか?やっぱりディルさんはダメですね」


「うむ。それにしても――」


 イナリはエリスの腕から抜け出し、先ほどまでディルに背負われて走っていた場所を振り返る。


「派手にやったのう……」


 イナリの目の前には、先ほどまで流れていた川もろとも吹き飛ばして、円形に窪んだ五つの穴が広がっている。


 イナリがその中を背伸びして覗き込むと、炭と化したトレントの残骸や木の燃えかすが散乱しており、火の粉が舞っている。


「これは川の流れに影響が出そうじゃな」


「ま、まあ、川の水源部分はもっと上流だし、少なくともここの水には困らないよ。……ヒイデリ湖に流れる川って後いくつかあったはずだし、多分そっちの影響もない……いや、あるかなぁ。後で確認しないと……。まあとりあえず、僕はちょっとリズの方に行くね」


 近くにいたエリックが何か頭を抱えながら立ち去って行ったが、ともあれイナリが暮らしていくうえで影響がないのであれば結構だ。イナリが作った田ももう少し上の方なので、影響はないはずだ。


 そんなことを考えながら遠くの、先ほどまでイナリとディルがトレントと逃走劇をしていた方に目をやれば、トレントが通過した場所の木々だけがきれいになぎ倒され、道のようになっている。


 恐らくトレントが通ってきた場所を遡っていけば、ずっとこのような光景が広がっているのだろう。


「……あら?イナリさん、ちょっと顔を見せてもらってもいいですか?」


 イナリが景色を見ながらあれこれ考えていると、隣に立っていたエリスがふと話しかけてくる。


「む?何じゃ」


 何か気になったのか、エリスがしゃがみ込んでイナリの髪の毛をかきあげる。


「なんかこの辺、切断されてますね」


「ああ、トレントの枝が掠めたときのものじゃろうな。まあ、仕方あるまいの……」


「ああ、大事なイナリさんの髪の毛が勿体ないですね……」


 エリスがイナリの髪の毛を触っていると、突然その手が止まる。


「……!イナリさん、血が出てますよ!?」


「む……?」


 エリスの指摘にイナリが手を後頭部の辺りに伸ばすと、手が僅かに赤く染まる。どうやら絶妙に髪に覆われていて隠れていたが、切り傷がついているようだ。確かに、意識してみるとチリチリと痛む気がする。


「傷は浅そうなので何とかなりそうですが……。今回復魔法を掛けますね」


「うむ」


 エリスが傷に手を当てて詠唱を始める。


「……あれ?」


「どうしたのじゃ?」


「……すみません、もう一回、回復魔法を掛けます」


 エリスが動揺したような声を上げつつ、回復魔法を再び詠唱する。何か間違いでもあったのだろうか。


「……回復魔法が効かない……?」


「ふむ?」


 エリスの手が震えているのを見て、イナリはその手を握る。


「まあ落ち着くのじゃ、あまりよく知らぬが、術が聞かぬこともあるじゃろ。ポーションとやらで良いのじゃ」


「あ、ああ、はい。そ、そうですね。すみません……」


 余程今の事が堪えたのか、エリスが明らかに動揺しながら、腰にかけた鞄からポーションを取り出して手渡してくる。


「これは……飲むのかや?」


「いえ、塗るタイプです。代わりに塗りましょうか」


「そうじゃな、頼むのじゃ」


 エリスが手にポーションを付けて傷の辺りをやさしく撫でる。


「全く、何が『堅いから大丈夫』ですか。私のイナリさんに怪我をさせるなんて、あの男許せませんね」


 エリスが遠くで岩に腰掛けて水を飲んでいるディルをにらみつける。


「ディルの事かや。しかしあやつも、多少無茶こそあったとは言ったがの、十全に力は出したじゃろうからな、許してやってほしいのじゃ」


「……まあ、イナリさんがそういうのなら……」


 エリスが渋々と答える。そして、彼女はしばらく間をおいて再び喋り出す。


「あの、イナリさん。その、ポーションも効いてなさそう、です……」


「はえ?」


 先ほどはエリスが魔法を失敗したのかと思ったが、何やら雲行きが変わってきたように見える。


「あの、『薬は毒』って言うじゃないですか。もしかしてポーションも毒扱いされてます?」


「……ど、どうじゃろうな……」


 ポーションの本来あるべき姿もよくわかっていないイナリには、果たしてどう答えればよいのかわからない。


「まあ、傷も放っておけば治るじゃろうし、この件は一旦置いておくとしようではないか」


「……イナリさんの傷も治せないような回復術師、居る意味あるんですかね?」


「ま、まあそんなに卑下するでないのじゃ。ほれ、お主、我のために色々してくれておるじゃろ?ひとまず元気を出して、皆の所へ行こうではないか」


 イナリが肩を落とすエリスをどうにか励ましながら、手を繋いで移動する。何だか普段と立場が逆転している気がしないでもない。


 イナリがリズの方に歩いて行くと、それに気づいたリズが笑顔で駆け寄ってくる。


「イナリちゃん、お疲れ様!ねえねえ、リズの活躍見てた!?スカッとしたでしょ!」


「う、うむ?確かに、ものすごい威力じゃったのう。トレントも壊滅しておるし」


 未だ興奮冷めやらぬリズにイナリは困惑する。ともあれ、楽しそうで何よりである。


「でしょ!?実はあの五発撃ったやつ、全部ちょっと違ってて、一番気に入ってるのはあの二発目に撃った魔法でね!あの穴をよく見ると分かるんだけど、着弾した後、細かく分裂、してて……」


 またリズの魔法話が始まるのかと思ったら、途中で二発目の魔法が着弾したであろう穴を指さしながら言葉を止めてしまった。


「どうしたのじゃ?」


「……何あれ」


 イナリは疑問に思いながら、茫然とした声を上げたリズが向いている方に目をやると、そこには一体の巨大化したトレントが、イナリの方へ向けてゆっくりと動いている姿があった。


「……何じゃあれ」

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