第111話 トレント誘導作戦

「よし、覚悟はできたな?縄で固定されてるとはいえ、一応ちゃんと掴まっておけよ。じゃ、行くぞ」


「はえ?ちょ、ちょっと待―」


 ディルは背負っているイナリに一言告げると、イナリが返事を返す間もなく、ものすごい速度でトレント達が蔓延る森へと突っ込んでいく。


そして手前にいたトレントの幹にあたる部分を蹴って上にあがり、体を捻り、回転させ、器用にトレントの攻撃を避けながら枝を渡り歩いてトレント達の壁を突破し、少し離れた位置の背の高い木の上まで移動した。


「よし。ひとまず第一関門は突破だ」


「うぅ、よ、酔ったのじゃ……」


 現在イナリはディルに負ぶさる形になっているため、ディルの視界をほぼ疑似体験しているような状態だ。


 そのせいも相まってか、目まぐるしく変動する視界に振り回されたイナリは目を回している。微妙に吐き気も催しており、手が動かせたら間違いなく口を抑えていたことだろう。ディルはいつもこんな活発に動いているのかとイナリは驚愕した。


 そして、イナリの発言に、ディルも驚愕した。


「おい、頼む、絶対に俺の背中で吐くなよ?とりあえずここからは割と落ち着いた動きになるからさ。な?」


「そ、そういうことならば、善処するのじゃ……」


 ディルの懇願にイナリは頷く。ディルの言う事を信じるのであれば、ここからはさほど激しい動きは無いらしい。ただし、ディル基準での「落ち着いた動き」である、という点だけが心配だが。


「ひとまず、少し落ち着いたらすぐに移動するぞ。お前に釣られたトレント共が、この木を倒す前にな」


 ディルの発言に下の方を見れば、大量のトレント達がガサガサと鳴らしながら、時には幹の細い普通の樹木を押し倒しながら、木に向かって、厳密には木の上にいるイナリに向かって進み続けている様子が見える。


それもかなりの速度であるから、今イナリ達がいる場所に到達するまで、もう十秒も無いだろう。


「今はただトレントが形成した輪の外側に出ただけだからな。ここから外周を回ってトレントを集めていくぞ。……そろそろ頃合いだな。ここからはしばらく動き続けるからな!」


 そう言うと、ディルは素早く枝から枝へと飛び移り、トレント達を誘導するべく動き始める。


「そもそも、じゃな。内側の、安全な、ところを、動いて、集めれば、よかった、じゃろ。何故、外に?」


 イナリは己の体が揺れるために発言が途切れ途切れになりつつも、ディルに疑問を投げかける。


 こんなトレントに追いかけられるようなことをしなくても、イナリが内側で外周を回れば、トレントを集めることが出来たのではないかと考えての疑問である。


「ん?ああ、外の方が効率が良いのと、少しでもエリス達が安全に爆破地点の下準備をできるようにするためだ。内側からだとトレント共が多かれ少なかれ常に張り付いてて邪魔だろ?外側に誘導すりゃしばらく開けた場所になるだろうからな」


「なるほどの」


 イナリは返ってきた回答にある程度理解を示しつつ、何故ディルは激しく動いている中で平然と喋っていられるのかと理不尽に感じた。


 そして連続して木々の間を飛び移る度に、浮遊感がイナリを襲う。確かに先ほど激しい動きではないが、これはこれできついものがある。


「あ、なんかちょっと、無理かも……」


 イナリは普段の口調すら崩れ、細い声で気分の悪さを訴えた。


「おい、冗談きついぞ。ああもう、待ってろ、確か状態異常を軽減する丸薬があったはずだ。毒用だが、効かないことは無いだろ」


 ディルは片手が空く時期を見計らって、移動する速度はそのままに片手でポケットの中を漁る。


「よし、おいイナリ、あったぞ!これ飲め!」


 ディルは見つけた丸薬を、肩に乗せられたイナリの手に渡す。


「手が、動かせぬ……無理……」


「ああクソ、そうだったよ!顔前に出せ!飲め!」


 イナリの体はほぼ完全に固定されていたことを失念していたディルは、悪態をつきながらイナリに顔を前に出させて、口に丸薬を放り込む。


「即効性の強いやつだから、大体一、二分くらいで楽になるはずだ。それまで我慢しておけ。あとできるだけ遠くを見ろ」


「うむ……」


 その後しばらくの間、イナリはディルの背中で揺れに耐えながら、薬の効き目が出始めるのを待つ。


 イナリは背後を全く見ていないが、トレントの足音は時が経つにつれて重厚感を増し、木々や草木をかき分け、あるいは踏み倒しているような音も混ざっている。


間違いなく追従するトレント達の数は増えているとみていいだろう。


 イナリが背後のトレントに思いを馳せて酔いに耐えていると、ディルが声を掛けてくる。


「どうだ?そろそろ楽になってきただろ」


「……んや、全然じゃな……」


 ディルに話しかけられたことで、思考から引き戻され、イナリは再び自身の気分の悪さに意識が向いてしまう。


「マジかよ、勘弁してくれ。悪いがもう止まってる余裕は無えし、もう俺が打てる手は無いぞ。耐えるか慣れるか、それか気絶するなりして、うまくやってくれ」


「そ、そんなことを言われてもの……」


 ディルの無茶振り染みた指示に、イナリは当惑する。


「まあ俺の期待交じりの推測だが、お前は恐らく最初の動きで酔っているだけだ。しばらくすりゃ勝手に治るだろ。というか治ってくれ」


「わ、わかったのじゃ。我の威厳も、かかっておるからの……」


 打つ手が無くなったディルによる、どうかそうであってほしいという意思が滲み出た助言を受けたイナリは、ディルの背で揺られながら、無心になることで気分の回復に努めることにした。




「おい、大丈夫か?そろそろ折り返し地点だ」


 ディルの声に、イナリの意識が再び戻る。イナリはしばらく黙り、自身の体調を確かめる。


「……大丈夫そうじゃ、世話掛けたのう。して、折り返し地点とは?お主、今我らのいる位置がわかるのかや」


「俺の進んでいる速度と勘に基づいたものだ。もしかしたらまだかもしれないし、通過したかもしれん」


「ええ、そんな雑で良いのかや……」


 あまりにも大雑把な情報に、イナリは困惑の声を上げる。


「まあ、お前に声を掛けるついでに言ったような所はあるな。目安程度に思ってくれればいいさ」


「なるほどの。……ところで、もう一つ聞いても良いじゃろうか」


 イナリには今、言いたいことがいくつかあった。無心になっている間に揺れに慣れたのか、あまりつっかえずに喋れるようになったとか、進行度すら勘で算出しているような奴が、果たして正しい軌道で進めているのか、実は全然違う方向に進んでいるのでは、といったことである。


 しかし、イナリが今聞こうとしたことは、別の事である。


「なんか、我の後ろからものすごい音がするのじゃが。一体どうなっておる?」


 イナリの背後からは、先ほど無心になる前とは比にならないほど色々な音が聞こえている。


木々の倒れる音、トレントが地面に根を抜き差しする音、倒れた木に穴が開くような音、逃げ惑う鳥の鳴き声……他にも色々あるだろう。イナリはこれらの音を、耳だけでなく、振動を通して、イナリの体全体で感じる。


 幸い、イナリはディルの耳元で喋っているし、イナリの耳が良いためにディルの声を問題なく拾えるので会話が成立しているが、恐らく普通の人間であればまともな会話すら成立しなさそうだとすら思う程である。


「ああ、俺がお前を起こそうと思った、最たる理由がそれだ。ちょっと後ろ見てくれねえか?俺はもう前方から目が離せねえんだ」


「ふむ」


 確かにディルは高速で木々を飛び移っていかなくてはならない関係上、前方から視界を逸らすのは危険であろう。しかし、とはいえ、である。


「……なんというか、見たら後悔しそうな予感を全身で感じておるのじゃが。我の毛が、逆立っておる。我の勘が、見ない方が良いと言っておる」


「確かその勘とやら、外れるときは外れるんだろ?勘違いで終わるかもしれねえから、とりあえず見て、状況を教えてくれ」


「ぐぬぬ……」


「それに、何かあっても動くのはお前じゃなくて俺だからな。お前はただ後ろを見て、どんな感じか言うだけでいいんだ。楽な仕事だろ?神様なのにそんなこともできないのか?」


 渋るイナリに、ディルは余計な煽りすら加えてくる。わざわざ「神様」と言うあたりが絶妙にイラっとする。


「貴様不敬じゃぞ。全く、仕方ないのう……」


 とはいえ、イナリがここで意地になって見ないなどと言うことは、一蓮托生の現状においてはあまり望ましい選択とは言えないだろう。イナリは自身を背負うこの無神経な男とは違い、そういったことにも思慮できるのだ。


 そんなことを考えながら、イナリは渋々、首を回して背後を確認し、硬直する。


 まず目に入ったのは、もし立ち止まろうものなら一瞬で吞み込まれ、挽肉になること間違いなしの、トレント達の群れである。


トレント達が木々を踏み倒していること自体は、後方を見る以前から音でわかっていた事ではあるが、実際に目の当たりにすると、その恐ろしい光景に体が委縮してしまう。


 しかも、音では気がつかなかったこととして、イナリを追いかける個体が増えたことが原因か、トレントを踏み倒すトレントの姿が見える。同族を踏みつぶしてでもただひたすらにイナリを追いかけ続ける様子は、まさに魔物というものを体現したような姿である。


 そして、トレントには幹の一部に顔のようなものがつく個体がいるが、そういった種類の個体の目線は全てイナリに向いており、イナリがどこを見てもいずれかの個体と目が合う。


 そのような個体も、イナリが川辺でトレント退治をしていた時は全くもって気にしなかった。しかし、今はイナリを手に入れんとばかりにものすごい勢いで追いかけてきていて、実際、一歩間違えたら捕まってしまうのであるから、恐ろしさしか感じない。


 そして何より、近い。イナリが思っていた倍くらいは近い。


 まだ余裕はあるが、とはいえ、もし仮に今いる辺りが折り返しだとしたら、ディルがエリック達の場所に到達する頃には、イナリがトレントと抱擁していることだろう。


「……イナリ、どうだ?」


 黙り込んだイナリを心配するような声色で、ディルが問いかけてくると、イナリは絞り出したような声で応答する。


「見て、後悔したのじゃ」

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