第108話 エンスト
「む、そういえば、我の短剣はどうなのじゃろうか。何か知らぬが神器なんじゃろ?このトレントに対して有効かや?」
イナリは懐にしまっていた短剣を取り出して鞘を抜き、エリスに見せる。
「そうですねえ、トレントに対してはただの短剣と同程度の効果でしょうね」
「そうなのかや。我は神器については大してわからぬが、この剣は我の神性を帯びておるのじゃろ?きっと強大な力を秘めておるはずじゃ。確か、アルトが作った神器も色々と凄かったんじゃろ?それと同じような感じじゃ」
「あの、外ではアルト神を呼び捨てにするのは絶対にやめてくださいね?……確かにアルト神が創造したものの中でも、特に初期の頃に授けられた神器には特殊で強大な力を持ったものもあります。しかし基本的には聖属性を持ち、魔王やゴーストなどに代表されるアンデッド系に対して非常に有効である点以外は、他の武器とさほど変わりはないとされていますね」
「ふーむ。なるほどのう……」
神器などと大層な名を持っているわりに大して役に立たないことを知ったイナリは、落胆しながら短剣を懐に戻す。
「ま、まあ、しいて言うのなら、その剣の硬さはイナリさんの頑丈さに匹敵するでしょう。もしかしたらそれがその神器に引き継がれているのかもしれませんね」
「なんじゃか、地味で嫌じゃ。我の特性が引き継がれるのなら、一振りしたら目の前に森が出来るくらいしてくれても良いのではないかや?」
「それはそれで使いどころに困りそうですね……」
エリスがイナリの神器に対して捻りだしたようなフォローを加えるが、結局、盾や防具ならまだしも、短剣に硬さを与えたところで「それで?」という感想しか抱けない。もう神器なんて大層な名前は捨てて、鍬にでも改名したほうが良いのではないか。
「まあ良い。我の揮うべき力は決まった故、ひとまず喋るのはこの辺にして、トレント退治といこうではないか」
「そうですね、私もリズさんを待たせてしまっていますし、そうしましょうか。頑張りましょうね!」
「うむ」
エリスの呼びかけに返事を返したイナリは、リズ達が魔法を撃つ方角とエリックがトレントを処理している方角の間辺りに位置取ってトレントを処理することにした。
「さて、早速やるのじゃ」
イナリは自身の隣に疲労回復用のブラストブルーベリーを積んだ籠を置き、手元に風を集めて刃を形成し始めた。
しばらくトレントの処理を淡々と続けていき、昼を回ったぐらいの時間帯になると、川辺のトレントの数は目に見えて減少した。
そして先ほどまでトレントで埋め尽くされていた川辺には、灰や木片と化したトレントの残骸が転がっており、対岸も見えるようになっている。
「あの、イナリさん、大丈夫ですか……?」
「う、うむ……うぷ……」
そして、顔を青くし、口を手で押さえてうずくまり、吐きそうになっている狐の耳と尻尾を持つ少女の姿もあった。
「エリックさん、一体どうしてこんなことに……?」
「僕、たまに見てたけど、ずっとブラストブルーベリーを食べながら攻撃してたし、後半の方にはペースも上がってきてたから、多分食べすぎじゃないかな。心配になって何回か声を掛けたけど、大丈夫って言ってたから……。イナリちゃん、大丈夫?」
「そこそこじゃ……」
エリスやエリックがイナリの容態を心配するが、イナリがこうなったのには訳がある。
イナリがエリック達と会う前にも、風刃を使うためにブラストブルーベリーを食べすぎてダウンしたことから、それ以降は食べすぎに注意するようにしていたのだ。
しかし今回は、トレントを倒すべく何度も風刃を使っていた過程で、次第にトレントを倒す分には、割と雑に風の刃を形成しても、精度以外に大した影響がないことに気がついた。
そんなイナリは目の前のトレントがバタバタと倒れていく様子に気分がのって、次第に風刃を撃つペースを上げていった。
結果、自身の腹の容量を大幅に超過する程のブラストブルーベリーを食べてしまい、今のイナリの姿があるというわけである。
そんなイナリ達のもとにリズが近寄ってきて、イナリに声を掛ける。
「イナリちゃん、一応だけど、お昼ご飯はいる?」
「考えるだけで吐きそうじゃ……」
「リズさん、流石に今のイナリさんに食べ物の事を考えさせるのは酷ですよ……」
「ご、ごめん……」
「よ、よいのじゃ。我の事を考えてのことじゃしの。……うぐ、し、しばし横にならせてほしいのじゃ……」
「わかりました。私の膝をお貸ししましょう。遠慮せず、どうぞ」
ここぞとばかりに素早くエリスが平らな場所に移動し、正座して膝をぽんと叩く。
「うう、背に腹は代えられぬ……」
イナリがゆっくりとエリスの方へ行き横になる。そして一分も立たないうちにイナリは寝息を立てはじめる。
「……マズいですね」
「何?どうしたの!?」
エリスの小さな声での呟きを拾ったリズが、何か大変なことが起こっているのかとエリスに問う。
「マズいです。私が密かに抱いていた理想のシチュエーションの一つが実現して、感情が溢れそうです」
「はあ、そっか。エリック兄さん、リズは先に戻ってご飯用意しておくね」
心配して損したという態度を隠すことすらせず、リズはイナリの家へと向かって歩き出す。
「僕もすぐに行くよ。……エリスはどうする?」
「私はイナリさん成分を摂取しますので大丈夫です」
「そう……。一応少し残しておくから、後で食べると良いよ」
「はい、ありがとうございます。もし何かあったらイナリさんを抱えて逃げますのでご安心を」
「それ、イナリちゃんが大丈夫じゃなくない?」
「……まあ、緊急事態になったら、きっと大目に見てくれるはずです」
エリスは目を逸らしながらエリックの問いに答える。
「……ひとまず、そうならないことを祈っておくよ。あと、一応だけど、イナリちゃんに変な事をしないように」
そうエリスに釘を刺して、エリックはリズの後に続いた。
「皆さん、最近の私に対する態度がどんどん雑になってる感じがします。一体どうしてでしょうかね?」
エリスは眠っているイナリに向けて静かに独り言をこぼすと、イナリの尻尾がぺしりとエリスの顔にぶつかった。
エリスはその尻尾を手でそっと押し下げて撫でながらトレントの蔓延る方角を眺める。
森の方から他のトレントが移動してきて、再び川の周辺をトレントが埋めていく様子が目に映る。
「……もうトレントで埋まり始めているのですね。この感じだと、お二人が戻ってきたころには元通りでしょうか。危険が無い分作業で済むのは良いのですが、一体いつ終わるのやら。案外、森に潜伏しているトレントの数は少なかったりしませんかね?」
エリスは今後の様相を予想しながら、顔を僅かに顰める。
そして索敵用の広域結界を展開し、相変わらず全くもってトレントの検出数が数えられないことを確認する。
「はあ、本当、見てるだけで嫌になりますね。さっさと片付けて帰りたいです……」
エリスは文句をこぼしながら再びイナリに目を戻す。
「ああいや、帰ってもイナリさんのために聖女様と話さないといけませんでしたか。全く、私とイナリさんの平穏な暮らしは遠いですねえ……」
しみじみと呟くエリスの声は、トレント達の出す音の中に消えていく。
そこでイナリがもぞもぞと動きながら何やら寝言をこぼす。
「エリス、我の尻尾は食べ物で……ない。追いか……ないで……むにゃ……」
「……夢の中の私、一体何を……?」
その後、夕方になるとリズの魔法の爆破音でイナリは目を覚ますと、エリスと目が合う。
「イナリさん、おはようございます」
「……うむ。ある程度気分は良くなったのじゃ。見苦しいところを見せたのう」
「いえいえ、大変目の保養でございました」
「……」
イナリは無言で転がってエリスの膝から脱出すると、エリスが小声で、あぁと残念そうな声を上げる。
「エリックとリズは作業に戻ったのじゃな。我も戻らねば……」
「いえ、私たちは一旦待機のようです。テルミットペッパーも在庫が切れましたし、イナリさんもあまり無理をしては、また先ほどのようになってしまうでしょう。膝枕が出来るのは大変嬉しいですが、イナリさんが苦しむのは本意ではないですし」
「ふむ、そうかや」
「代わりに、エリックさんからトレントがどのように、どの程度分布しているのかを、危険が無い範囲で調べるように言われました。一応私だけでも問題は無いのですが、イナリさんはどうしますか?」
「ふむ、我はしばし家に戻ることにしようかの」
「そうですか……」
イナリの返事にエリスは肩を落とす。
イナリは先ほどのエリスの話を聞いて、エリスが居ない間に成長促進を使ってテルミットペッパーを補充しようと考えたのだが、それを実行するとイナリの尻尾が増えてしまう都合上、イナリのこの対応は致し方ないことである。
何となく、成長促進の段階を上げることで尻尾が増えることをエリスはわかっていそうではあるが、とはいえ率先して見せるつもりはないのだ。理由は単純、危なそうだからである。
「では私はトレントの調査に行ってまいります」
「うむ、気を付けるのじゃぞ」
「ええ、言われなくても私は必ずイナリさんのもとに戻りますよ」
「そ、そうか……」
そう言ってエリスは森の方に踏み入った。
「では我も役割を果たすとするかの」
果たしてエリスの調査によってどの程度トレントの数が把握できるかはわからないが、イナリの予想では、少なくとも一日以上は同じようなことの繰り返しだろう。
「この状況は我も好まぬからの、頑張らねばならぬのう」
イナリは一言意気込むと、リズとエリックに挨拶だけして家に戻り、自身の役割を果たすことにした。
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