第106話 エリスの回復魔法とトラウマ

 しばらくして、そこには頬を抑えて項垂れるイナリの姿があった。


「うう……何かまだヒリヒリしておる……」


「ええっと、こういうときは何と声を掛けたらいいのでしょうか。ひとまず、お疲れ様、でしょうか……?」


 エリスは、岩に座って、抱えている鉢に入れたテルミットペッパーを少しずつ水を加えてすり潰しながら、何とか喋れる状態まで回復したイナリをみて苦笑する。


「いやあ、想像以上であったのじゃ。これはとても食べるものではないのう……」


 イナリは鉢の中を見ながら、先ほど食べた物の味を想起して顔を顰める。


「わかりきっていた事ではありますけどね。水はまだありますけど、飲みます?」


「うむ」


 エリスが水を入れたコップを手渡してくると、イナリはそれを一気に飲む。


「私の回復魔法で治せたら良かったのですが、基本的には外傷を治すのに向いているものですからね、こればかりは水を飲んでいただくしかないのですよ」


「なるほど、魔法も万能ではないということじゃな。まあ、ポーションなる物が存在している時点で万能ではないだろうとは察しておったがの」


「そうですね。外傷や聖属性の魔法を必要とする治療は私のような回復術師、病の治療は錬金術師や薬師、というのが一般的な理解です。勿論、回復術師が病を治したり、薬やポーションが外傷を治すこともありますよ。昨日、ディルさんがここに来た時に彼に渡したポーションなんかは、まさにその例です」


 エリスは鉢の中をゴリゴリと棒で混ぜながら解説をするが、ここで一つイナリは疑問を抱いた。


「……そういえば、何故ディルにはポーションを渡したのじゃ?お主が治してやるのではダメなのかや?」


「ダメではないのですが……簡単に言えばリソースの都合、ですかね」


「りそうす……?」


 謎の単語にイナリが首を傾げると、少し疲れたのか、エリスが手を止めて話し始める。


「つまり、私が使える回復魔法や結界魔法は、いずれも一日辺りに使える量に上限があるのです。少々説明は難しいのですが……ものすごく端的な言い方をするとですね、いずれも、治癒した回数や攻撃を受けた回数ではなく、量で決まっているのです。何故そうなのかは知りませんけどね」


「まあ、その点については、説明されたところでリズくらいしか喜ばぬじゃろうな……」


「まあ、そうですね。で、回復魔法なら、些細な擦り傷を百回治療するより、重傷を負った者を一度治療する方が負担が重いのです。結界魔法も同様で、恐らくイナリさんが何度結界を叩いても結界は割れませんが、リズさんの魔法などを何度も受ければやがて壊れ、再展開が出来なくなります。もっと言えば、極論、ダメージさえ受けなければ永久に展開することもできます。……術者が居ないと結界は維持できないので、理論上の話ですが」


「ふむ……何か今、我がちょっと侮辱された気もするが、まあ良いのじゃ。あ、我が代わりにすり潰してやる故、棒と鉢を貸すが良いぞ」


「ああ、ありがとうございます。では、少しの間お願いします」


 手を止めたエリスを見て、彼女が疲れていると察したイナリは、一旦話を止めて交代を申し出る。


 すると、それに応じたエリスは棒と鉢を一旦床に置いて、イナリを膝の上に乗せ、再び棒と鉢を持ち上げてイナリに渡してくる。


「……???」


 イナリは、何故か当然とばかりに行われた自然な動作でエリスの膝の上に運ばれた、今の状況に疑問符を浮かべた。


 そんなことは気にせず、エリスは話を再開する。


「で、話を戻しますと、一般的に出回っているようなポーションによる回復効果はある程度決まっていて、一番効果があるものでも若干深めの切り傷辺りが限界です。それに傷の種類によって使うポーションも変わってきますから、汎用性が低いです。しかし、回復魔法は上限に達しさえしなければ、基本的に欠損や落命している場合を除き、時間をかけさえすれば重傷であっても治すことが出来るのです」


「……ふむ」


 イナリはエリスの話を聞きながら、鉢の中身を棒でガコガコと鳴らして混ぜる。


「ということで、長々と語ってしまいましたが、要するに野外で活動するような冒険者にとっては回復魔法はかなり重要なので、極力温存したい、ということですね」


「んんん、まあ、わかったような、わからぬような……」


「ふふ、なんだかリズさんみたいになってしまいましたね。まあ、最後の部分だけわかっていただければ問題ないですから」


 エリスは唸るイナリの頭を撫でて微笑みながら、ひとまず今の説明で押さえておくべき要点だけを示す。


「なるほど、理解したのじゃ」


 イナリが返事を返すと、丁度そのタイミングで昨日イナリがエリック達の来訪に気づいた時と同じように、地面ががわずかに振動を伝えてくる。


また、僅かにだが、リズの魔法によるものであろう爆発音も聞こえてくる。どうやら昨日よりも幾分か音が大きいようだが、恐らく昨日より上位の魔法を使っているためであろう。


「む、この感じ、エリックとリズはトレントの討伐作業を始めたようじゃな」


「……そうみたいですね?」


 イナリの言葉に、エリスは少し遅れて反応する。イナリはすぐに気づいたが、どうやら普通は意識して初めて気がつくような事のようだ。


「我らも遅れぬようにせねばならんのう」


「そうですね、急ぎましょうか。……ところで、その、非常に申し上げにくいのですが」


「む、何じゃ?」


「先ほどからずっと言おうか迷ってはいたのですが……その、イナリさん、全然すり潰せてないです……」


「……」


 イナリは無言で鉢の中身を覗き、イナリがすり潰す作業を始める前に形が残っていた実が、現在も大して形を変えずにそのまま残っていることに気がついた。


「……己の無力を呪うのじゃ」


「ま、まあ、イナリさんにはイナリさんの良いところがありますから、そんな気落ちしないでください。ね?ほら、私も一緒にやりますから!」


 そんなわけで、イナリはエリスに励まされながら一緒に作業を進めた。




 その後、十五分ほどで十分にすり潰し作業が完了し、エリスとイナリははそれぞれ、すり潰したテルミットペッパーが入った鉢と、籠の中に積めるだけ積んだブラストブルーベリーを持って川へと歩き始めた。


 川に近づくにつれてリズの魔法の爆発音も大きくなっていく。


 そして今、イナリには一つ気になることがあった。それについて尋ねるべく、イナリは声を上げる。


「のう、エリスよ」


「はい、なんでしょう」


「……お主、その、なんか、遠くないかや?」


 なんと、普段は隙あらばイナリにくっついて離れないあのエリスが、今はイナリの七歩分ほど後ろを歩いている。


「そうですか?そんなこと無いと思いますよ?」


「いや、流石に誤魔化されんのじゃ!今も普段の倍くらいの声量で喋っておるし!」


「あ、ああー?何かそうかもしれないですねー?」


 エリスは目を泳がせながら強引に誤魔化そうとしてくるが、流石にこれは異様である。


 普段のイナリに密着している様子も客観的に見れば十分異様ではあるが、それはひとまず置いておくとして、異様である。


「……何じゃ、何かあるのかや?正直に言うのじゃ」


 イナリが立ち止まって振り返り、エリスの方に近寄って理由を問うと、エリスもまた引き下がる。


「あっ、ちょっと止まってください。ええっとですね、その、イナリさんが抱えているその籠の中身を考えてほしいのですよ」


「籠の中身?」


 イナリは首を傾げながら籠の中を見る。そこには取れるだけ取った実がたんまりと積まれている。


「それって基本的に爆発物じゃないですか。私、爆発物がすごく苦手なんですよ。爆発は大丈夫なんですけど」


「は、はあ。何じゃそれ……?」


 よくわからないエリスの主張にイナリは首を傾げる。そんな器用な苦手意識の持ち方、どうやったらできるのだろうか。


「何じゃお主。昔何か事故にでもあったのかや?」


「いや、あるかないかで言ったらないのですが……」


 エリスは顔を顰めながら答える。


「では何故じゃ?」


「あの、私とリズさんの部屋に魔石が転がってて、種類が違う魔石をぶつけると爆発するっていう話、覚えていますか?」


「うむ。覚えておるよ」


 確かその話は初めてエリスとリズの部屋に入った時にされたはずだ。イナリも手元で魔石を爆発させかけたから覚えている。本人曰く爆発はしないとのことだったが、信憑性が果たしてどの程度担保されているのかは謎であった。


「あの部屋で過ごしていて、毎晩ずっと今日こそ爆発するんじゃないかと考えながら過ごしていたらですね、知らない間にトラウマになっていたんですよね」


「ふむ……」


 トラウマが何かイナリにはわからないが、この話をしているエリスの顔がものすごい不快そうなので、あまりいいことではないと言うことは察せられた。


 よくよく思い返してみると、あの部屋にイナリがブラストブルーベリーを置こうとした時も、エリスはものすごく嫌そうな表情をしていた気がする。


 それも結局最終的には外で保管することとなったが、裏でエリスがこのような事を考えていたとは。


「となると、結界で防げばよいという話でもないよの……」


「そうですね。今もイナリさんのそばに居たい気持ちは山々なのですが、ちょっと怖くて……」


「なんというか、苦労しておるのう……」


「ええ。あれでもリズさんの魔石の管理はかなりマシになっているので、これ以上あれこれ言うのも悪い気がしてしまって、普段は妥協しています……。あ、あと、イナリさんと一緒に寝るとすごく気が紛れて落ち着くんですよ」


 なるほど、エリスが執拗にイナリと共に寝て癒しとやらを得たがる理由はそこにあったようだ。


「つまり、お主のその、トラウマとやらを解消すれば、我はお主と寝る必要は無いということじゃな?」


「いや、それはまた別の話ですね」


「そうか……」


 イナリの推理は即座に否定される。残念ながら、事態はそこまで単純でもなかったようだ。


「まあ、事情は分かったのじゃ。では、我の後ろに続くが良おっとっと……」


 勢いよくイナリが振り返り、バランスを崩してふらつく。


「あ、危ないのじゃ。全部落とすところじゃった……」


「もう、本当に勘弁してください……」


 イナリは籠を抱えて一息つき、それを見たエリスは本当に嫌そうな顔をした。

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