第104話 エリスの本気料理

「あの、本当にすみませんでした……ちょっと、私の考えが甘かったと言いますか……少し考えればわかることだったのに……」


 エリスが地面に横たわるイナリに寄り添って謝罪する。


「よい。よいのじゃ。我なんかの事は気にせず、エリックの方に行くと良いのじゃ。今日はもう疲れた故、我はもうこのまま寝る……」


 地面に仰向けになっていたイナリは、そのままその場で丸くなって、寝る姿勢に入る。


「その、イナリさん、それは風邪をひいてしまいますから、せめて小屋まで行きましょう?」


 流石にそんなイナリを放置するわけにもいかず、エリスはイナリを持ち上げて小屋の中へ運ぶことにした。


 なお、持ち上げられる際、実はイナリは密かに抵抗していたのだが、イナリは軽いうえに力もまるでないので、抵抗していることに気づかれることすらなかった。


 エリスが小屋の入り口にイナリを下すと、イナリは草履を脱いでとぼとぼと中へと入っていき、先ほど地面で丸まっていたのと同じように丸まった。


「……完全にいじけちまってるな」


「私がディルさんの事を言えないほどに余計な事をしたせいで……ああ、こうなったら死んで詫びるしか……」


 エリスは両手を顔に当てて悲痛な声をあげる。


「それは誰も幸せにならないからやめてくれ。とりあえず、今はそっとしておいて、後で美味いもんでも作ってやりゃ機嫌も直るだろうよ」


「そうでしょうか。でしたら腕によりをかけて作らないといけませんね。後で何があるか確認しないと……。しかし、そう単純な話でしょうか?」


「……少なくとも、俺は今までのあいつを見た限りだと相当単純なやつだと思っているが」


「……確かに、そうですね……」


 エリスは今までのイナリと生活の中でイナリが時折見せる単純さを思い起こし、苦笑いした。


「だろ?あいつの出自を考えると仕方ない部分もあるのかもしれないが、いつか危険なやつに目を付けられそうだよな」


「はい。そうならないためにも、私がイナリさんを常に監視しておかないといけませんよね。……ディルさん、どうして私を見ているのですか?」


「……いや、何でもない」


 ディルの懸念は杞憂に終わりそうだ。何故なら、イナリは既に十分危険そうなやつに目を付けられていたからだ。


 ディルはイナリの未来が平穏なものになることを祈りながら、エリスと共にエリックが待つ川の方へと歩き始めた。




 自宅で丸まって寝ていたイナリは、ふと良い匂いがして目が覚める。


 身体を起こして外を見ると既に明るくなっており、リズとエリックが話す声が聞こえる。


 どうやらイナリが寝た後もトレント達が何かしてくるようなことは無かったようだ。


 ひとまず彼らの所に移動しようと思いイナリが立ち上がると、丁度のところで出入口にエリスが現れ、イナリを見て笑顔になる。


「あ、イナリさん、おはようございます。丁度今、起こそうかと思っていたところなのですよ」


 そしてエリスを見た瞬間に結界の事を思い出したイナリは、先ほどと同じような目に遭うのは御免とばかりに後ずさりする。


「……け、結界とやらはもうないのかや?」


「はい、結界は無いですから安心してください。あの結界は一度出したら移動できませんから」


 エリスが腕を広げて安全な事を強調しながら近づいてくるが、イナリは彼女が靴を履いたまま小屋に侵入しようとしていたのに気がついた。


「む、お主よ、ここは土足禁止じゃ」


「ああ、靴を脱がないといけないのですね、失礼しました。あまりこの辺では無い文化なもので……」


 エリスはそう言いながらその場で靴を脱いで家に上がり、若干言いよどみながら口を開く。


「イナリさん、その……改めて、先ほどは大変申し訳ございませんでした」


「全くじゃ。突然地面に叩きつけられた我の気持ち、わかるかや?」


「返す言葉も無いです……」


 イナリは小屋の窓枠に寄りかかって文句を言うと、エリスが俯きながら返事を返してくる。そんな彼女にイナリはため息を吐く。


「まあ、先ほどこそ連続であのような仕打ちを受けて気落ちしたがの、一度寝たらある程度は落ち着いたのじゃ。それにお主らの普段の行いからして、我を害そうとするならもっと色々できるじゃろう。というわけで、ひとまず水に流すことにするのじゃ」


「ありがとうございます。私、イナリさんに嫌われたらもう生きていけないので、もしそうなったらどうしようかと、ずっとモヤモヤしてました……」


「そ、そうかや。随分大げさじゃのう……」


「誇張無しですよ。ともあれ、そんなわけでですね、お詫びの意も込めて、朝ご飯は私が作らせていただきました。ディルさんの協力も得て、森から色々調達しましたし、本当はあまり使わないでキープしている調味料も奮発しましたので、かなり美味しくできたと思います」


「ほほう、それは殊勝な心掛けじゃな。疾く案内するのじゃ」


「はい、わかりました!」


 イナリはエリスに手を引かれて外に出ると、エリックとリズが挨拶をしてくる。


「おはよう、イナリちゃん」


「イナリちゃん、おはよ!リズ、途中で寝ちゃってごめんね!それに何か、その後も大変だったみたいだけど、大丈夫だった?」


「まあ、刃物を突き付けられたり、地面に叩きつけられたりしたが、詫びはあった故問題ないのじゃ」


「エリス姉さんから詳しい話は聞いてたから良いけど、そこだけ聞くと問題しかないよね」


「川にエリスが来た時、ものすごい焦燥してたから何かあったのかと思ったよ。まあ、何かあったことには違いなかったけども……」


「いやあ、ははは……」


 リズとエリックの言葉に、エリスは苦笑する他なかった。


「……ところで、ディルの姿が見えぬが。あやつはどこにいるのじゃ?」


「ああ、ディルは昨日の話し合いで決めた通り、街に戻って僕達の生存報告と冒険者が安易に近づかないように伝えてもらうことになっているよ」


「ふむ?トレントの群れはどうしたのじゃ?アレをどうにかせんことには、ここを出るのは難しいと思うのじゃが」


「ディルさん曰く、あのトレントの群れも、一人で切り抜けるだけならそこまで大変でもないらしいです。絶対そんなこと無いと思うんですけどね」


「まあ、盗賊ならではの感覚なんだろうねえ」


「なるほどのう」


「一応戻ってくるかは本人に任せてるけど、いつもの感じなら多分、戻ってくるだろうね」


「ふむ?」


 イナリにはよくわからないが、ディルとエリックは付き合いが長い故にわかることもあるのだろう。


「まあ、とりあえずご飯を食べようか。エリスがイナリちゃんのために色々頑張ってたみたいだし、冷めないうちにね」


「そうじゃな、何やら美味じゃと聞いておるからの、楽しみじゃ」


「はい、渾身の出来です!今準備しますので、そこに座ってお待ちください」


「うむ、苦しゅうないのじゃ」


 エリスがイナリを近くの岩に座らせて、火にくべられた鍋から肉を取り出して木の器に盛りつけて、何か色々とかけたり乗せたりしてからイナリのもとへ運んでくる。


「こちら、『ヒイデリジカの深鍋トマトソース煮込み魔境森林のキノコと果実を添えて』です」


「なんて?」


 イナリが過去に触れた事が無いタイプの料理名に、思わず目が点になってしまった。


 恐らくもう一度聞いても良くわからないだろうと判断したイナリは、ひとまず渡された料理を見る。


 今までイナリが食べてきた料理と比べると、今回エリスが作った料理は見栄えまでしっかりとしていて、材料は大体ここで採ったものと持ち込みの調味料だけであろうに、謎の高級感を醸し出している。


 皿の中央にある、イナリが今まで食べてきたものと比較すると小さめの鹿肉の上にはトマトを使ったソースと、何か牛乳か何かの白いソースが波線を描くようにかけられており、上には小さな薬草が乗せられている。よく見ると、皿の縁にもソースが装飾的に使われている。


 そしてその横には昨日採集したものの余りや新しく採ってきたであろうキノコや一口大に切られた果物が色とりどりに添えられている。


 なるほど、エリスが述べた料理名をよくよく考えれば、意外とそのままこの料理の事を説明していたようだ。


「お主、すごいのう……。今までお主が作った料理とは一線を画しておるのじゃ」


「ええ、それはもちろんです。本気を出して作りましたから」


「その肉、確かエリスが数時間ずっと煮込んでたからね……」


「本格的な料理人ではないのですが、回復術師としての訓練をしていた頃、数回だけ上流階級の方の食事の席に参加する機会がありましてですね、それを参考に作ってみたのです。流石に砂糖や塩も結構使うので、あまりたくさん作れるようなものではないのですけれど、今回はイナリさんのためですからね、多少の出費は厭わないということです」


「そっか、エリスって結構いい育ちの人だったんだっけ」


 エリスの発言にエリックが思い出したように告げる。


「本物の貴族の方などと比べたら全然ですし、同期と比べたらそれなりに悪い方ですけどね」


「まあ確かに、神官らしくないって意味ではそうかもしれないけどね。でも十分だと思うよ」


「とはいえ、そんな育ちのいいひとが今は毎日尻尾の事をずっと考えてるんだ……何か哀しいね……」


「リズさん、何か言いましたか?」


「いや、何もいってません!」


「なら結構です。さあ、イナリさん、冷めないうちにどうぞ」


「うむ」


 食器を手渡されたイナリは、肉を刺してみる。すると肉汁がジワリと溢れる。


「おぉ……」


 その光景に感動しつつ、そのままイナリは肉を口に運ぶ。口の中で噛むたび熱い肉汁が口の中に広がる。


「イナリさんが肉を食べられるように、柔らかくなるまでじっくり煮込んだのですよ」


「ふむ……」


 エリスによる、食べる者のことをしっかり考えて作られた料理に、イナリは感動すら覚えた。


「エリスよ」


「はい」


「我が過去食べた物の中でも特に美味じゃ。感謝するのじゃ」


「おぉ、ありがとうございます、頑張った甲斐がありました……!」


 イナリの言葉に感動するエリスをよそに、イナリはモグモグと食事を食べ進めた。

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