第103話 踏んだり蹴ったり

 イナリは自身の家の近くに立てられたテントに駆け寄り、まずはエリスが中にいるテントのドアを捲る。


 テントの中央部には、毛布に縮こまって器用に虚空を抱いているエリスの姿があった。


イナリにはそこに既視感を感じ、一体何故かとしばし一考する。


「……これ、もしや……」


 一つ思いついたイナリは、テントの中に入ってエリスが抱いている虚空を観察する。


イナリが辿りついた答えは、「エリスと共に寝ていたとき、イナリが先に起きて腕から抜け出した後の状態」であった。その証拠に、エリスが抱いている虚空の大きさは、イナリの腰回りと大体同じ大きさである。


 後からイナリが来ることを期待してなのか、あるいは、エリスの中ではここに想像上のイナリがいるのかもしれないが、どちらにせよ想像するだけで悲しくなることには違いない。


「なんと哀れな……。まあ良いか、起こすのじゃ。ほれ、起きるのじゃー」


 エリスの事を軽く憐れんだイナリは、さっさと切り替えてエリスの体を揺する。


「……んん?ああ、イナリさん、おはようございます。一緒に寝ますか?」


 目覚めたエリスは、軽く目を擦りながら謎の提案をしてくる。


「いや、我は起こしに来たんじゃが。あ、あと、リズがここに来る途中で寝てしまっての、我に代わって運んでほしいのじゃ。すぐそこじゃから」


「あら、それはマズいですね。リズさんは寝相が凄まじいですから、下手したらもう森の中にいるかもしれません」


「はは、流石にそれは無いじゃろう。……無いじゃろ?」


「……断言はできませんね。ともかく急ぐことにしましょう」


「冗談でないのかや……」


「寝ぼけて魔法を撃ったりしないだけマシだと思いましょう」


 イナリは面白い冗談だと思って笑っていたが、エリスの様子を見ると割と本気での発言だったようだ。リズの寝相が持つ無限の可能性にイナリは戦慄する。


 イナリはエリスを伴ってテントを出て、リズが寝ている場所まで案内する。幸い、リズはまだ道の端にいたので大事にはならずに済んだ。


「では私はリズさんをテントに運んできます。一応テントは二つしかないので、イナリさんにはリズさんと寝てもらうしかないのですが……」


「あいや、我は我の家で寝られる故、気にせんで良いのじゃ」


「そうですか、なら大丈夫ですね。ではディルさんの方にも声を掛けて頂けますか?」


「よかろう」


 イナリは頷くと、もう片方のテントに歩みよって中を覗き込む。


 中にはディルが静かに眠っていた。イナリには彼が妙に姿勢よく寝ているところに違和感を覚えたが、どちらかと言うと普段イナリが共に寝ていた者が、イナリを蹴り飛ばしたり抱きしめてきたりと、特殊なだけなのかもしれない。


 そんなことを考えながら、イナリは先ほどエリスにしたようにディルを起こすためにテントに入る。


「ほれ、ディルよ、起きるのじ―」


 イナリがディルに近寄って体を揺らそうとすると、イナリの手が触れようかといったところで突然ディルの体がぶれて消失する。


「―ゃ?」


 そして気がつくと、イナリの両腕が後ろで拘束され、首に短剣が突き付けられていた。


「……は?あ、悪い、イナリか……」


「ひ、はえ……?」


 ディルはイナリの姿を認めると、すぐにイナリの両腕を解放した。


何が起きたのかイナリには全く分からなかったが、どうやらディルはこの狭いテントの中、一瞬でイナリの背後を取ったようだ。


「な、何でぇ……?わ、我は、お主を起こそうと……」


 ディルに背後を取られ短剣を突き付けられたイナリは、へたり込んで震えながら声を絞り出す。


イナリは今まで長いこと生きてきたが、流石に、物理的にここまで自身に脅威が迫ったのは初めての経験であり、思考が完全に麻痺してしまった。


「わ、悪かったから。まずは話を―」


「イナリさん?何してるんで……何してるんですか!?」


 ディルが目に涙を浮かべるイナリに弁解を始めようとしたところで、起こすだけにしては妙に時間がかかっているイナリの様子を見に来たエリスがテントに顔を覗かせ、声をあげた。


 エリスが見た光景は、手をさすりながらテントの端に小さくなって涙目になっているイナリと、片手に短剣をもって慌てふためくディルの姿である。


 エリスが来た瞬間、ディルは慌てて床に短剣を置く。


「ディルさん、貴方、私のイナリさんに何してるんですか?」


「いや、違うんだ、本当に事故だ。話を聞いてくれ」


「はい?ナイフを持って子供を襲おうとしていた男のどこに誤解の要素があるんですか?とりあえずこの森を出たら出頭してください。イナリさん、そんなところにいては危ないです。こっちに来てください」


 エリスはディルに冷たく言い放ち、イナリを呼んで抱き寄せる。


「う、うぅぅ……」


「ああイナリさん、可哀そうに……。ディルさん、とりあえず言い訳だけ聞きましょうか。何故イナリさんを襲うような真似を?」


 エリスはイナリを宥めながら、ディルにゴミを見るような目を向ける。


「そんな目で見ないでくれ、別に襲うつもりも無かったんだ。俺は普段と違う気配が寄ってきたのを察知したから、襲撃者が来たと思ったんだ。ほら、そいつが話してただろ?」


「はあ。イナリさんとその辺の犯罪者のどこに間違える要素があるんですかね?」


「こいつが外にいたのなんて最初に会った時ぐらいだし、いつも起こしに来るのはリズやエリックだからわからなかったんだ。本当に申し訳ないと思ってる。この通りだ」


 頭を下げるディルを見て、エリスは深いため息をついて、イナリに問う。


「……だ、そうですが。イナリさん、どうします?」


「……まあ、我は寛大じゃからの、許してやるのじゃ」


「……イナリさんの寛大な心に感謝するんですね。ディルさん、イナリさんが頑丈だったおかげで何とかなってますが、普通に危なかったですからね?ディルさん、そうなったら誰が治療するかわかってます?」


「おう……」


「ほら、イナリさんが震えてます。大変でしたね……」


「……すまん……」


 エリスが再びイナリを抱きしめる。


 しかし、正直なところ、イナリはディルに短剣を突き付けられたときこそ驚きもしたが、それもちゃんとした理由もあってのことで、それに物理的な害は無かったので、既にショック状態からは立ち直っている。


むしろ、どちらかと言うと、本気で怒っているエリスの方が怖いまであり、今の震えもそちらに起因している。そんなことは絶対に声に出しては言えないが。


 ともあれ、話は一段落ついたので、三人はテントの外へと出る。


「にしても、普段、他の冒険者と活動しててもこんな事にはなったことが無いんだがなあ。流石に洒落にならないし、原因を知っておきたい所だ」


「確かに、イナリさんが稀有なだけで、普通の獣人だったら殺し合いに発展していること間違いなしでしょうね。まあ、今回の原因はディルさんお得意の訓練不足じゃないですか?知りませんけど」


「いや、流石に師匠から大体の種族の気配の察知の仕方は教わっているからな、そんなはずは……いや、あるか。イナリ、お前の纏う気配、獣人っぽいけど微妙に違うわ。本当に少しだけだが」


 エリスの雑な推理を否定したディルは、エリスに抱えられたままのイナリを注視しながら見解を述べる。


「まあ、神じゃしな」


「神の纏う気配は確かに知りようがありませんからね、筋は通っていそうですが……」


「はあ、ともかく、これで再発は防げそうだ。気を付けねえとな……」


「是非そうしてください。次同じような事をしたら、たとえイナリさんが許しても私が許しませんからね」


「おう……。というか、俺たちこれからトレントの監視につくんだよな?正直、空気的にキツいんだが」


「いえ、そんな、お気になさらず。ディルさんが手出ししてこないように、ちゃんと結界を張りますから。……魔物除けの簡易結界で防げますかね?」


「お前、俺の事を魔物扱いしてんのか……?」


「イナリさんにあんなことをできるなんて魔物みたいなものですよ。何なら試してみますか?実はディルさんは本当に魔物で、結界に弾かれるかもしれませんし」


 そう言うとエリスは小声で何か句を唱えて簡易結界を展開する。


するとベヂンという重い音と共に、エリスが抱えていたイナリが吹き飛んだ。


「あっ」


「……そういえばアイツ、簡易結界に弾かれるんだったな……。てか今すげえ音したぞ。大丈夫か……?」


「イ、イナリさん!?大丈夫ですか!?」


 二人は慌てて地面に放り投げられたイナリの元へと駆け寄る。


「……我、お主らに何かしたか?我、実は嫌われてたりするかや?」


 今回は、エリスにやさしく抱えられていたら突然地面に激突させられて、イナリの心にかなりのダメージが入った。もしかしたら、ディルに短剣を突き付けられた時以上に堪えたかもしれない。


イナリはただ地面に仰向けになって、静かに涙を流した。

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