第102話 何も起こらない見張り

「……暇」


 トレントの足音が響く川辺に、リズの呟きが溶けていく。彼女は杖を立て掛けて岩に座り、天を仰いでいる。


どうやらトレントの群れに慣れることは諦め、空を眺めることにしたようだ。


 三人が川辺でトレントの監視についてそれなりの時間が経過したものの、トレント達がイナリの家の方角へ侵攻してくる様子も、何か綻びが生じそうな様子もない。


 つまり、暇なのである。


 長い時を生きているために、暇な時間に慣れきったイナリにはそこまで苦ではないが、人間である二人にはさぞ堪えることだろう。


 そう思いながらイナリはエリックの方を見るが、彼はずっとトレントを監視している割に、リズのように何か文句を零すようなことも無く、淡々と自身の役割を遂行しているようだ。


 これはきっと、冒険者としての活動歴の違いなどに起因するのだろう。


 イナリがそんなことに密かに関心していると、突然リズが何かを思い出したように声をあげて、喋りはじめる。


「そういえば、エリック兄さん。さっき伝え忘れてたんだけどさ、このトレント達は多分、イナリちゃんが流し続けてる神の力に釣られてて、つまり全部イナリちゃんの方に向かってるんだよね」


「……それ、すごい重大な事だよね。となると、イナリちゃんを連れて脱出するのは一番マズい選択肢ってことか……」


「うん。だから、実は方針決めの作戦会議の時に反対したのはそういう理由もあったんだよ」


「なるほど。ここに滞在する方向で決めて良かった……」


「すまんのう、我が自身の素性を明かした時に合わせて言うべきじゃったやもしれぬ」


「本当、何か致命的な事故が起こる前で良かった……」


 エリックがほっとした様子で手を顔に当てるが、リズはそこに追い打ちをかける。


「リズの先生の見立てによると、トレント達はイナリちゃんを取り込もうとしてるみたい。多分取り込まれたら魔王に匹敵する何かが生まれるんじゃないかってことらしいよ」


「……そっか。今日は聞かない方が幸せに生きていけそうな話がたくさん聞けて嬉しいよ」


「どういたしまして」


 エリックが手を顔に当てたまま項垂れる。


イナリは、漠然とエリックはあまり皮肉を言わなさそうな性格だと思っていたが、今回ばかりは、流石に皮肉の一つくらい言いたくなるような状況なのだろう。


「となると、ますます早いところトレントの殲滅に取り掛からないといけないけど、いくらここが安全だと言っても、この数を全滅させるのは骨が折れるね。外からの支援も難しいだろうし……。リズ、何かアイデアはあるかな?」


 エリックがリズに考えが無いか尋ねると、リズは手を顎に当てて唸る。


「うーん、この森一帯を消し飛ばしても良いなら二通りくらいは」


「二通りあるのかや……」


 リズの発言に、イナリは慄いた。恐らく一つは、リズが昼間に撃っていたような爆発系の魔法の超強化版を使うようなものだろうが、もう一つとは何なのだろうか。イナリにはとても想像がつかない。


「とりあえず、後処理が大変になりそうだから、それは無しでお願いしたいな」


「じゃあ地道にやるしかないね。一応昼の感じだと、爆発で数を巻き込めるタイプの魔法を使えば、多少は効率よく数が減らせると思うよ。それに安全な場所からでいいともなれば、魔法の詠唱に集中できるし、昼に使ったのよりも上位のものも使えるかも」


「我の家の周りに植えてあるブラストブルーベリーを使うことを許してやるのじゃ。食べてよし、投げてよしじゃ」


「食べられるのはイナリちゃんだけだよ」


「ああでも、ブラストブルーベリーもうまく使えば効果的かもしれないね。数はどれくらいある?」


「我の能力をもってすれば無限と言っても良いのじゃ。……まあ、魔境化との兼ね合いを様子見しながらじゃが。そろそろこの辺の木の成長限界が来ても良い頃合いだと思うのじゃが……」


「植物には詳しくないからそこは何とも言えないけど……とはいえ、もしかしたら使わせてもらうかもしれないね」


「うむ、把握したのじゃ」


「……そういえば、ハイドラちゃんと検証してたブラストブルーベリーのポーション化計画、多分帰ったころには進展が出るだろうから、暇なときに行こうね」


「……帰れると良いのう」


 イナリは川の対岸の光景を見ながらしみじみと呟いた。とてもじゃないが、ここから脱出できる光景が想像できない。


「大丈夫、僕達なら帰れるさ」


「うん。魔王が出てくる前には終わらせてみせるよ!」


 エリックがそう告げると、リズも腕を曲げて意気込む。


「何とも力強いことじゃ。しかし、我が何もできぬのは癪じゃな。普通なら人間のことなど我関せずとして、神らしく堂々と家で構えておればよいのじゃろうが、この状況も我に起因しておるからの、全部お主らに対処させるのは心苦しく思わないことも無いのじゃ」


「あぁー……。何か、プライドみたいなもの?」


「ぷらいどが何かはわからぬが、多分そうじゃ」


「だったら、この場所に居させてもらうだけでも十分助かってるから、気にしなくても大丈夫だよ」


 イナリの悩みに対して、エリックがそう返してくる。


「ふむ?そういうものかや」


「うん。それに畑の作物も提供してくれてるし、何よりイナリちゃんは、エリスの精神安定に必要不可欠になりつつあるから……」


「最後のが一番比重が重そうじゃ……」


「ま、まあ、それは冗談みたいなものだから、置いておいて。とにかく、イナリちゃんが何もできてないなんて思う必要は無いからね。イナリちゃんはこの土地の主なんだからさ」


「主……ふふふ、なるほど。確かにそうじゃな!エリック、お主はわかっておるのう!」


 主というフレーズが気に入ったイナリが立ち上がってエリックの背をバシバシと叩く。


「ははは……」


 エリックは、思いの外ご機嫌になったイナリに困惑交じりの苦笑を返した。




「さて、そろそろ交代しても良い時間帯かな」


「ああ、やっと?リズもう眠くてしょうがないよ」


 エリックの声に、リズが岩から立ち上がって腕を上にあげて体を伸ばした。


リズは先ほどから何度も欠伸をしているし、本当に眠そうだ。きっと昼間のトレントとの戦闘での疲れも抜けきっていないのだろう。


「僕はエリスとディルがここに来るまでは監視を続けるから、リズとイナリちゃんは二人を起こしてきてくれるかな?そしたら休んでもらっていいよ」


「りょーかーい。じゃ、イナリちゃんいこー」


「わかったのじゃ」


 リズがここに来るまでの時のように光の玉を出してきた道を戻る。


 しかし、リズの呂律が怪しくなりはじめているし、このままでは道中で寝はじめかねないとイナリは感じていた。


もしそうなったら、以前冒険者ギルドでアリエッタを引きずって移動したようにしなければならない。しかも、今回の場合はその移動距離は比べものにならないだろうし、多少軽いリズであっても容易でないだろう。


ともすれば、さっさと戻った方が良いだろう。そう判断したイナリは、リズの手を引いて歩く足を速めて家へと向かう。


「うう、目がしょぼしょぼする……イナリちゃん、なんかはなしてくれる?」


 リズも多少の危機感は感じているのか、イナリに話し続けるよう促してくる。


「は、話すと言ってものう……。昔、我の社の周辺の村で聞いた民謡はどうじゃ」


「ぜったい眠くなるやつじゃん。できればリズが会話する余地がほしい……」


「だ、ダメかや。そしたら、ええと……。我の昔話なんかもダメじゃな……。そ、そうじゃ、昔子供がやっていた言葉遊びじゃが、しりとりなる遊びはどうじゃ」


「『しりとり』ってなに……?」


「ええっと、確か……相手の言った言葉の最後の文字から始まる言葉を言い返し、それを繰り返す遊戯じゃ。一応勝敗もあるはずじゃが……実は決着がついたところを見たところが無い故、よくわからぬ」


「まあ、あたまをつかえるならじゅうぶん」


 着実に言葉が短くなってきているリズに危機感を抱きつつも、イナリはしりとりをすることにした。


「では最初は我からじゃ。ええと、確か、最初はしりとりの『り』から始めるんじゃったか。では、『りんご』じゃ。お主は『ご』から始まる言葉を言えばよいのじゃ」


「じゃー、『エリクサー』で」


「ふむ、『あ』じゃな……む???」


 自然な流れでリズが返してきたので思わずそのまま進行しそうになったが、りんごとエリクサーなる言葉ではしりとりとして成立していない。


「全然ダメではないか!リ、リズよ、お主ちゃんと起きておるかや?」


「んん、まだ、ぎりぎり……」


「とりあえず、何じゃったか、ええと……テントまで頑張るのじゃ。エリスとディルは我が起こしてやるからの。ここで寝られては我にはお主を運ぶことは出来んのじゃ」


「うん、がんばるよ」


「その意気じゃ。ではもう一度行くのじゃ。今度は、そうじゃな。『トレント』の『ト』じゃ」


「『と』?じゃあ……『とれんと』」


「……恐らくじゃが、この遊戯は同じ言葉を返すのは禁止だったやもしれぬ。まあ良いのじゃ。では……『陶器』じゃ」


「ん?イナリちゃん、とうきは『ぽ』からだから、『と』とはつながらないよ?」


「は?」


 頓珍漢な指摘に、イナリは思わず聞き返してしまった。


 恐ろしいことに、既にリズの眠気は会話が成立しなくなる段階まで来ているようだ。灯している光の玉の発光も若干点滅しはじめており、リズの寝落ちは刻一刻と迫っていることが明らかである。


「お主、ちょっと歩くのが遅れてはおらぬか?まだ寝るでないぞ、目的地はもうすぐじゃから……」


 イナリはどうにかリズの手を引いて歩いているが、だんだんと手に感じる重みが増しているように思えるし、リズの杖が地面に当たる音の間隔も次第に伸びてきている。


「うん……まだいけるよ……」


 もはや会話すらできなくなってしまったが、まだ何とかリズは歩き続けていた。


 そしてどうにかイナリが誘導しながら森の中を進み、イナリの家が見えてきたところで、遂にリズが倒れてしまい、静かな森にリズの寝息が響き始める。


「……まあ、よくやった方じゃな」


 イナリはリズを道の中央に放置して、急いでエリスとディルを起こすべく駆けだした。

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