第81話 触れられたくないことは誰にでもある
この後の予定についてまとまったところで、イナリは早速準備に取り掛かる。
と言っても、もともと大したものは持っていないので、持ち物は非常に少ないだろう。
イナリは、寝間着を脱いで、この世界に来てからほぼずっと着ていた着物を身にまとう。
昨日イナリが着ていた服がリズによって少し損傷してわかったことだが、この着物はどうやら汚れたりはするものの、焼けたり破れたりはしないようである。
あまり意識することは無かったが、イナリが元々着ていた服であるからして、特別なものであったようだ。
イナリが着替え終えると、その様子をエリスがまじまじと眺めていたことに気がついた。
「……何じゃ?」
「イナリさんのその服、いつ見ても不思議な様式の服ですよね。どこかの民族衣装ですか?」
イナリは、もしエリスが変な事を言おうものなら、たとえ彼女がこの部屋の主であっても叩き出す覚悟をしていたが、どうやらそれはイナリの杞憂だったようである。
とはいえ、これは普段の様子によって形成されたイメージの賜物であるからして、きっとイナリは悪くないはずだ。
イナリは想定していた返事とは違ったことに拍子抜けしながら、質問に答える。
「んー、そうじゃな。まあ似たようなものじゃな」
厳密なこの服の出所は不明だ。強いて言うならイナリが誕生したと同時に生まれたとか、そういった答えになるだろう。
とはいえ、自身が住んでいた地域の民族服であることはわかっているので、イナリは一先ずエリスの問いに頷く。
「私が半ば強引にイナリさんに服を色々用意しましたけど、その服は素材からして一線を画しているような感じがしますね。なんと言いますか、イナリさんにピッタリ、と言いましょうか。すごく一体感を感じますね」
「ふふん。そうじゃろ?お主が着せてきた『冥土服』やらとは格が違うのじゃ。格がの!」
「あ、ちなみになんですけど、メイド服は実はここにあるんですよ。着たかったら言ってください。というか、むしろ着てくれませんか」
「い、いつの間に手に入れておったのか……?」
突然部屋に備え付けられた衣服棚から飛び出したメイド服を見て、イナリはエリスから一歩距離を取った。
「我はそんな服を着る予定はないからの、一生そこの棚に格納しておくと良いのじゃ」
「そうですか……」
メイド服をもって肩を落とすエリスをよそに、イナリは自分の荷物が入った箱から指輪を取り出して指にはめる。
「あ、私、その指輪についても気になってたんですよ。イナリさん、殆ど何も持ってないのに、その指輪をすごい大事に扱ってますよね?どういうものか聞いても大丈夫ですか?」
「うーむ、そうじゃな……」
正直に答えるとすれば、「エリスが信仰する宗教の神と交信できる指輪」なのだが、そんな事を言うつもりは当然ない。
しかし、変にこの指輪を手に入れるまでの過程をでっち上げると、またイナリ生贄説のような変な誤解を招きそうだし、かといって拾っただの言っても不審に思われるだけだろう。
イナリは、ここは正直に答えられないと言った方が無難であろうと判断した。
「我にも色々あるんじゃ。だからちと、これについては聞かないで欲しいのう」
「……色々、ですか。すみません、不用意な質問をしてしまいましたね」
エリスが質問したことを後悔したような声色で喋ったために、突然部屋の空気が重くなる。
イナリはこんな空気にするつもりは無かったのだが、とはいえこの回答が最善のはずだ。
「と、ともかくじゃな、これで我の準備はおっけーじゃ」
若干感じる気まずさを紛らわせつつ、イナリは作物の種が入った袋を手に取って、部屋の出入り口へと向かう。
「あ、待ってください。これもちゃんと持ってください」
イナリが部屋を出ようと扉に手をかけたところで、エリスがそれを呼び止め、イナリの荷物入れから物を取り出す。
「冒険者証とイナリさんのお金です。冒険者証は街の出入りには必須ですし、もし帰ってきたときに私達がいなかったりした時にはお金も必要になるでしょう。ちゃんと持っておいてください」
「む、そうじゃった。すまんのじゃ」
ある程度人間社会には順応してきたと思っていたが、やはりこういったところはまだ慣れない。
昔は人間からイナリが認識されることは皆無だったために、人間の作るルールに従う必要性など皆無だったが、今はそうではないのだ。
あるいは、最初この街に来た当初のように神として威張り散らかすにしても、エリスをはじめとして、誰もがイナリのことを、神を自称するちょっと頭のおかしい少女として扱っている時点で、少々威厳に欠けていると言わざるを得ない。
さらに言えば、そもそもイナリに欠けるだけの威厳があったかという議論もしなくてはならないが、それは一旦置いておくとして、であるが。
「今度こそ準備おっけー、じゃな?忘れ物も無しじゃ」
「はい、ハイドラさんという方のところに持っていく瓶も、ちゃんと持ちましたね?」
「うむ。ここに入れておる」
エリスの問いかけに、イナリは己の懐を示して返す。
二人が玄関に行くと、そこには既にリズとディルが待機していた。
「おう、準備できたか?」
「うむ、ばっちりじゃ」
「よし、じゃあ行こうか!」
「いってらっしゃいイナリちゃん、気を付けてね」
リビングの方からエリックが顔を出して挨拶をしてくると、それに続いてエリスも口を開く。
「イナリさん、何度も言っていますが、この街にも不審者がいるみたいですから、本当に気を付けてくださいね。それに魔の森もいつ魔王が侵攻してくるかわかりませんし、常に周りの様子に気を配ってくださいね。どこかのタイミングで皆で遊びに行きますが、もし何かあったらすぐに街の方に逃げるんですよ?あともし怪我をしたときはまずは慌てずに近くに薬草が無いか探して―」
「わ、わかったのじゃ。というか我は怪我とは無縁じゃから心配無用じゃ」
「というか、こいつには不可視術もあるんだ。余程の事にはならんだろうよ」
「そ、それもそうでしたね……」
「それじゃ、行ってくるのじゃ」
「はい。いってらっしゃい、ですね」
手を振るエリスを背に、玄関の戸を開け、外に出る。
「ふう。それじゃ、まずはハイドラのところに行くとするかの」
「できれば日が暮れる前にイナリちゃんは家に着いた方が良いよね。サクサク行こう!」
「そうだな。あとは、道中に何か買えそうなものがあったら買ってもいいかもな。昼飯用に肉串でも買っておいたらすぐに食えるだろ?」
「確かにそうじゃな。お主、思ってたより頭いいのう!」
「なんか一言余計なんだよな……」
「いえ、意識激高脳筋のディルさんに対する評価としては妥当ではないですか?」
「お前の俺に対する評価も流石に酷……何でいるんだお前」
何故か平然と外に出てきて会話に混ざっているエリスを見て、ディルは真顔になる。
今しがたエリスとは家の中で別れたばかりのはずだ。これにはイナリとリズも困惑を隠しきれない。
「ちょっと、まだイナリさんが一週間ほど家からいなくなる事実を受け入れきれてないんですよね」
「それでついて来たってか?重症すぎるだろ……」
「ディル、エリス姉さんはもうダメかもしれないよ」
「前はこんなんじゃなかっただろ、どうしてこんなになっちまったんだ」
「……我はこのエリスしか見たことないからの、逆に見てみたいものじゃな」
イナリは、家の前でエリスに抱きつかれながら、無心で呟いた。
「あやつ、我がここに来るまではあんなでは無かったのかや?」
どうにかリズとディルの二人がかりでイナリからエリスを引っぺがし、今度こそ錬金術ギルドに向かってイナリ達は歩き始めた。
「ああ、まあ何というか、多少毒を吐いたりするところとか、神官のわりに微妙にそこまで仕事熱心ではない感じとか、元々神官らしさはそんなにない奴だったんだけどな、それ以外は特に問題は無かったはずなんだが。多分、お前がエリスと会った直後時には、まだまともなエリスだったはずだぞ?」
「うーむ、確かにそんな気もするのう……。いや、我の身柄がエリックからエリスに移った時、あやつは既に縄で巻かれた我を見ては時々微笑んでた気がするのう……。お主、それについてはどう思うかや」
「お前、最初は魔物疑惑かかってたよな?流石にその時はまだ普通だったんじゃないか……?」
「イナリちゃん、実はリズ達はイナリちゃんの事魔物だと殆ど思ってなかったの。だから多分、その時のエリス姉さんは、普通に子供に接するつもりの態度だったと思うよ。なんというかなあ。一緒に活動し始めたころのリズとエリス姉さんってあんな感じだったよ。ほら、何しても割とニコニコしてる感じ?」
「あー、お主、確か昔はかなり刺々しい性格だったんじゃろ?エリスなら適当にあしらいそうな感じがするのじゃ」
イナリがリズの言葉に納得してそう言うと、三人の間に沈黙が流れ、リズがただならぬ雰囲気を醸し始める。
「……イナリちゃん、その話どこで聞いたの?」
「む、ディルとエリックじゃよ?」
しかしそれに気づかないイナリは、リズの問いかけに笑顔で返事をしてしまう。
「……ふーん、そっか。ディル、ちょっと後で話があるんだけど、いいよね?ちゃんとエリック兄さんも呼んで。ね?」
「……マジかよ……」
リズによる話合いのお誘いに、ディルは絶望したような表情になる。
「あっ、なんか今の雰囲気、二人から聞いた昔のリズとそっくりじゃな!」
「ん?イナリちゃんも今度お話したほうが良い?」
「あっ、いや、何でもないのじゃ」
ここでようやくリズの纏う不穏なオーラに気がついたイナリは、すぐさま引き下がった。
「……まあ今はいいか。話を戻すけど、いいよね?」
「うむ、ぜひとも戻してくれたもれ」
「……えっと、エリス姉さんの話だけど。リズの記憶が正しければ、この街にイナリちゃんが来た初日の夜、かな。エリック兄さんとディルが寝てた時、エリス姉さんがメチャメチャイナリちゃんの尻尾触りだした辺り。あの辺からちょっと変になってたかなって感じはするよ。何だっけ、癒しが欲しいとか供述してたんだったっけ?」
「確かに、そのようなことがあったのう。その時は得体の知れなさを感じたものじゃ。それが今では……」
リズが記憶を辿りながら話すのを聞いて、イナリは言葉を濁して頷く。
「多分、その癒し欲しさと元々エリス姉さんに備わってた世話焼きな感じが恐ろしい融合を起こした結果がアレなんじゃないかなと思うよ」
「マジか、こいつが言ってた『こっちに来てからは大体あんな感じ』ってほぼ正確な表現だったのかよ……」
「うーん、やっぱりもう手遅れって感じだね。イナリちゃん、頑張ってね」
「まあ、本当に嫌な事はしないように努めているようじゃしの、良いとするかの……」
「イナリお前、結構大変なんだな……」
「うむ……」
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