魔の森の騒乱

第80話 家に帰らせて頂きます

 最終的に、エリスに不穏さを抱いたイナリは瓶の中身を小分けにして、エリス以外の二人にも飲んでもらった。


 そして、それを飲んだ全員がリズと同じような感想を残すとともに、疲労が回復していると報告した。


 どうやら疲労回復効果はイナリ以外には発揮しているようだ。一体何故だろうか?


 ベッドで既に寝ているエリスに背後から抱きつかれた状態のイナリは、自身の荷物が入った箱の横に置かれた、ハイドラにも飲んでもらうために少し中身が残してある瓶を眺めながら思案した。


「ハイドラに報告する際に問うたら、何かわかるじゃろうか。まあよいか」


「うぇへへ、イナリさーん……」


 何か寝ぼけているのか知らないが、エリスがイナリの背にくっついてくる。


 一瞬起こしてしまったかと思ったが、ただの寝言のようである。寝言ですらイナリの名前を呼ぶとは、一体どのような夢を見ているのだろうか。


 ともあれ、イナリは一人で考えても埒が明かなそうな話は頭の片隅に置いて、別の事を考えることにする。


 別の事というのは、イナリの帰宅についてである。そろそろ前回の帰宅からそれなりの時間が経っているし、そろそろイナリの家に戻ってもいい時期だろう。


 アルトに話したいこともまたいくつかできたし、ついでに昨日エリスと外出した際に購入した種を家に撒いて育ててみたいのだ。


 ウィルディアとの会話から、少し魔の森の中で自身の権能を用いて作物の成長を加速させることも、第三段階か第四段階くらいまでならば、割と大事にならずに何とかなりそうだとイナリは睨んでいる。


 ともすれば、きっと一週間くらいかければ作物を収穫できる状態に持ちこめることだろう。


 それを、またこのパーティハウスに戻ってきた時に虹色旅団の面々に振舞ってもいいし、あるいは、この前オリュザ料理もとい、米料理を作ってくれた店主に提供してみてもいいかもしれない。


 イナリの脳内には、既に自身が作った野菜を絶賛しながら食べる面々の顔が浮かんでいる。


 明日帰宅する旨を伝えて、その途中で軽くハイドラのところに寄っていく。家に帰ったら久々に作物の栽培に力を入れる。明日の予定はこれで行こう。


 イナリはそのように思案している間に、やがて眠りに落ちた。




「イナリさん、朝ですよ」


 朝になると、エリスがイナリを起こすべく声を掛けながら体を揺すってくる。


「んむ……あと一年……」


「そんなに待てませんよ」


 何度かベッドで寝がえりをうって端から端まで往復した後、イナリは眠気を振り払い起き上がる。


 向かい側のベッドには既にリズの姿も無く、どうやら寝ていたのはイナリだけのようだ。


「何じゃ、皆既に起きておるのじゃな。普段は我の方が起きるのが早いものじゃが……ふあぁ」


「もしかしたら、昨日飲んだアレで疲れが抜けているおかげで目覚めが良いのかもしれません。エリックさんとディルさんも起きていますし。さあ、朝食ももうすぐできますから、リビングへ行きましょう」


 あくびをするイナリを見て、エリスが微笑みながらイナリを誘導する。


「んむ……」


 イナリは目をこすりながらエリスに手を引かれてリビングへと移動する。


 テーブルには既に朝食が用意されている。今日は卵焼きとパンのようだ。


「おはようじゃ」


「おう」


「イナリちゃんおはよー!」


 イナリはメンバーに適当に挨拶して席に着き、朝食を食べる。


 そしてある程度目が覚めてきたところで、イナリは昨日考えていた事をメンバーの皆の前で伝える。


「あ、そうじゃ、突然で悪いのじゃが、家に帰らせてもらうのじゃ」


 イナリのこの言葉に、エリスが手に持っていたパンをぽとりと皿の上に落とす。


「イナリちゃん、帰っちゃうの?」


「どどど、どうしてですか?わ、私のせいですか?何か不満がありましたか?お小遣いが足りないのでしたら増額できます。毎日銀貨五枚、いや、金貨一枚くらい……」


「ああいや、別に恒久的にここを去るという意味合いではなくての、この前と同じく、我の定期的な帰宅の一環じゃ。……というかお主、もうちょっとお金を大切にした方が良いと思うのじゃ。人間の営みにとって大事なものであろ?」


「確かにそうですが、今となってはイナリさんが全てに優先されます。全財産をはたく覚悟も、イナリさんが出ていくと言い出したら、私もすべてを捨ててついて行く覚悟もできています」


「我、こやつからの好感度が高すぎて怖いのじゃ。一体どうなっておるのじゃ??」


「それは僕らも皆思ってる。イナリちゃん、本当に何もしてないんだよね……?」


「しておらぬからこそ困惑しておるのじゃ」


「エリックさん、イナリさんの魅力がわかっていないとはまだまだですね。しかし、いつかわかる時が来ますよ。イナリさんは神を自称していますが、それはあながち間違いではなかったのかもしれません。今ならそう思えます」


「おい大丈夫か、何か俺たちの目の前で背信者が誕生しそうな勢いだぞ」


「エリス姉さん大丈夫?熱とかない?」


 リズが不安げにエリスの頭に触れて熱が無いか確認する。残念ながら、と言うべきか。エリスに熱は無く、至って正常であったようだ。


「ううむ、まあ、何か害が出ておるわけでは無いし良いとするかの……。話を戻すのじゃが、一昨日、我とエリスで出かけた際に色々と種を購入したでの、それを帰宅ついでに栽培しようと思っておるのじゃ」


「ああ、なるほど、それはいいですね!収穫出来たら是非食べさせてください」


「うむ、もとよりそのつもりじゃよ。まあ、一週間くらいで何とかする予定じゃ。ほれ、今なら魔王の影響で作物も早くとれるじゃろ?不可視術を使えば、魔の森で襲われる心配も無用じゃしの」


「それは良いが、昨日エリックが言ってたように街に不審者がいるようだからな。お前は何かとトラブルに巻き込まれがち……というかトラブルを起こしがちだから、前みたいに外までは俺がついていこう」


「あ、じゃあリズも行こうかな」


 どうやら街の外までは二人がついてきてくれるようだ。他の二人はどうかとイナリはエリスの方に目を向ける。


「……私は今日は教会の方に用事がありますね。はあー、今から全部キャンセルしましょうかね」


「それはやめろよ、マジで」


「僕は今日もギルドの手伝いをしなきゃいけないから、イナリちゃんについてはそっちに任せるよ」


「お主、本当にいつも仕事しておるのう……」


 ディルの反応からするに、とんでもないことを口走っているらしいエリスは無視して、今日も仕事をするというエリックにイナリは感嘆する。


 イナリがこの家で暮らすようになってから、彼が休んでいた日は数えるほどしかないだろう。


「大事な事だからね……。それにしても、魔王の影響で作物が育ちやすくなるのは、良いのやら悪いのやら」


「今のところ、大きな被害は魔境化した森ぐらいしか無えし、この辺り一帯が妙に作物の栽培がしやすくなったみたいだからな。良いところの方が多そうだよな?」


「あの、仮にも私は打倒魔王を掲げる教会の神官なのですが。あまりそういう、魔王を肯定するようなことは言わない方が身のためですよ」


 ディルの言葉をエリスが咎める。


 イナリがこの前図書館で読んだ本の記述からしても、アルト教は魔王に対する敵対心が非常に高いことが分かったが、エリスがこうしてそのような態度を見せるのは初めてだろう。


「でもお前さっき、イナリが神だとかなんだとか言ってたし、それでおあいこだろ」


「……仕方ないですね」


 ディルの言葉を咎めたエリスだが、自身も大概な事を宣っていた事を指摘され、渋々引き下がる。


「あ、一応この街を出る前にハイドラのところに寄っていくのじゃ。それでも構わぬかの?」


 イナリがディルとリズに問いかけると、二人はそれを了承する。


「はあ。私、一週間イナリさんなしで生きていけるでしょうか……」


「それは知らぬ」


「一週間もあったら、一回くらい森の魔物の掃討依頼のついでに、イナリちゃんの家に遊びに行っても良いんじゃない?」


 イナリロスを嘆くエリスを見て、リズが提案する。


「確かにそうですね。エリックさん、問題ないでしょうか?」


「うん。特に森の状態に異常があったりしなければ大丈夫だと思うよ。流石に一週間もイナリちゃんを一人でいさせるのは不安だし、三日くらい経ったら行ってみようか」


「よし、決まりですね!」


「……我、ここに来る前から一人で暮らしてたのじゃがな?」


「まあ、その様子を見たいってところもあるんじゃねえか?まあ知らんが」


「そういうものかや。ともあれ、お主らが来るというのなら、相応の準備をせねばの。そうじゃ、我の茶を振舞うとしようではないか」


「なら適当に菓子でも用意しておくか。道中で崩れなければいいんだが」


「そこはお主の腕の見せ所じゃな」


「中々無茶を言うな……」

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