第82話 ハイドラに報告

 幸いなことに、イナリ達が雑談をしながら錬金術ギルドへと向かっていると道中に、何かの魔物を焼いた肉串を手に入れることが出来た。


 先ほど朝食を食べたばかりであるとはいえ、イナリが抱える肉串が数本入った紙袋から良い香りがして、食欲が刺激される。しかしこれは後で食べるためのものだから、今は我慢の時である。


「これは多分魔の森にいるイノシシかなあ。ほら、イナリちゃんをこの街に連れてくる時に倒したようなやつ。今は魔境化の影響で一個体あたりから取れる肉も多くなって、市場に出回ってるっぽいね」


 イナリが内心で肉串を食べたいという欲と格闘しているとは露知らず、リズが自前で一本だけ買った肉をモグモグと齧りながら、その肉について話す。


 イナリは気を紛らわせるという目的も兼ねて、リズに対して疑問を投げかける。


「この前スライムゼリーを食べたときのお主の話じゃと、魔物はあまり好まれないのではなかったかや」


「昨日はちょっと端折ったけど、魔物が無理っていう人は、魔物なら問答無用で全部が全部ダメってわけじゃなくて、例えば動物系の魔物は良いけどそれ以外は無理とか、人型の魔物の肉は食べたくないとか、色々あるんだよねえ」


「む?動物と魔物は違うのじゃよな?動物系の魔物、というのは何じゃろうか」


 人型の魔物というのはわかる。恐らく魔の森を作るに至った根本的な原因でもある、イナリを追いかけ回したゴブリンなんかがそれにあたるだろう。しかし、動物系の魔物とは何だろうか。


「動物に見た目がそっくりな魔物だよ」


「……では、魔物とは何かや?」


 イナリは、何だか終わりの見えない議論が始まりそうな気配を感じながらも、再びリズに問う。


「んー……そうだねぇ、魔物の定義は色々あるんだけど、通説というか、一番おおざっぱな捉え方は、人間にとって有害な事、かな。有害っていうのは、大抵は人間を見かけ次第襲ってくるとかだけど、ドラゴンとかは存在が脅威ってことで魔物に分類しようっていう議論もあったりするね。うーん、結論は出てたんだったかなあ……ちょっとこの辺はイマイチ理解できてないかも」


「ふむ。しかし、お主の話じゃとスライムゼリーの材料となったスライムは徹底的に管理されているとのことではなかったかの?それでは有害とは呼べぬのではなかろうか」


「多分、あれは弱い個体だからこそ管理できるって話だろうね。スライムに甘い餌とかを与え続けて、あとは別室から監視するとか、そういう感じの。一応人間が近づくと、普通にどついてくるらしいし、魔物には変わりないよ」


「ふーむ?中々難しいものじゃな。しかもスライムの中にも色々おるのじゃろ?わけわからんのじゃ」


「まあ、その辺はリズもあんまりわかんないや。あと、イナリちゃんはあまり見たこと無いかもしれないけど、テイマーっていう職業があってね、魔物を従える人がいるんだよね」


「……何か、さっきの有害なものが魔物という話が、根底から崩れておらぬかや」


「うん。実際大半の人は雰囲気で魔物と動物を分類してるし、魔物学者でもない限り、もうそこまで深く考えない方が良いと思うよ」


 ここまで散々色々と話しておいて、何とも残念な結論がリズの口から飛び出した。魔物とは何かという議題は、リズですら匙を投げるような議論だったらしい。


「そんな雑な結論で良いのかや、ここまでの話は一体何だったのじゃろか……。その、リズよ、一口だけその肉を貰えないかの?」


「ん?いいよー」


 話が一段落ついてしまい食欲に抗えなかったイナリは、リズから肉を一口だけ貰ってその場を凌ぐことにした。


 リズがイナリに向けて串を差し出してくるので、それをぱくりと口に入れる。


「なんか最初に会った時を思い出すねえ。あの時もリズが食べさせてあげたんだよね」


「確かにそんなこともあったのう。よし、また食べたくなる前に、錬金術ギルドへと急ぐのじゃ」


 若干歩くスピードを上げて、イナリ達は錬金術ギルドへと移動した。




「ふう。意外と距離があるのじゃな……」


 以前錬金術ギルドへと来た時は要塞から移動したために大した距離は無いとおもっていたが、家からだとそれなりの距離があったようだ。


 ディルにギルドの重い扉を開けてもらい、イナリ達はハイドラの部屋へと向かう。前回と同じく、受付と書かれた札が立てられた場所には誰もいない。


「相変わらず誰もおらんのう。本当に機能しておるのか不安になるほどじゃ」


 長い廊下を歩きながら誰もいないことにイナリが言及すると、ロビーの方から何かの叫び声が聞こえて、その後まもなく「確保しろ!」「おい!早く戻せ!」「窓に近づけるな!」という叫び声が聞こえてくる。


「……あの様子からするに、マンドラゴラが脱走したみたいだな」


「とりあえず人はいるみたいじゃな……」


 錬金術ギルドの者が騒ぐ様子をよそに、イナリ達はハイドラの部屋の扉の前に立ち、戸を叩く。


「ハイドラよ、我じゃ。入ってよいかの?」


 イナリが声をかけるも、辺りにはロビーの喧騒だけが響く。


「なあ、『我じゃ』じゃ誰か伝わらねえんじゃねえか?正直、どこの誰かわからん奴が訪ねてきてもすぐには出ないと思うぞ」


「うーん、どうだろう。今まで生きてきて一人称が『我』の人、イナリちゃんしか知らないし、それを抜きにしても声でわかると思うけど……」


「……言われてみればそうだな」


「我、人じゃなくて神じゃよ」


「うんうん、そうだねー。これ、ハイドラちゃん寝てるかもしれないな。開けてみる?」


 己が神であることを主張するイナリを適当にあしらいながら、リズは部屋に入ることを提案する。


 リズは、イナリが本物の神であると知った当初は、イナリが神だとか言い出すたびに焦っていたものだが、今ではかつてのように、適当にあしらうことが出来るようになっている。


「お前この前ノックしないで入ると爆発するとか言ってただろ。危険じゃないのか?」


「寝ながら何か爆発するような実験をする方がよっぽど危ないよ。というわけでリズ、突入します!」


 リズが扉を引き開け、中へと入っていく。


「相変わらず狭そうだし、俺は今回もここで待ってるわ」


「わかったのじゃ」


 ここでの待機を申し出るディルに頷いて、イナリはリズを追って部屋へと入っていく。


 見たところ、今は何か実験や作業をしている様子は無さそうだ。また、扉が開いたにもかかわらず、奥からこの部屋の主が現れる様子も無かった。


 そんなわけで、前来た時と同じく、所狭しと色々なものが置かれている室内を進む。特にイナリはそれなりのサイズがある尻尾と耳がある分、ぶつかったりしないように、より一層気を遣わねばならない。


 細心の注意を払って二人が進んでいくと、一番奥に、ある程度スペースが確保された場所へと到達した。


 そして床を見ると、マットと毛布を布団のようにして寝るハイドラの姿があった。


「あちゃー、こりゃ完全に寝ちゃってるねえ。ちょっと申し訳ない気もしないでもないけど、起こしちゃおうか」


 リズがハイドラの肩を何度か叩いて起こす。


「うん……んあ!?だ、誰!?爆破しますよ!?」


 目が覚めたハイドラは、本来誰もいないはずの部屋に人がいることを認めると、あまりにも物騒な文言と共に誰何する。


「ちょっ、落ち着いて!爆破しないで!リズだよリズ!それにこっちがイナリちゃん!」


「えっ!?……あっ、お、おはようございます……?」


「うむ、おはようじゃ」


 事情も掴めぬままに挨拶だけするハイドラに、イナリが挨拶を返す。


「えーっと、こんな時間にごめんね。ちょっとイナリちゃんが一週間くらい家に帰るから、その前に、この前持って帰ったブラストブルーベリーを漬けた瓶の話をしておきたくて」


「んー?ああ、なるほど?」


 寝起きのせいか若干間延びした喋り方でハイドラが反応する。


「これじゃ。早速じゃが、ちと見てもらって良いかの?」


 イナリは懐から瓶を取り出し、それをハイドラに渡す。


「んー……?何かちょっと青くなって、それに泡が付いてるね。あと何か、量減ってない?」


「ああ、それは我らが飲んだからじゃな」


「飲んだの!?大丈夫だった!?」


 イナリが何ともないように言うと、ハイドラが目を覚まして問いかけてくる。


 よくよく考えれば、イナリは毒が効かないこともあって何も考えずに飲んでいたが、普通は毒の有無を考慮するべきであったのだ。ハイドラが驚いたのはそういった理由からであろう。


「ん、一応イナリちゃんで安全は確認したよ。一応飲むときにも、軽く毒が無いかの検査はしたけど」


「えぇ、大胆すぎるよ……。体調に変化は?」


「それがね、リズとか、パーティメンバーの皆が飲んだら元気が出たんだけど、イナリちゃんには効果が無かったんだよね」


「へえ、それは体質の問題かな?」


「うーむ、どうじゃろか」


 魔法学校での検証を経て、イナリの体は色々と普通ではないことはわかっている。それを果たして体質で片づけて良いものかと思ったイナリは、首を傾げる。


「とりあえず安全そうなら、私も飲んでみようか。寝起きだし目覚ましも兼ねて。……あ、ごめんイナリちゃん、ブラストブルーベリーだけ抜いてもらっていい?もう使わないだろうから」


「わかったのじゃ」


 イナリが瓶から実を取り出して口に放り込んで処分する。普段イナリが食べていた物とは違い、ふやけているし味も抜けていて、あまり美味しくは無かった。


 そのイナリの様子を見てから、ハイドラが瓶を手に持って、ごくりと飲む。


「……おおー!すごいね、確かになんかこう、力が湧いてくるね!」


 ハイドラが耳をピンと立てて感想を述べる。


「でしょ?でもイナリちゃんはそうでもないみたい」


「うーん、でも確か、イナリちゃんが普通に実を食べたときには疲労回復の効果が見られたんだよね?」


「そうじゃな。じゃが今食べた実はそうでもなかったのう。なんというか、味気ない感じというかの……」


「うーん、となると、成分が抜けた、とかかな?うーん、ひとまず方向性は正しそうだから、今度は日数を分けて効果の差異を見るべきかな」


「イナリちゃんはしばらく留守になるから、それはリズがやろうかな。確か、家にいくつか収穫された状態のやつがあったよね」


「うむ、頼むのじゃ。あ、あと、庭の我が植えたものの世話をしっかりとしてくれたもれ」


「ああ、それも必要か。うん、わかった。……ごめんハイドラちゃん、一応用件はこれで終わりなんだ。突然押し掛けてごめんね……」


「大丈夫だよ!イナリちゃんもまた来てくれたし、ブラストブルーベリーについても、あてずっぽうな方法がうまく行ったっぽくてよかったよ。頑張ればポーション化も狙えるかも!そしたらきっと儲かるよ……!」


「ほほう、それは興味深い話じゃな」


「うん、引き続き検証を重ねていこうね!じゃ、私は寝るね!」


「え、寝るのかや」


「え?うん。なんか今ならすごいよく眠れる気がする」


 ブラストブルーベリーを漬けた水を飲んで元気が湧いたのだから、何か作業でも始めるのだろうと踏んでいたイナリは、予想もしなかったハイドラの行動に困惑する。


 そして、ハイドラは今の言葉を最後に再び布団へと潜って起き上がらなくなり、部屋にはその場に立ち尽くす二人が残された。


「こやつ、眠るのが早いのう……」


「……昔からこう、ハイドラちゃんは結構マイペースなところがあるんだよね。イナリちゃん、とりあえず、行こうか」


「うむ」

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