第76話 トレントに挨拶を
「我らは今どこに向かっておるのじゃ」
イナリ達は現在、何をするのかも、どこへ向かうのかも知らないまま、魔法学校を出て街道を歩き続けている。
「そりゃもちろん、魔の森さ。森のトレントがイナリ君に呼び寄せられている可能性を検証するんだ」
「我はそのような事一切しておらぬし、呼んでもおらぬのじゃ」
「そうかもしれないが、当人の意思に関係なく、あちらが勝手に寄り付くこともあるだろう」
「う、ううむ。確かにそうじゃが……」
ウィルディアの指摘に、イナリは唸る。
「それに、イナリ君の能力の話で流れてしまったが、トレント達は、その姿が見えないにもかかわらず、イナリ君の方にゆっくりと近づいて来たのだろう?もしイナリ君がその姿を晒したらどうなるかも知っておいた方が良いはずだ」
「……それって我の身を危険にさらすことと同義じゃよな?」
「まあ、そうだな」
イナリの質問にウィルディアは一体そこに何の問題があるのかといった表情を作りながら肯定する。
「そうだな、じゃないのじゃ!我はそんなことしとうないのじゃが!?」
「まあ普通ならそんな事は出来ないだろうが、今回はそれなりの地位にある冒険者でもあるリズ君と、私がいるのだから、安心してくれていい。リズ君の実力はイナリ君も知っているだろうが、こう見えて私もそれなりに戦う事はできる」
「……そうなのかの……?」
イナリはウィルディアの佇まいを見ながら首を傾げる。
見たところ、彼女はあまり外で積極的に活動するような人間には見えないし、ディルやエリックのように森の中を駆け回るような様子も想像できない。
どちらかと言うと、イナリと腕相撲をしたらいい勝負になりそうなタイプの風貌である。
「……何か変な事を考えられているような気がするが。これでも私はリズ君に教えていた身だぞ?」
「む、そうか、お主はリズの師であったか……」
イナリはウィルディアの研究者のようなイメージが先行して忘れていたが、彼女はリズに魔法や魔術を教えた者の一人なのである。
この世界は、剣や弓を扱うだけの力が無くても、魔法という便利な力がそれなりに普及しているために戦うことが出来る者も存在しているのだ。
「もっと言えば、イナリ君は尋常でない防御力を持っているようだから、まあ、大事にはならないだろう」
「確かにそうかもしれぬが、何とも釈然とせんな……」
楽観的な事を宣うウィルディアにイナリは文句を垂れる。
「ところで先生、魔の森の浅い場所の魔物は、トレントも含めて大体冒険者が駆除しているから、全然いないと思うよ」
「む、そうなのか。……ならば仕方ない、多少深いところまで行く覚悟をした方が良いか。あまり深くまで行くつもりはなかったのだが……」
リズの話を聞いたウィルディアが顔を顰める。
戦闘力は魔法で穴埋めできても、やはり体力の無さはこういった面で支障が出てくるようだ。
「ふふん、我もあまり力はないからの、仲間じゃな!」
どことなくウィルディアに対して仲間意識を感じたイナリは、ニコニコとしながらウィルディアに語り掛ける。
「何ともコメントしづらい共感をどうも……」
「うーん、流石に先生でも、イナリちゃんよりはよっぽど体力はあると思うけどなあ」
「……イナリ君はそんなに力が無いのか?」
「それはもう、尋常じゃない弱さだよ」
「神である我に対して、なんとひどい言い草じゃ……」
三人は魔の森の方へとつながる街門を通過し、広い草原に対してあまり幅は広くない道を歩いてゆく。
先ほどリズが話していた、森から出てきた魔物を倒すために来た冒険者と思われる者が何人かついてきていた。
たまに視線を感じるが、それはきっとイナリの耳や尻尾が珍しいからだろう。そんな彼らは、いつの間にかどこかへと去っていた。
そして、三人の間で特に何か会話をするでもなく、イナリは適当に辺りの景色を眺めながら歩いていると、その隣を歩くリズがイナリの肩をそっと叩いてくる。
「……何じゃ?」
「あの、森の奥に行くって話さ。イナリちゃんの家の方に行ったら、安全に森の奥の方に行けるんじゃないかと思ったんだけど、どう思う?」
「……それ、良いかもしれぬな」
「家の場所、先生に知られちゃうかもしれないけど大丈夫かなって。大丈夫?」
「あー、まあ、大丈夫じゃろ。そこまでは行かぬじゃろうし、もし仮に知られたところで別に困りはせぬしの」
リズはわざわざイナリの家が知られることについて懸念してくれていたようだ。イナリはその配慮に内心感心しつつ、ウィルディアが身に着けている装備の端をちょいとつまんで話しかける。
「のう、ウィルディアよ。我の家に繋がる道を使わぬか?」
「……君の家は魔の森にあるのか?」
「うむ。我の家は魔の森のかなり内側の方にあるからの、そこまでの道を使えば、比較的安全に森の奥まで行けるじゃろうとリズが言うて来た故、提案したのじゃ」
「……ふむ。よく考えたら魔の森を作ったのは君だから、家がそこにあるというのも不思議な事ではないのか?ともあれ、安全に行けるのであればそれに越したことは無いな。それで行こう」
「うむ。ではこの道の右手の湖に行くのじゃ。そこから川を上れば良いのじゃ」
「ふむ。わかりやすくて助かるな」
先ほどまで前を歩いていたウィルディアを追い抜き、イナリは湖の方へと二人を案内した。
湖に着くと、以前イナリがディルとここに来た時と同様に、釣りをする人々が数多くいた。
「む、あやつらまだ釣りをしておるのじゃな。人間というのは釣りが好きなのかや?」
「うーん、娯楽として釣りを楽しむ人はいるけど、私は別にかな。冒険者やってると野宿する関係で釣りをする機会はあるけど、そこまで楽しさは感じられなかったなあ……」
「リズ君が言うように、人それぞれではあるな。あとは今なら、生態系の変化に関する調査隊が組まれていたりもするだろう」
「ああ、そういえば市場に行ったとき、何か新種の魚がどうとか言っておったのう」
「イナリちゃんって、魚食べたことあるの?」
「ほぼ無いのじゃ。恐らく、数えるほどしかないのではないかの……」
「へえ、そうなんだ。なんかちょっと意外」
地球に居たころ、イナリの神社に捧げられたものはほぼ農作物や肉、あるいはそれを使った料理であった。主に植物に強いタイプの豊穣神であるためか、あるいは立地のせいか、魚が捧げられることは全くと言っていいほど無かったのである。
もしかしたら魚の干物ぐらいならあったのかもしれないが、果たしてそれを魚として認識した上で食べたことはあっただろうか?
そのような事を考えてしまうほどに、イナリは魚と縁が無かった。
そんな雑談を交えつつ、イナリ達は湖に流れ込む川を上っていった。
そして魔境化した領域へと入り、ある程度深いところまで行くと、やがてトレントの姿が目に入る。
見たところイナリ達には気がついてなさそうだが、とはいえ進行方向はイナリ達がいる方向だ。
「む、いたぞ、トレントだ」
「我はどうしたらよいのじゃ?」
「とりあえず、私達の前で不可視術を発動して、トレントの周りをうろついてみて欲しい。リズ君は万が一に備えて準備しておいてくれ」
「わかったのじゃ」
ウィルディアの指示に従い、リズは持っている杖を構え、イナリは不可視術を発動してトレントの方へと近寄る。
そしてある程度近づいたところで、トレントの背後へと回る。
するとやはり、イナリの方へとトレントは進行方向を変えてじわじわと動く。
「やはり我に近づいておるのかや」
イナリはもう一度ウィルディアのいる方へと戻ると、やはりトレントはイナリの動きに合わせて進行してくる。
「これはもう確定と言っていいかもしれないな。トレントはイナリ君の方を目指して進んでいるようだ」
「これ、本当に我の姿は見えておらんのじゃよな?」
「そうだと思うよ。普通は生物を捕捉した瞬間暴れ始めるから」
「これは完全な予測だが、イナリ君の権能の力の出所を捕捉して近寄っているのではないかな。トレントには栄養素が豊富な土地を求める習性があったはずだ」
「なるほど、我の神聖さに吸い寄せられているということじゃな!ふふん、そう考えると途端に可愛い奴に思えてきたのじゃ」
「そうか、なら是非、不可視術を解いて挨拶してくると良い」
「そうじゃな、お主ら人間に対して攻撃的なだけで、意外と我とは馬が合うかもしれぬな!」
イナリはそう言いながら不可視術を解いて、元気にトレントの方へと駆け寄っていった。
「……リズ君、魔法を準備しておくんだ」
「そこのトレントよ、我が出てきてやったのじゃああああ!?!?」
イナリが大手を揮ってトレントの前に現れると、イナリは一瞬にしてトレントの枝で雁字搦めにされた。
「……まあ、そうなるよね。『ファイアボール』」
予想の範疇でしかない展開にため息をつきながら、リズはイナリを拘束するトレントに火球を打ち込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます