第74話 冗談はほどほどに

 エリスが戻ってきた後、二人は、軽く図書館の中を見て回った。


 生物図鑑や植物図鑑など、詳しい知識を持たないイナリでも楽しめそうなものが何冊かあったので、今度遊びに来てもいいだろうとイナリは思った。


 尤も、この前の深夜に一人で外出したことがバレたことでエリスに叱られたばかりなので、一人で外出できるかは疑わしいが。


 流石にどこにでも同伴が必須ということは無いと信じたい所だが、イナリに関しては過保護な傾向が見られるエリスがどう出るかは不明である。


「もう日が暮れ始めてしまいましたね。そろそろ帰りましょうか?」


「そうじゃな」


 エリスが外の様子を見て聞いてきたので、イナリはそれに答える。


 そして図書館の玄関へと歩いて、重い扉をエリスに代わりに開いてもらう。


「我、思うんじゃが、この世界の扉は軒並み重くないかの?錬金術ギルドの時もディルに扉を開けてもらったし、実は家の扉もちょっと重いなと思っておる」


「どこと比較しての話かは分かりませんけど、流石にイナリさんの力が弱すぎるだけでは……?」


「ううむ、本格的に力をつけることを検討するべきかや……」


「ダメです。イナリさんはそのままが一番です」


 イナリの思案する姿を見て、エリスが若干食い気味でそれを止めてくる。


「とはいえの、ディルも流石に良くないと思うてか、我に鍛えないかと提案してきたのじゃ」


「えぇ!?あんなのに鍛えられてしまったら、イナリさんがムキムキになってしまいます。そんな未来、私には耐えられません……!」


 あまりにも切実な様子で訴えるエリスを見て、イナリは自身がムキムキになった姿を想像する。


「んむ……。確かに、これはちょっと嫌じゃな……」


「そうでしょう?」


 エリスは説得が通じたことに満足気だ。


 夕日に照らされながら二人は家路を行く。


「……少し気になっておることがあるのじゃが、問うてもよいかの?」


「はい、何でしょうか?」


 改まった様子で問うイナリに、エリスは真面目な面持ちで答える。


「お主は神官じゃから、アルト……神に、仕えておるというわけじゃろ?先に読んだ書物とお主の話によれば、事実であるとはいえ、神であると主張する我は異物に他ならぬと思うのじゃが。お主は何も思わぬのかや?」


 イナリの問いは、「アルト教概論」と、それを読んだ後のエリスの会話についてのものである。


 ウィルディアとリズを除いて、イナリが神であるという話を信じている者は誰一人としていないので、エリスも真に受けずに適当にあしらっている者の一人であるとイナリは考えていた。


 しかし、そもそもの話、神官である者の前で神を自称することがタブーであるとすれば、何故エリスはイナリに何もしてこないのだろうか。


 イナリが問いかけると、エリスはそれに答えずに無言でイナリの手を引いて歩き、家と家の間の、細い路地へと入っていき立ち止まる。


「……ここなら誰も来ないでしょうか。少なくとも、もし助けを呼んでもすぐには誰も来れないでしょうね」


「……エリス?」


 突然雰囲気が変わったエリスにイナリは困惑する。


「……つまり、神を名乗る不届き者が一人消えても、大半の人は気がつかないということです」


「お、お主もしや……」


 エリスはイナリを消そうとしているに違いない。それは拉致監禁か暗殺か、どういった形のものかはわからないが、いずれにせよ碌な事にはならないだろう。


 イナリは不穏な雰囲気を感じ取り、慌ててエリスの手を振り払おうとするも、彼女の手はガッチリとイナリの腕を掴んでおり、離れることが出来ない。


「もう逃げられませんよ」


 そんなイナリが焦ってジタバタと暴れている様子を笑顔で眺めながら、エリスは反対の手をイナリにのばしてくる。


 そして、エリスの手がぽんとイナリの頭に乗せられ、撫でられる。


「……のじゃ?」


「ふふ、冗談ですよ、冗談!私がイナリさんにそんなことするわけないじゃないですか!」


「……じょう、だん?」


 いつもの雰囲気に戻ったエリスによるネタバラシに、イナリは気の抜けたような声をこぼす。


「ほら、落ち着いて、後ろを見てください。普通に人目はあります。それに横の家にも窓がありますよ」


「……ほ、本当じゃ」


 イナリが後ろを振り返ると、思っていたほど路地に入っていたわけではなく、十歩も歩けば大通りに戻れる場所であった。人が行きかう様子も見てとれる。


 それを見たイナリは一気に脱力してへたり込んだ。あまりに唐突な展開や場所の適当さなど、落ち着けばいくらでもおかしな場所は指摘できただろう。


「突然驚かせてしまいましたよね、申し訳ありません……。でも実際、異教徒を処分するときって、多分こんな感じですからね。今後も神を自称するなら、神官の前でうっかりそんなことをしたらこうなりますよ、というメッセージを効果的に伝えようとですね……ああ、すみません、泣かないでください」


「な、泣いておらんし……」


 エリスの中ではちょっと驚く顔が見たいし、警告にもなるからちょっとやってみようかな、という軽い思いつきによるものだったが、イナリには思った以上に効果が出てしまったようだ。


「と、ともあれ、最初のイナリさんの質問の答えですけど、私はそこまで敬虔な神官ではないのですよ。いや、そんなこと言ったら問題になっちゃうので、秘密ですよ?」


「……そうなのかや」


「そうです。というわけでですね、そこまでイナリさんについて何か告発しようとか、そういったつもりは無いのです。だから安心してください」


「……うむ……」


 エリスがイナリの背中を摩りながらイナリの当初の質問に答える。


「……落ち着きましたか……?本当にすみません、すぐに見破られる冗談のつもりだったのですが、完全に私の間違いです……」


「また騙されたと思うての……本当に怖かったのじゃ……」


「はい、すみません……」


「もう、落ち着いたのじゃ。大丈夫じゃから、帰るのじゃ」


「わかりました。もうこのようなことはしませんので……」


 二人は再び手を繋いで大通りの方へと向き直った。


 そして大通りに出た瞬間、主にエリスに厳しい眼を向ける兵士に声を掛けられる。


「失礼。ここで獣人の女の子が若い女性に襲われそうになっているという通報があったのだが。少し話を聞いても?」


「あっ」


 こうして、エリスは近くの拘留所へと連れていかれた。




「誤解でよかった、本当に。家に兵士が来て『お宅のパーティのエリスという神官が獣人の子供を襲おうとした』って言われた時、エリスがついに何かやったのかと思った」


「正直、エリス姉さんならやるかもって思っちゃった。多分皆そうだったよ。残念だけど」


「前もこんなことあったよな。イナリの次はエリスか。一体どうしたらそうなるんだ」


 エリック、リズ、ディルがそれぞれ一言ずつエリスに言っていく。


「くっ、何も言い返せません……」


「我は誤解じゃと言い続けたのじゃが、被害者だからとまともに取り合ってもらえでな……」


 エリスとイナリが解放されたのは、完全に日が暮れてからであった。


 エリスは一先ず自身とイナリが同じパーティに所属している仲間であるからして、犯罪的なことは一切無いという主張をした。


 その事実確認をするべくエリック達が全員呼び出され、事情聴取をされたのだ。彼らからしたらいい迷惑である。


 しかし、幸い、神官用の服を着ていなかったことが功を奏して、そちらへの影響は無さそうであった。


「はあ……こんなことになるとは……」


「まあ、何をしたのか詳しくは知らないが、イナリは別に気にしてないんだろ?なら、今後気を付けたらいいんじゃねえか」


「ディルさんに言われるとちょっと複雑な気分ですが、その通りですね……。でもちょっと怖がっている顔はビビッと来たんですよね……」


「なあ、今から引き返してでもこいつを牢屋に入れておいたら、世の中が一つ平和に近づくと思うんだが」


「じょ、冗談ですよ、はは……」


「冗談の割には目が本気だったんだけど。……え、本当に大丈夫?」


「全く、先ほど冗談には気をつけろと戒めたばかりじゃろうに……」


「イナリちゃん、今日はリズの方で寝よう。その方が絶対いいよ」


「そうじゃな、そうするのじゃ」


「そ、そんな……!」


 今日は一人で寝ることが確定したエリスは絶望したような顔になる。


「うう、こんなことになるなら、あんなことをするんじゃなかったです……」


「しばし反省するが良いのじゃ。そういえばリズよ、明日、もし時間があったら魔法学校へ行かぬか?ウィルディアが呼んでおったのじゃ」


 気落ちしているエリスをよそに、イナリはリズに、魔法学校の件について伝える。


「ん、先生と会ったの?」


「うむ、図書館での。何か、また調べたいことが出来たとかなんとかじゃ」


「そっか。うん、大丈夫だよ!あ、リズもね、明日にはイナリちゃんのための道具が完成するから、お披露目できるよ」


「ほう、それは楽しみじゃな!」


「ちょっと鍛冶屋の人に協力してもらってるんだ。だから、学校の件が終わった帰りにでも受け取りに行こう!」


「うむ、明日の予定はそれで決まりじゃな!」


「あ、あの、どうか寝る場所についてもう一度考え直していただけませんか……?」


「それはちょっと、無理じゃな」

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