第73話 「アルト教概論」と「子供のためのグレリア王国地理」

 アルト教の誕生


 諸説あるが、地上に歴史上初となる魔王「原初の厄災」が現れ、地上の生物の生命が脅かされた際に、初代聖女イニシアに神託と共にあらゆる障害から民を守る盾を神器として授けた時点で誕生したとされるのが通説である。


 アルト教のシンボルがこの際に託された盾に由来していることが、これを裏付ける理由の一つである。


 アルト神はこの際、「この盾をもって脅威を退け、身に降りかかる厄災に備えよ」という神託を下したとされているが、神託と共に神器を授かる事例はこの初回のみに限り、これ以降の神託は魔王の誕生と神器の場所を別の機会に、抽象的な文言を用いて伝えるようになった。


 このような変遷が初代聖女の神託が特別なものとする理由の一つでもあり、また、魔王を退けた後の人類に対する試練と解釈されている。


 また、初の神託の際に限って、アルト神が地上に降臨したことも、アルト教の誕生に寄与している。


 アルト教が誕生する以前にもいくつかの宗教が存在していたが、神が直々に姿を見せ、さらに魔王を倒すための力をもたらしたという点は、アルト教が広まる上で非常に重要な要因であった。


 当初は他教徒から疑惑を持たれることも少なくなかったが、度々地上に現れる魔王に関する神託をもって都度、出現場所の予言や神器の入手等をしたことにより、今ではその立場は盤石なものになっている。


 なお、現在各地に点在する教会内のアルト神像は、地上に降臨した際の姿をかたどったものとされるが、それ以降一切地上には姿を現していないため、現在においては誰もその姿が正しい物であるのかを判断できる者はいない。




 アルト神と魔王


 アルト神と魔王の関係にも様々な説が存在するが、最も有力な説は「世界侵攻阻止説」である。


 この説を簡潔に述べるとすれば、「アルト神は異界の魔王からこの世界への攻撃を防いでおり、地上に存在する魔王はアルト神の防御をすり抜けてきたものである」という説である。


 過去の神託を参照すると、「我一人でもって万の穴を埋めることはできない。よって地上の民の力をもって対処するべし」という文言が確認できる。


 この穴というのは我々の世界と異界を繋ぐ門のようなものと解釈されている。また、この神託より、アルト神以外の神が存在しないことも窺える。


 よって、地上における魔王の対処は、アルト神に協力することにもなり、また、アルト神が我々に託した使命と言えるだろう。




「……他のページは神託の解釈論や神官の役職の解説になりますから、ひとまずは読まなくても大丈夫でしょう」


「長い。長いのじゃ。それに、文章が堅苦しいことこの上ないのじゃ」


 イナリはエリスにもたれかかり、疲れ切った声色で文句を言う。


「とはいってもですね、これでもかなり簡潔になっていますよ。世の中には初の神託に関する考察だけで一冊本が書かれたりしていますからね」


 エリスがもたれかかってきたイナリの頭を撫でながらイナリの愚痴に答える。


「何じゃそれ、凄まじい奴がいたもんじゃな……」


「研究書では普通によくある事ですよ。ところでイナリさん、今読んだ部分にはとても重要な文言があったのですが、どこかわかりますか?」


「うむ?何かあったかのう」


 途中から流し読みしていたイナリは、エリスからの質問に首を傾げた。


「ここです、ここ」


 エリスが示した場所には、「この神託より、アルト神以外の神が存在しないことも窺える」という一文が記されていた。


「つまりですね、イナリさんが自分を神だと言うことは、アルト教について混乱を招きかねない、ということです。仮にイナリさんが本当に神なら、という話ですが」


 エリスが図書館ということで声を抑えて喋っていたところ、さらに声を小さくしてイナリに要点を伝える。


「そんな大げさな話じゃろうか?」


「はい。かなり大変です。この本では省略されているようですが、教祖が神を名乗るタイプの宗教は軒並み教祖が処刑されています」


「しょ、しょけ……」


「騙されたと思った教徒によって処刑されたり、あるいはアルト教の教会で暴れたり、テロを計画したりして処刑になったりと……色々ありますが、軒並み処刑されています。神なら人間による処刑程度、余裕で対処できるだろう、という論理ですね。残念ながら、誰一人として神ではなかったみたいですが」


「ひええ……」


「……あれ、でもイナリさんなら、万が一処刑されそうになっても耐えられそうじゃないですか……?」


 膝の上でぷるぷると震えるイナリを撫でながら、エリスはふと思う。


 確かにイナリは手に剣を突き立てても余裕で無傷だったのだ。生半可な方法では傷一つつかないだろう。


「ま、まあ実際神じゃからの?処刑は御免じゃが……」


「これでも尚神を自称するのですか……。まあ、そういうのに厳しい傾向の神官の前でもなければ大丈夫でしょうか。治安が悪いところだと、異教徒とわかった瞬間拘束しようとしたりしてきますからね……」


「節度を守って神だと名乗ることにするのじゃ」


「うーん、何とも情けない意思表示ですね……。イナリさん、この本借りていきますか?」


「んや、別に良いのじゃ。それよりもう一冊の方を見せて欲しいのじゃ」


「わかりました」


 イナリの要望を聞いたエリスが「子供のためのグレリア王国地理」の本を開く。


 そこに広がっていたのは、大量の文字であった。先ほど読んでいたアルト教概論と大して変わらない。


 イナリはもっと文字数が少ない、単純なものを想定していただけに面食らってしまった。


 地図や絵が頻繁に挿入されているが、とはいえとても子供が読むものではなさそうである。「子供のための」とは一体何だったのだろうか。


「ああ、なるほど……図を多く使うから『子供のための』なのですね。一応わかりやすくはなっているようです」


「こ、これでわかりやすいのかや??」


「私もあまりこの手の本は読まないのですが、大抵は地図だけのものや、特定の人だけがわかる記号が大量に示されたものが多いイメージがありますね」


「そ、そうなのじゃな……」


「ひとまず、今回は私がある程度要約しましょう。一応イナリさんでも読めないことは無いとは思いますが、とはいえ折角一緒にいるので」


「では、頼むのじゃ」


「ええっと……先ほども申し上げた通り、この街、メルモートはグレリア王国の一部です」


 エリスが「グレリア王国」と書かれたページを広げる。


「イナリさん、地図の見方はわかりますか?」


「いや全くじゃな。……あいや、我の神社に地図のようなものがあったから、読めないことは無いかもしれぬ……?」


 イナリが思い起こしたのは所謂、境内案内図のことである。


 尤も、イナリの神社には誰も来なくなってからは、イナリがたまに眺める以外、何の意味も成さなくなってしまったが。


「そうですか。ひとまず、この図は上が北で、下が南、右が東で左が西です」


「ふむ?大体記憶と相違ないのじゃ。しかし記号についてはちと理解できぬのう……」


「この記号は集落や洞窟などの場所を記しているようですね。ひとまず、軽く国の位置関係を押さえておきましょう」


 エリスが地図に指を指して解説していく。


「この国は北と東が海に面していて、南と西にはそれぞれ、テイルという国と、アルテミアという国があります」


「ふむ」


「テイルは獣人が多い国なのですが、種族の傾向や種族間の抗争から、ものすごく治安が悪く、正直、国の体裁があるかすら怪しいです。一度、回復術師として修業をしに赴いたことがあるのですが、窃盗や暴力は日常茶飯事の、とても大変な場所でした。普通に生活する分には近寄らない方が良いでしょうね」


「中々すごい場所じゃな。昨日リズの友人の、獣人の錬金術師に会ったのじゃが、あやつも同族に辟易しておったそうじゃ。なるほどそういうことであったか……」


「その方も大変苦労していそうですね……。次にアルテミア王国なのですが、こちらはアルト教の発祥地のような場所ですね。基本的には良いところなのですが……イナリさんに限って言えば、神を自称した瞬間二度と地上を歩くことは出来なくなるでしょう。理由は……おわかりいただけていると良いのですが」


「うむ、まあ、想像に難くはないよの……」


「そして、グレリア王国ですが、私達が今いるメルモートはこの辺です」


 エリスが地図の中央より少し東の辺りを示した。どうやらメルモートは内陸寄りの場所らしい。そのさらに東側にはヒイデリの丘と記された場所が広がっている。


「で、王都はこっちです。ヒイデリの丘もとい魔の森とは反対の方角ですね」


 続いてエリスが北西の方の海に面した場所を指さした。地図にも「グレリア王都」と示されている。


「他にもこまごまとした地名は色々ありますが、会話等で名前が挙がったら都度覚えていけば大丈夫でしょう。ひとまず近くの国と自分のいる場所、それに王都の名前と位置を押さえておけば大丈夫ですよ」


「良かったのじゃ、このびっしり書かれた文字を全て覚えねばならぬのかと、戦々恐々としておったところじゃ」


 それを聞いたエリスが再びイナリの頭を撫でる。


「ところでこれ、借りますか?」


「うーむ……重いし、遠慮しようかの。またここに足を運んで見ることにするのじゃ」


「そうですか、わかりました。では一旦本を戻してきますので、お待ちください」


「うむ」


 そう言うと、エリスが立ちあがって再び本棚の方へと歩いて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る