第72話 本を読もう
「着きました。ここが図書館です」
「うむ。とりあえず降ろしてもらって良いかの」
「わかりました……」
エリスが渋々といった様子でイナリを地面に降ろす。
二人が来た図書館は、リズが通っていた魔法学校のすぐ近くに建てられていた。建築様式が学校の校舎と似通っている辺り、繋がりがあるのかもしれない。
「図書館の中では会話は小声にしましょうか」
「ふむ?わかったのじゃ」
図書館の厚い扉をエリスが開け、二人は建物の中へと入る。
扉が閉じると、外の人々の声や鳥の鳴き声などが遮断され、足音や紙をめくる音、何かを書く音等がとてもよく聞こえるようになった。
時折イナリの耳に入る話声も、軒並み小さなものだ。図書館は静かにする場所なのだとイナリは理解した。
そして、この場所の、イナリの身長の数倍はあろうかというほどの高さの棚や、そこに収蔵された見渡す限りの本は壮観であった。
「中々趣あって良い場所じゃな」
「そうでしょう。特にこの図書館の良いところは、持ち出さない分には閲覧自由というところですね。本を傷つけたりしたら色々と罰則がありますが、イナリさんはそんなことしませんよね」
「うむ。我をその辺の野蛮な人間と同じと思うなかれじゃ」
「うーん、利用者の大半は人間なのですがね……。正面のあの机にいるのが司書という、ここの管理人のような人です。本を探す際などに尋ねれば色々教えてくれたりしますよ」
「ふむ。こう言っては何じゃが、お主がいるから多分大丈夫じゃろ」
「それもそうですね。さて、ここには様々な本が貯蔵されています。何か気になる物、知りたい事はありますか?」
「何でも良いのじゃが、ひとまず基本的な知識を押さえたい所じゃな。我、この世界の事をまるで知らぬ故の」
「わかりました、色々な種類のものが必要と……。ではイナリさん、あちらの机で待っていて下さい。良さそうなものを見つけてきますので。あ、知らない人について行ったりしちゃダメですからね」
エリスがそう言い残して本棚の方へと歩いて行ったので、イナリは指示通りに示された机に座って、周りを見回す。
「……む?あやつは……」
本棚を見回していると、イナリは見知った人影があることに気がつく。
若干くたびれた白衣を着たその人物は、ウィルディアであった。今は片眼鏡をつけており、何かを紙に書き写しているようだ。
イナリが声をかけるか悩んでそわそわしていると、顔を上げたウィルディアもイナリに気がついたようで、イナリを手招いてきた。
イナリが席を立って近寄ると、ウィルディアが小声で話しかけてくる。
「人を覚えるのはあまり得意ではないのだが、君はわかりやすくていいな。狐系の耳がついた少女など、この街にそういないからな」
「この前獣人とやらの錬金術師に会ったのじゃが、やはり少ないのじゃな」
「ああ、かなり少ないな。まあそれは置いておくとしてだ。イナリ君、前回に引き続いて、君について色々と調べたいことが出来たので、時間が出来たらまた学校に来て欲しい。問題ないだろうか」
「……我としては時間が解決すると見込んで居るのじゃが、何かあったのかや」
「まあ、それで解決しそうならそれでもいいのだがね。折角だから君の権能について話したいんだ」
「ふーむ?まあ、お主はもう諸々知っておるし問題はない、じゃろうか」
「信用して頂けているようで何よりだ。それにしても、リズ君に伝えるつもりだったが、手間が省けて良かったよ。ところでイナリ君は何故ここに?」
「エリスが色々な場所を見てほしいと言うでな、それで白羽の矢が立ったのがここというわけじゃ」
「エリスと言うと……あの神官の者か。なるほど、私はここでお暇するとしよう」
エリスの名前が挙がると、ウィルディアはおもむろに立ち上がって机の上の道具をまとめ始めた。
「な、何かあるのかや?」
「私は基本、人との関わりが苦手なのでな。それに君について色々と聞かれては、何かとリスクも増えてしまうしな。万が一のことがあっても誤魔化せないことは無いだろうが、とはいえリスクは無い方が良いだろう」
「そ、そうじゃな……?」
よくわからないが、イナリとしてはウィルディアとエリスを会わせる意味も無いので、適当に納得したような返事を返すに留まった。
「では私はこれで。学校に来る日や時間は任せるよ。できればリズ君と一緒にね」
ウィルディアはそう言い残して立ち去って行った。
「言いたい事言って去っていったのう……」
図書館を出ていくウィルディアの姿を見届けると、イナリは再び元居た位置へと戻る。
「イナリさん、お待たせしました。……どうかなさいましたか?」
「ん、先ほどウィルディアに会っての、またリズと学校に来て欲しいとのことじゃ」
「そうでしたか。私もイナリさんについて知りたいのですが、何とかなりませんかね?」
「うーむ、我からは何とも、じゃな」
「そうですか……。直談判しましょうかね」
「やめた方が良いと思うのじゃ」
ウィルディアがエリスを避けていたのは恐らくこれが理由だろうとイナリは察した。
「ところで、お主が持ってきた書物を見せて欲しいのじゃが?」
「ああ、そうですね。こちらです。ひとまずイナリさん一人では理解が難しそうなものを優先的に持ってくることにしました。図鑑なんかはイナリさんだけでここに来たときにでも楽しめると思いましたので」
そう言いながらエリスが机の上に三冊の本を並べたので、イナリはそれを眺める。
エリスが持ってきた本は、「グレリア王国史」「子供のためのグレリア王国地理」「アルト教概論」の三冊であった。
それぞれ内容の方向性は違うようだが、いずれもものすごく分厚い。
「まず一冊目はこれですね。このメルモートはグレリア王国の街の一つです。この本はその歴史をまとめたものですね」
「その、持ってきてもらったところ悪いのじゃが、今は歴史にあまり興味が持てぬのじゃ……」
「あら、そうなのですか?」
「土地の名前すらまるで分らぬのに、その歴史を知ったところでどうにもならんのじゃ。無知を知るという意味では良いのかもしれぬが、それなら先に知るべきことがあると思うのじゃ」
イナリは地球では基本的に神社にいるだけだったので、歴史はおろかその土地の名前すら知らなかった。
それに、イナリはかつて住んでいた土地周辺の歴史に限って言えば、本人が実際に見ているのだから、その辺の歴史書よりよほど詳しく覚えている。歴史書を見たところで「あー、何かそんなことあったなあ」とか「これ嘘書いてるなあ」などと思う程度であろう。
しかし、こうして人間社会に混ざるのであれば、歴史はともかくとして、最低でも地名程度は押さえていなくてはならない。歴史でも土地を知ることはできるだろうが、土地を学ぶなら歴史書ではなく地誌学にあたった方が手っ取り早い。イナリはそう考えたのだ。
「そうですか。ではこれは端に寄せておきましょう……。無知を知るというのはイナリさんが考えたのですか?中々面白い考え方ですね」
「んや、何か、我の世……こほん。我の住んでいた場所で聞いた言葉みたいなものじゃな」
イナリはうっかり世界と言いかけてしまい、慌てて訂正した。なお、イナリはこの言葉の意味を大して理解していないまま使っている。
「では次はこちらですね。『子供のためのグレリア王国地理』です。地理を扱った本は色々あったのですが、『子供のため』というフレーズに釣られて持ってきました」
「我、子供じゃないのじゃが。『神のための本』とかは無いのかや」
「司書の方に聞くまでもなく、無いですね」
イナリの頓珍漢な問いに、エリスは即答した。
「先に三冊目も紹介します。『アルト教概論』です。イナリさんにはこれを読んでもらうことで、人前で、特に神官の前で神を自称することの危険さを理解してほしいと思います」
「……それは読まないといかんのかや」
「はい。必修です」
「……そうか……」
エリスは神官という割にはあまりらしくないと思っていたが、こういうところはしっかりと神官らしく感じられる。
「では先にアルト教について見ていきましょうか。大丈夫です、全部読まなくても重要な部分だけ私がかいつまんでいきますので」
「まあ、仕方ないのう……」
エリスは自然な動作で椅子に座るイナリを持ち上げて椅子に座り、膝の上にイナリを座らせる。そしてイナリは、もはやそれを自然な事として受け入れてしまっている。
「のう、お主、だんだん我の扱いが雑になっておらぬか?」
「雑ですか?いえいえそんな。むしろ愛を持って接していますよ。常に」
「そ、そうか……」
イナリは一瞬背筋が冷えたが、そんなことはお構いなしにエリスは「アルト教概論」を開き、目次を確認する。
「うーん、できれば全部読んで欲しいところですが……ひとまずはこの辺ですかねえ」
イナリが見るべきページにあたりをつけたエリスが、パラパラと本を捲り始めた。
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