第70話 「オリュザ」

「ふう。私の脳内アルバムが潤いました。ありがとうございます」


「もう当分は遠慮したいところじゃ……」


 イナリはヘトヘトになりながらも、再びエリスに腕を引かれて街を歩く。


「ひとまず、次はお昼です。イナリさんの好きなものを食べて結構ですよ。何が食べたいですか?」


「うーむ、そうじゃな。最近は肉ばかりじゃったからの、久々に米が食べたいのじゃ」


「……コメ、ですか?」


 イナリが記憶を思い起こしながら要望を口にすると、エリスがきょとんとした表情を作る。


 その様子を見てイナリは言い知れぬ不安を覚える。まさか、米を知らないとか言い出さないだろうか。


「コメというのはどのような物でしょう……?」


「……嘘、じゃろ……」


 イナリは絶望した。自身が魔王だと思われていることを知った時と同じか、あるいはそれ以上の衝撃かもしれない。


 記憶を思い返すと、この世界では基本的に肉かサラダかパンばかり食べていた。


 外食でこそ、森のキノコを使ったシチューや、アルトが託したと思われるオムライスやグラタンも食べたが、とはいえ、基本的な食事の構成要素は肉、野菜、パン。その三つであった。


 それを考えたとき、イナリは気がついた。オムライスは、米料理だ。


 ともすれば、世界が違うのだから、もしかしたら米が違う名称で扱われている可能性がある。今までの生活において名称の違いによる齟齬は一切発生していないが、無いとは言い切れないはずだ。


 そうと決まれば、確かめないわけにはいかない。


「も、もしかしたらここでは名称が違うかもしれぬ」


「名称の違い、ですか。確かに、種族によって同じものでも違う呼称があったりはしますし、頷けますね」


「うむ。以前、我らは『超まんぞくオムライス』なるものを食べたじゃろ?」


「はい、食べましたね。あの時の絶望したイナリさんの顔は今でもばっちり覚えていますよ」


「それは忘れてもらって一向に構わぬのじゃが……。じゃなくて、あの料理に使われておったのが、米じゃ。ええっと……卵の中のやつじゃ」


「ああ、でしたら、もしかして『オリュザ』ではありませんか?」


「おりゅざ……??何じゃその名前は。見て見ぬことにはわからぬ……」


 米とは全くかすりもしない名称にイナリは困惑するが、エリスによればそれが米らしい。


「この辺だとあまり手に入らないので、あまり食べられないのですよね。この街まで輸送するだけで結構なコストがかかりますし。『まんぞくオムライス』とか、基本的に高すぎて誰も食べませんよあんなの」


「あ、あんなの呼ばわりか……」


「あの酒場の料理は、基本的に全冒険者ギルドで共通なのです。しかし、この街はオリュザが手に入らないですから、手に入りやすい地域と比べてかなり高額になっているのです。月に数回程度しかお目にかかれない料理ですね」


「なるほどの」


「ですが、イナリさんたってのお願いですからね。冒険者ギルド以外で、比較的手軽にオリュザを食べられる店を知っています。行きましょうか」


「うむ、案内するのじゃ」


 堂々とした足取りでイナリの手を引くエリスは、今までで一番頼もしく見えた。




「ここです」


 所謂ランチタイムと呼ばれる時間帯、エリスに案内された店は、多くの人が行列を為す店と、行列こそ無いが繁盛している店の間に建っていた。


「……狭くないかや?」


「はい。狭いです」


 店の大きさは、横に手を伸ばしたイナリが二人と少し程度の幅であった。両側の店が広く、そして繁盛しているだけに、なおのこと、店の狭さが強調されている。


「何故こんなに狭いのじゃ?人もあまり居らぬように見えるのじゃが……」


「この店、安定してオリュザを提供するために、それ以外の部分をかなり削いでいるみたいですよ。所謂隠れた名店……のようなものでしょうか。味は確かですよ」


「うーむ、本当じゃろうか……」


 イナリはエリスの言葉を疑いつつ、エリスの後に続いて店に入っていく。


 入口の時点で狭い上に、そのままの広さで奥まで進まなければならないため、尻尾が壁に擦れて少々不快だ。


 そして、店内はテーブルとイスが一列に並んでいる、所謂カウンターと呼ばれる形式であるのだが、数こそ少ないものの、客が座っている後ろを通るときは完全に尻尾が客の背中をモフモフと叩いてしまっている。


 イナリは一瞬怒られたりしないかとヒヤヒヤしたが、特に何事も無かったようで内心安堵した。


 狭い通路を進んで奥の席に着くと、エリスが壁のメニューを示す。


「あれがここのメニューです。何を食べたいですか?」


「稲荷寿司はあるかや」


「イナリさんの名前を冠する料理が存在するのですか?残念ながらここには無さそうですが……」


「ううむ。ではお主に決めてもらうとするかの」


「……これは責任重大ですね」


 エリスは一分ほど悩むと、店主に「オリュザランチセット」を二つ注文した。


 店が狭いので、店主も近く、呼びかけるまでもなく注文ができた。厨房で作業している様子も見えて、今までとは少々趣の異なる店だ。


 通路が狭いという問題を除けば、これはこれで悪くない。そうイナリは思った。


「色々考えたのですが、ひとまずオリュザがイナリさんの言うところの『コメ』なのか確かめないといけないですからね。アレンジメニュー的なものではなく、普通のものにすることにしました」


「あれんじめにゅー……というのが何かはわからぬが、何か配慮してくれたようじゃな。感謝するのじゃ」


「いえいえ、イナリさんのお願いですからね。しっかり満足して頂かなくてはなりませんから」


 しばらく店主が料理を作る様子を眺める。


 イナリは過去に、ディルと朝食の準備をしたり、リーゼと共に昼食を作ったりしたが、厨房に立って料理を作る店主の様子は、それとは比較にならないような洗練された動きであった。


「あやつ、中々の手練れと見えるのじゃ」


「確かに、ここの店主はかなり料理を作るのが早い気がしますね」


「うむ……」


 イナリが狭い厨房を行きかう店主を眺めていると、瞬く間にイナリの前におぼんが置かれた。続けて、すぐにエリスの方にもそれが提供される。


「おお、これがオリュザ。ふむ……」


 お盆の上には、皿に盛りつけられたオリュザと、一口サイズの肉や惣菜が四種類盛られた皿が置かれている。


 イナリはオリュザを観察する。


 見たところ、多少粒の形状や大きさに違いはあるが、大まかな部分はイナリの記憶の米と相違ない。


「では頂くとするのじゃ」


 イナリはオリュザをスプーンで掬って口へと運び、咀嚼する。


「……ふむ」


「……ど、どうですか?」


「……これ、米じゃな」


「おお、そうでしたか!よかったです!……何か問題が?」


 目的の物を食べられたはずのイナリは、少し引っかかるところがあり、浮かない表情を作ってしまった。


 それを目にしたエリスは、何か問題があったのかとイナリに問う。


「うーむ、何じゃろう。何じゃろうな。この、違和感……とでも言うべきかの」


「違和感、ですか?」


「味が……違うのじゃ」


 オムライスの時はトマト等の味によってあまり米について違和感を持つことは無かったが、今回の場合は、この世界における、恐らく味付けなどがされていない純粋な米を食べている。


 そのため、品種の違いによる味の違いが浮き彫りになってしまっており、イナリはそれに困惑していた。


 イナリにはうまく言語化できないが、米の炊き方の違いなども大きく影響しているのだろう。


「なんだい嬢ちゃん。うちのオリュザに何か問題があったかい?」


 店主もその様子が気になったのか、イナリに問いかけてくる。


「む、いや、そうではないのじゃが。我が暮らしておった場所の物と味が違うでな、ちと不思議に思うたのじゃ」


「味が違う?そんなことがあるのかい?」


「我もそこまで深い知識は無いのじゃが、米……オリュザは品種によって味が違うはずじゃ」


「そうなのかい?今までは王都からオリュザを取り寄せていたが、他の場所の物を検討したらもっと良くなる余地があるってことかい」


「良くなるかはわからぬが……味が変わるのは確かじゃな」


「そうか、嬢ちゃんに教えられるたあ俺もまだまだだな」


「んや、我も米が食べられて満足じゃし、これも実に美味じゃ。褒めて遣わすのじゃ」


「はは、ありがとうな。今度もっとうまくできるようにするから、また来てくれ」


「うむ」


「……イナリさん、意外とこだわりがあるタイプなんですね」


「うーむ。こだわり、というほどではないのじゃがな……。ところで、これは如何ほどの値段じゃろうか」


「銅貨二十五枚ですね。オリュザ料理にしてはかなり破格の方です。あ、ご心配なく。私が出します」


「……前から思っておったのじゃが、お主の財源はどうなっておるのじゃ?」


 人間社会に疎いイナリでも、金が無限に湧いて出るものではないことは理解している。


「イナリさんはあまり気にしていないかもしれませんが、私、一応神官で、それも回復術師ですから。結構お金持ちなんですよ?何ならイナリさんを今後も養えるくらいです。どうですか?いつでも美味しいものが食べ放題です」


「…………いや、遠慮しておくのじゃ」


「そうですか……。何度でも言いますが、私はいつでも歓迎しますよ」


 イナリは己のプライドとエリスに養われる生活を天秤にかけ、すんでのところで留まった。


 イナリの返事に、心なしかエリスが悔しそうな表情をしていた気がするが、きっと気のせいである。


「もうちょっとでいけたのに……」


 きっと、気のせいである。

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