第69話 着せ替え人形化

 そして翌朝。ふと寝苦しさを感じたイナリが目を覚ます。


「んぅ……なんじゃ寝苦しいのう……」


 イナリは寝苦しさから解放されるべく身をよじるも、エリスの腕がしっかりとイナリを捕らえているようで、寝苦しさは全く改善されることは無かった。


「全く、こやつも大概じゃな」


 目が覚めてしまったイナリは、ひとまずエリスの腕を引きはがし、寝転がって脱出し、そのまま身を起こしてベッドに座る。


「む、あやつはもうおらぬのかや」


 部屋の反対側のベッドは既にぐしゃぐしゃの毛布一枚だけになっていて、どうやらリズは既に起床しているようである。


 外を見るとまだ若干暗いが、もしかしたら、昨日に引き続いて例の件のために動いてくれているのかもしれない。


「そういえば、あの瓶の様子を見ねばな」


 イナリは立ち上がって自身の荷物が詰め込まれた箱をベッドの方へと引きずり寄せた。


「イナリの荷物」と側面に書かれている箱の中には畳んだ風呂敷とエリスに買ってもらった硬貨入れ、それに水にブラストブルーベリーが漬けられたポーション瓶、そしてアルトと通信するための指輪が入っている。


 それなりの容量がある箱なのに反し、その半分にすら満たないどころか、簡単に箱の底が見えてしまうイナリの荷物のラインナップは、見る者に哀愁を感じさせるものである。


 また、少しまではブラストブルーベリーも入っていたが、「床に転がっている魔石だけでもヒヤヒヤしているのに、これ以上この部屋が爆発する可能性を高めないでほしい」というエリスの苦情により、庭の隅に籠を置いてそこで管理することになった。


 イナリは箱の中から瓶を取り出して眺める。


「うーむ……?見たところ何も変わっておらぬ……じゃろうか?」


 この時間帯だとまだ部屋が仄暗いこともあって、劇的な変化は認められなかった。


 イナリは部屋の窓の方へ寄り、明かりを確保した上で再度瓶を確かめる。


「む、何か……泡がついておるのう?」


 暗い場所ではわからなかったが、瓶の中には非常に小さな泡がついている。それに、若干ブラストブルーベリーの色が染みだしたのか、液体がわずかに群青色になっている。


「もう少し様子を見てみるかの。何かしらの変化はありそうで何よりじゃ」


 イナリは再び瓶を箱の中に戻し、再びベッドに腰掛け、しばし考える。


「リズは精力的に動いているようじゃし、我らもそうするかの」


 昨日寝る前の会話で色々なところを知ってほしいと言っていたのだ。それならば少しでも早く動き始めた方が良いだろう。そう考えての事であった。


「おーい、起きるのじゃ!朝じゃぞ!」


 イナリはエリスの体を揺らして起こした。


 尚、イナリによって起こされたエリスから毎朝イナリに起こしてほしいと懇願されたが、普通に面倒だと思ったので断った。




「ではイナリさん、行きましょうか!」


「うむ」


 ウキウキとした様子のエリスがイナリの手を取って歩き出す。


 イナリはいつも通りの着物を着ているが、エリスは普段着ている神官用の服ではなく、街を行き交う人々と同じような装いになっている。


「まずは当初の目的通り、イナリさんの服を見ます」


「まあ、決まった以上は仕方ないのじゃ」


「その後は、恐らく昼にはなっていると思いますので、美味しいものを食べましょう!」


「え、今、早朝じゃよな?昼まで服を見るのかや?ずっと?」


 起床した時から多少時間が経ったとはいえ、今はまだ早朝と言っていい時間帯だ。


 イナリの考えが間違っていなければエリスは今日の予定について話しているはずだが、「服を見る」と「昼食を食べる」の間に何も無いのは何かの間違いではないだろうか?そう困惑と共に疑問に思ったイナリは素っ頓狂な声をあげてしまった。


「何なら、一日だって費やせますよ?」


「ひえ……」


 何か覚悟を決めたような顔をするエリスを見てイナリは慄く。エリスの目は決して冗談ではないということをはっきりと訴えてきていた。


 エリスを恐れるイナリを見て、彼女ははあ、と一つため息をつく。


「全く、イナリさんは自身の魅力をわかっていないのですか?」


「む、そんなことは無いのじゃ。我は神じゃぞ?その辺の輩とは比較にならぬほどの魅力があるのじゃ。本気を出せば蠱惑し放題じゃ」


「蠱惑、ですか。……そう、ですね」


 イナリがエリスの問いに胸を張って答えると、エリスは目を逸らして、若干震えた声で返事を返してくる。


「お主、今馬鹿にしたじゃろ」


「いえ、そんなことは」


「……本当かのう?」


「こほん、話を戻しましょうか」


 誤魔化すようにエリスは話を切って今日の予定について話し始める。


「正直に申し上げると、昼食後の予定はそこまで固まっていないのです。何か気になる場所とか、見たい所はありませんか?」


「無いのじゃ」


「即答ですか……」


「そもそも人間社会を大して知らぬし、興味もさほどないからの。……じゃからこそ、お主が色々見せてくれるのじゃろ?」


「……! そうですね!」


 イナリの言葉にエリスは笑顔で返事をする。しかし、すぐに困った表情を作る。


「しかしどうしましょう。今日は何をするか決まっていないのですよね……。とりあえず、図書館とか行ってみますか?そこで見分を深めれば、きっと興味を持つことができるはずです」


「ふむ、人間の書物じゃな。確かにそれは見ておくべきかもしれぬのう」


「では、食後は図書館を見に行きましょうか。決まりですね!」


「うむ。ほんの少しじゃが、楽しみにしておるのじゃ」


「少しでも楽しみにしていただければ結構ですよ。では、まずは服屋に行きましょう!」




「何も、楽しくないのじゃ……」


「イナリさん、可愛いです! 最高ですよ!」


 イナリの光を失いつつある瞳には、イナリの姿を見て興奮するエリスの姿が映っている。


 イナリは今、着せ替え人形と化していた。


 最初のうちは、リズから寝間着として借りていた服のような、この街では一般的と看做せる装いの服を着せられていた。


 しかし次第に試着を求められる服の方向性が変になっていった。


「……何じゃこの服。何故このようなひらひらとした服飾が過剰なまでについておるのじゃ。色も妙に明るくて落ち着かぬ」


 イナリが現在着せられている服は、水色のエプロンドレスである。しかも袖が若干イナリの腕より長く、とても実用性があるとは思えない。


 少なくとも街にこのような服を着ていた者がいなかったのは確かである。


「のう、我は日常的に着る服を探すものだと思っておったのじゃが、それは間違いであったのじゃろうか」


「いえ、間違っていませんよ」


「……では、この実用性からかけ離れた装いはどういった意図を持っておるのかや」


「……その、見た瞬間ビビっと来たんですよ」


「知らんのじゃ。もっと実用的なものを持ってくるのじゃ」


「わかりました。実用的なものですね」




「一応聞くのじゃが、これは何じゃ」


「メイド服です」


「冥土服!? 何じゃその名前、縁起悪すぎじゃろ……」


「名前の何が気になるのかはわかりませんが、見た限り、仕事をするうえではとても実用的な服と言えますよ」


 服に詳しくないイナリには、色以外に先ほどの服との違いが大して判らない。


「……嫌じゃ嫌じゃ! こんなひらひらした服着とうないのじゃ!! 色以外大体さっきと同じじゃろ!」


「うーん、全然違うのですがねえ……あ、一回だけ私の事を『ご主人』と言ってもらっても良いですか?」


「お主、何か目的が逸れておるのではないか??」


「仕方ないですねえ……。こっちはどうですか?執事服です」


「ひつじ服? 見た目に反して随分と呑気な名前じゃな……」


「しつじ、です。いかがでしょう?」


「……見た限り、悪くはないのではないか?少なくとも変なひらひらは無いのじゃ」


「ではこれを着て私を『お嬢さま』と呼んで頂ければ」


「……まさかとは思うが、先ほどの物と同系統ではあるまいのう?」


「……バレましたか」


「お主、聞こえておるのじゃが??」

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