第68話 何をしていた?

 その日の夜の事。


 エリスとリズの部屋にて、リズの寝間着に着替えたイナリは、周辺の床が散らかっていない方のベッドに腰掛ける。


 反対側のベッドで寝ているリズは既に寝ているようだ。


 まだ彼女が寝てからそこまで時間は経っていないはずなのに、既に毛布が撥ねのけられているし、何なら今眺めていたこのわずかな時間で二度、寝返りを打っている。


「我、今までアレの隣で寝ておったのか……」


「そうですよ、こうしてみると本当にすごい寝相でしょう?初めてリズさんの寝相を見たときは本当に驚きましたよ」


 イナリが小さな声で呟くと、隣でイナリの髪の毛や尻尾に櫛を通しているエリスが微笑する。


 エリスがイナリの尻尾に手入れをし始めたのは数日前からである。


 最初、イナリがエリスから申し出を受けた際、例によって何か裏があるのではないかと勘繰ったりもしたが、実際にしてもらったら、何事もないどころか、非常に丁寧な仕事をしてくれた。


 そして今では、寝る前には自然と行われるようになったのだ。


 イナリがこの家で過ごした最初の日からはとても考えられないことである。


「……というか、個人的にはベッドから転落するまで一度も起きないイナリさんも、中々すごいですよ。前、出かける前に起こそうと思った時にも全然起きてくださいませんでしたし」


「ううむ。身に覚えがない以上は何とも言えぬのう」


「ともあれ、あちらの危険さはお分かり頂けましたか?イナリさんは私と一緒に寝た方が良いのです」


「まあ、確かにの。いつか寝具から落ちた際に床に転がっておる魔石が刺さる日が来そうじゃとは思っておるし」


「ですよね、では……」


「しかし、我はお主の事も信用しかねておる」


「……信用、ですか?」


 イナリの言葉に、丁寧に尻尾に櫛を通していたエリスの手がぴたりと止まる。


「うむ。昨日お主と共に寝たことで、その行為自体に問題は無さそうであることはわかったのじゃ」


「それはよかったです。しかし、他に何か、気にかかる点があるのですか?」


 エリスはイナリの言わんとするところがわからず、首を傾げる。


「いや、わからぬとは言わせぬのじゃ。我は忘れておらんのじゃ」


「……?」


「お主、本当に忘れておるのかや。魔法学校の事じゃ」


「魔法学校、ですか?何かありましたっけ?」


「……惚けておるのかや?お主、『アレがバレたのか』とかなんとか、言っておったじゃろ。我に隠れて何かしておるのかや」


「……ッ!な、なんの事でしょうか?」


 先ほどまでの就寝前の長閑な雰囲気が、一瞬にして張り詰めたものになる。


 目があちこちに逸れて慌てふためくエリスに対して、イナリは詰問する。


「我はの、身の危険があるのであれば、それは回避せねばいかんと思うておるのじゃ。何をしておったのか、話してくれるかの?」


「……その、先ほどイナリさんが言っていたアレです。言わない方が幸せな事って、ありますよね?」


「……その論理は、今の話には通じないと思うがの?」


 イナリが先ほどディルやエリックの前で展開した論理は、イナリがエリスに対する印象を開示しなくても、今後の生活に問題は無いから、それなら言わなくていい、ということであったのだ。


 しかし、今回はエリスが裏でしていることを言ってくれないと、イナリとしては安心できないので、少々事情が異なるのだ。


「何じゃお主。我に言えぬことを、我にしておるのかや」


 否定するわけでもなく、変にはぐらかそうとするエリスの態度に、イナリは少し苛立ちを見せる。


「あっ、いや、そ、そういうわけではないのですが」


「なら言うが良いのじゃ」


 イナリの様子を察して、エリスも慌てて弁解する。


「……引いたり、しませんか?」


「それは内容次第じゃから、約束しかねるのじゃ」


 エリスが意を決して口を開く。


「……埋めました」


「……埋めた?何の話じゃ」


 イナリの私物を、こっそりと庭辺りに埋めて隠したりしたのだろうか?


 イナリは首を傾げる。


「イナリさんが起きないのをいいことに、尻尾に、顔をですね、埋めてしまいました……!」


「………」


 どうやら聞き間違えていたようで、うめる、ではなく、うずめる、だったらしい。


 イナリは思った。自分で聞いておいて何だが、一体何を聞かされているのだろうか。


「いや、あの、出来心というか、猫とかと同じような感じでですね、その、好奇心といいますか? 丁度リズさんも部屋に居なくてイナリさんも寝ていて、魔が差しまして? い、一度だけですよ!? 流石にそんなこと何度もやったら変質者でしかないですし――」


「……はあ、阿呆らしいのじゃ。もう寝るのじゃ」


 エリスは羞恥心で顔を赤くしているのをよそに、イナリは毛布を被り始める。


「そ、そんな……。ゆ、許してください、出来心だったのです……!」


「……別に気にしておらぬよ」


「……!で、では公認ということですか……?」


「なわけなかろう」


「……ですよね……」


 最近では日常的に尻尾をもふもふと触れられているのだから、もはやそのような事は大して気にかけていないのだ。


 尤も、それを認めるとどうなるか分かったものではないので、尻尾に顔を埋めることを是とするはずはないのだが。


「我が気にしておったのはもっとすごい事なのじゃ」


「す、すごい事、ですか?」


 エリスは顔を赤くして、顔に手を当ててイナリに聞き返す。


「うむ。例えば我の毛を切り取って呪いの人形を作ろうとするとか、寝ているところに塩を振りかけるとか、除霊師を連れてきて我を消滅させようとするとかじゃな」


「何か思ってた方向性とだいぶ違うのですが。何ですかそれ?」


 イナリの返答に、エリスは真顔になって問いかけてきた。


「ほら、人間って力のある物を媒介にして呪いの媒介にするとか、幽霊だと思ったらとりあえず塩をぶつけるとか、ありがちじゃろ?」


「そんな物騒なあるある、あったら困りますが」


「いや、実際あったのじゃ。一つ目については大昔の話なのじゃが、少し髪の毛を手入れした時にの、うっかり掃除し忘れて放置してしもうたのじゃ。で、それを見つけた人間がそれで藁人形を作り始めての。村が大騒ぎするような事態になったことがあったのじゃ」


 イナリの記憶が正しければ、他所から除霊師だか陰陽師だかを呼んで収束したのだったか。


 イナリは当時、自分の髪の毛を人間が手に入れたことを知った時、それを手にした者が一体何を為すのかと興奮したものだ。


 そして、神の力の籠った媒体を使ってすることが、逆恨みに近い、取るに足らない復讐のための呪いであったと知った時、心底がっかりした記憶がある。


 なお、二つ目と三つ目については、中途半端に霊感があった人間がイナリを幽霊と勘違いして神社に塩を振りまくった挙句、除霊師を呼んで四六時中お経を唱え続けられるという事件である。


 そのせいで、イナリの力をもってしても一年ほど、塩を撒かれた地の植物が死滅してしまった。本当に碌な事をしないものである。


「なんですかそれ……」


 イナリの話を聞いたエリスが憤りを見せる。


「幼気な少女の髪の毛ですることが呪いって、終わってますね」


「うむ、終わっておる。やはり人間はダメじゃな。ダメダメじゃ」


 イナリは毛布を被ってもぞもぞと動きながら、人間のダメさを嘆く。


「……ですが、この街の人々は違いますから」


「む?」


 イナリは毛布を巻き込むように転がって、エリスの方へと向き直る。


「……すみません、少し語弊がありました。誰もが善人というわけではありませんが、かといって全員がダメダメというわけではない、と言いたいのです」


 エリスが真面目な顔で訴えかけてくる。


「イナリさんは可愛く、そして若い女の子なのですから。イナリさんがかつていた場所は本当に悲惨だったかもしれませんが、まだ人間に失望するような歳ではないのですよ」


「……いや、我、普通に二千年は生きておるれっきとした神じゃが?」


「だとしても、です。ふふ、イナリさんのその言葉、久しぶりに聞いた気がしますね」


「そうじゃろうか。割と頻繁に言っておる気がするが。というか、いい加減お主もエリックらも、我の事をもっと敬ってよいのではないかや?我、神じゃぞ?」


「はいはい、わかりました。じゃ、今日はもう寝ましょうか」


 エリスはイナリの頭を撫でながらイナリを包む毛布を広げて自身も横になる。


「ぐぬぬ、ぞんざいに扱いおって……!」


「明日はイナリさんの服を選ぶだけのつもりでしたが、他にもいろいろなところを見てほしいです。そして、良いところを知ってほしいです」


「うーむ、まあ、お主がそういうのなら。少しくらいは期待しておくかの。少しじゃぞ?」


「はい。イナリさんを後悔させないように、頑張りますよ」


 エリスの一言を最後に会話が終わると、二人はやがて眠りに落ちた。

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