第66話 機会損失らしい

「ぐらたんと言ったかの。熱すぎる点を除けばとても良いものであったのじゃ。ちーずとやらが濃厚でとても美味かったし、また来たいものじゃな。して、これは如何ほどの金額じゃろうか。……銅貨三十枚……それなりじゃな……」


 イナリ達の前には食べ終えたグラタンの皿が残っている。


 イナリは今食べたグラタンの感想を述べながらメニューの値段を確認し、量の割にはそれなりの値段がすることを確認した。


「まあ、それなりに良い材料が必要だからな……。確かチーズとかはこの辺じゃほとんど作ってないからな、遠くから取り寄せる関係上値段は上がる傾向にあるな。多分この店は良い方だぞ」


「まあ、ここは僕が出すから、イナリちゃんは気にしなくても大丈夫だよ」


「む、良いのか?エリスから貰った硬貨があるのじゃが」


「お前に払わせたなんてエリスに知られたら、即パーティ解散になりかねん。それを抜きにしても、子供に飯代出させる男二人ってのはかなりヤバいだろ」


「ふむ。所謂、面子というやつじゃな。難儀なものじゃ」


「生きてればそのうちわかる時が来るぞ」


「わかったところで面倒そうじゃし、遠慮したいものじゃがなあ」




 イナリ達は食事を終えた後はすぐに家へと帰って、各々の時間を過ごした。


 エリックは装備を点検すると言って部屋にこもり、ディルは既に夕方になり、外が橙色に染まりつつあったにも拘わらず、何故か今日の分の運動をするとか言って外へ出ていった。


「暇じゃなあ」


 そして一人取り残されたイナリは、何をするわけでもなくただソファで寝転がっていた。


 リズは未だにどこかに行ったままで、エリスも仕事から帰ってきていない。


 誰もいない隙にアルトと連絡を取るのもありかと思ったが、前回の連絡からそれほど期間は開いていないし、そこまで急を要する話ではない。


 第三者に見られたり聞かれたりするリスクを天秤にかければ、今するようなことではないと判断した。


 そのため、軽く庭に植えた植物に水を撒いたら、すぐに手持無沙汰になってしまったのである。


 そして何より、既に部屋が暗くなってきているものの、イナリには魔力灯が操作できないので、時が経つにつれてただただ部屋が暗くなっていく。


 そんなわけで、しばらく何もせず、ただ漠然と時の流れと共に部屋が暗闇に包まれる様子を観察することしかできなかったイナリだが、ふと耳が玄関の開閉音を拾う。


「……誰か帰ってきたのじゃな?」


 暇を持て余しているイナリは、玄関に誰が帰ってきたのか確認することにした。


「誰じゃ?」


「イナリさん!ただいま帰りました」


 イナリが部屋の出入り口から玄関へと顔を覗かせると、戸の前にはエリスが立っていた。イナリの顔を見た瞬間エリスは表情を明るくする。


「お主であったか。今は誰もおらぬ故、暇でしょうがなかったのじゃ」


「他の皆さんはどうしたのですか?」


「エリックは部屋で何かしておる。リズは我のために動いてくれておる。そしてディルは何故か運動をしに行ったのじゃ」


「ああ……あの人は、絶対毎日ノルマを達成しないといけない病に罹っているので仕方ないですね……」


「なんと、人間にはそのような病があるのかや、嘆かわしいことじゃ……」


「それにしても、帰ったらイナリさんが出迎えて下さるの、すごくいいです。こう、仕事上がりの疲れた体にグッときます。これからもお願いしてもよろしいですか?」


「ふむ?まあ、我はお主らと違って大抵ここにおるじゃろうし、構わぬが。そんなに良いのかや?」


「良いです。とても」


「そ、そうか……」


 イナリにはエリスの言わんとするところがあまり理解できないが、特に問題は無いので要望を了承した。


「あれ、イナリさん、暗くなったら明かりをつけていいのですよ?これです、これ」


 リビングへと移動したエリスは、その部屋の暗さに驚き、以前、イナリがどうにかして点けようとした水晶型の魔力灯をエリスは見せながら、イナリに魔力灯を使うよう促した。


 エリスが水晶型の魔力灯に触った瞬間、部屋が一気に明るくなる。


「我も色々試したのじゃがな、恐らく我には魔力灯とやらを操作できんのじゃ……」


「そうなのですか?」


 イナリは魔力灯をぺたぺたと触りながら、事情を話す。


「あまり詳しいことはわからぬが、これに魔力を通さないといけないのであろ?リズやウィルディア曰く、我には魔力が無いらしいからの。この前お主らが依頼に出向いておった間に色々と試したのじゃが……」


「あら、それは大変ですね……。エリックさん辺りに頼んでも良かったのですよ?」


「何かやるべきことがあったらそうしても良かったのじゃが、ただソファに横になっているだけじゃからな、まあ今は良いじゃろうて」


「しかし、イナリさんが一人の時は困ってしまいますよね。……蝋燭などはいかがですか?数を用意するには多少、値は張ってしまいますが……」


 エリスは棚から一本蝋燭を取り出してイナリに見せる。


「火をつける手段が無いのじゃ。あ、いや、無いことは無いのじゃが……もしこの家を燃やしたらと思うとの……」


 イナリの火をつける手段は、短剣に火打石をぶつける、かなり古典的な方法だ。それに、明らかに蝋燭に火を灯すための手法として適当であるとは言い難い。


「確かにそれは危ないですね……リズさんなら何かいい方法を存じ上げているかもしれませんね。後で相談してみましょうか」


「そうするとするかの」


「……ところでそのリズさんは今何を?」


「我が安全にブラストブルーベリーを携帯できる手段を作ろうとしてくれておるのじゃ。曰く、今の我は歩く爆弾だそうじゃ」


「それは火急の用件ですね。ちなみに今も持っていたりしますか?」


「一応我も危険性は理解したからの、今は部屋の我の荷物入れに放り込んでおるのじゃ」


「何というか、微妙に安心できませんね……」


 エリスは今のイナリが安全な状態なのを確認すると、自然な動きでイナリを膝の上に乗せて座る。


「……あ、そういえば……!」


「む、何じゃ?」


 突然差し迫ったような声色で声をあげるエリスに、イナリにも緊張感が伝わる。


「色々あったのでうっかり聞き忘れていました。イナリさん、もしかして服全然持ってないんじゃないですか!?」


「む、そんなことであったか。緊張して損した気分じゃ」


「全然そんなことで済む話じゃないです!イナリさん、ずっと今着ているこの服と、リズさんの寝間着を交互に着回していませんか?」


「リズから借りておる服は毎度別の物じゃから問題ないであろ?それに、今着ているこの服は神である我の服じゃからの、汚れなどないのじゃ」


 謎の理論を展開するイナリにエリスは驚愕する。


 ついでに言えば、イナリの服に自動洗浄機能のようなものは当然ついていないので、後者の理論は破綻する。


「百歩譲って寝間着に関しては良いとしてもですね、流石に日常的に着る服が一着しかないのは問題ですよ」


「そうかの?特に不便はないのじゃが」


「うーん、なんといいましょうか。衛生的な面も理由の一つですが……」


「……他に理由があるのかや」


「機会損失が著しいんですよね」


「……はあ」


 突然飛び出た謎の単語にイナリは気の抜けた返事を返す。


「イナリさんはとても可愛らしいお姿なのですよ。なのに、普段見られる姿が1パターンしかないのは、社会における重大な損失でしかないわけです」


「そ、そんな大層な話じゃろうか……?」


「そうです。イナリさんにもっといろいろな恰好をしてほし……いや、するべきです!!」


「何か今欲望が漏れた気がするのじゃが。お主が見たいだけでは?」


「というわけで明日、私は休みですので、服を見に行きましょう!」


「会話してほしいのじゃ」


「私、イナリさんに着てほしい服がいっぱいあるんですよ!」


「大丈夫かの?我の声、聞こえておるかや??あ、ちょっと腕に力が入ってきておるのじゃ、ちょっ、力を抜いてほしいのじゃが!?」


 エリスの暴走は、主にエリスの騒がしさにエリックが様子を見に来るまで続いた。

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