第58話 「手口」

「あのですね。イナリさんが少々社会的な常識を持っていないというのは初めて会った時から承知していましたが、それはそれとして夜に出歩くのはやはり危険だと思うのです。というか仮に人の社会で生きていなくても基本的に夜は危ないということはわかると思うのですが、どうしてその危機感より食欲が勝ってしまったのですか?手紙にも書き残しましたけど、イナリさんは少なくとも見た目はとてもかわいい美少女なのですから、悪い人に目をつけられたらどうするつもりだったのですか?イナリさん、相当非力ですから抵抗するまでもなく攫われてしまいますよね?そしたら――」


 エリスがイナリに説教を始めてから果たしてどれくらいの時が経っただろうか。


 最初はエリスの言葉に逐一受け答えをしていたが、次第に返せる言葉が無くなってゆき、今では「はい……はい……」と呟くだけの機械と化している。


 イナリは、社会経験はおろか対人経験すら碌に持ち合わせていないので、このように叱られた時にどうしたらいいのかまるで分からなかった。そのために思考が硬直した結果、現在のような状態になってしまっている。


「なあ、もうその辺でいいんじゃねえか?こいつも流石にわかっただろうし……」


 それを見かねてか、それとも単純に飽きたからか、ディルがエリスに提案する。


「そうだよ。エリス、とりあえず一回家に帰らないか?流石にギルド長の業務にも支障が出るんじゃないか」


「その通りだ。俺としてもそろそろ帰ってほしい」


 ディルの制止に対して、ずっとエリスに黙らせられていたエリックが便乗し、そこにさらにギルド長も追い打ちをかける。


 なお、ギルド長はエリスの注意が完全にイナリに向いたと察した段階で、早々に業務に戻っていた。


 一同の制止により、しばらく喋り倒していたエリスもはっとして言葉を止める。


「……確かにそうですね。この辺にしておきましょう。長くなってしまい申し訳ありませんでした。大事な事なのでしっかり言わないといけないという気持ちが先行してしまって……」


「ああ。まあ、俺ももう少し配慮しとけばよかったし、色々と反省点はあった。今後は気を付けることにするさ」


「はい、くれぐれもよろしくお願いします。ではイナリさん、行きましょうか」


「はい……」


「……イナリさん?」


「はい……」


「わ、イナリちゃんが『はい』以外に言えない体にされちゃってる……!」


「……大丈夫ですか?もう怒っていませんから。ほら、行きましょう?」


「はい……」


 エリスがイナリに手を差し出すと、イナリは定型文と共に差し出された手を繋ぎ返す。その姿は普段の元気にあふれた様子とは真逆である。


「……うーん、これはこれでアリですね……」


「いや無しだろ、何言ってんだこいつ」


「なんか色々言ってたけどさ、正直、現時点ではブッチギリでエリス姉さんがイナリちゃんにとって一番危ない人なんじゃないかって思うよ」


「エリスの将来が僕は心配だ……」


 あまりにも不穏な事を口走るエリスに対し、他のパーティメンバーの間に動揺が走った。


「いやいや、そんな、冗談ですよ。ほらイナリさん。私を見てください」


「はい……?」


 エリスがイナリの前にしゃがみ込み、イナリに自身の顔を見るように促す。


「見ての通り、私はもう怒っていませんから。それに、イナリさんがどう思っているかはわかりませんけど、既に、私にとってイナリさんはとても大事な人の一人です。ですから、イナリさんにはもっと自分の事を気にしてほしいのです」


 エリスがイナリに語り掛けながら抱擁する。


「……わかったのじゃ」


「よかったです。さあ、帰りましょう」


 エリスとイナリが手を繋いでギルド長の部屋から出ていく様子を、他の面々が後ろから見送る。


「……リズさ、図書館の本で厳しく当たった後優しくするのは洗脳の手口の一つみたいな話読んだことあるんだけど。あれってそういうやつかな?」


「……」


 リズの不穏な発言に対して、ディルとエリックは何も返すことができなかった。


「なあ、さっさと部屋出てくれねえか?」


 部屋にはギルド長が紙をめくる音だけが響いていた。




「あ、イナリさん、あそこにハニーキャンディの屋台がありますよ。一つ買ってあげます。甘くておいしいですよ」


「本当かの?嬉しいのじゃ!」


「いえいえ、これくらい大したことじゃないですよ」


 家へと向かう道中、エリスとイナリは他の三人に先行して前を歩いていた。イナリもすっかり調子を取り戻している。


 エリック達は後ろから先行している二人が歩いている様子を眺めているが、先ほどのリズの一言を聞いてからというもの、全くもって微笑ましく二人の様子を眺めることが出来なくなってしまっている。


 今のこの一幕にしたって、子供を攫うために甘い物で釣る典型的な手口にしか見えなくなってしまっているのだ。


 エリスはれっきとした神官であるし、流石に考えすぎであるとは皆思っているのだが、それはそれとして、やっていることがかなり計算されているというか、「手口」と表現しても良いのではないかと思ってしまうような行動に見えてしまっている。


「これは色々な場所にいるスイートビーという魔物が作る蜜を固めたお菓子です。のどに詰まらせないように気を付けてくださいね」


「うむ。……甘いのじゃ!」


「ふふ。そうでしょう?」


 三人が直接口にするのは憚られるようなことを考えている間に、エリスがハニーキャンディについて説明しながらイナリに手渡し、それをイナリが口に放り込む。


 その光景はどう見ても、ただの微笑ましい光景そのものである。


「……流石にリズの考えすぎだったね。なんかちょっと申し訳なくなってきちゃった」


「エリスの様子がちょっと変だとは思ってたが、アイツはアイツだしな。まあ、少し暴走しただけだよな」


「確かエリスは元々子供好きだったって話だったしね」


 リズが小さな声で呟くと、それを聞いたディルとエリックもそれに同意する。


「……でもそれだと何でリズは子供扱いされないんだろう。リズは子供じゃないから全然いいんだけどさ」


「だってお前、普通に魔法学校飛び級してる天才じゃねえか。全然子供らしくねえわ」


「確かに、僕もイナリちゃんは子供に接する気持ちだけど、リズはあんまりそういう感じしないからなあ」


「ああ、リズの大人オーラが溢れちゃったわけか。なるほどね」


「……まあ、お前がそれでいいと思うならそれでいいんじゃないか」


 会話が一区切りしたところで、三人は目をエリスとイナリの方へと戻す。


 やはりエリスがどうにも不審に見えたのは考えすぎによるものだったのだ。


 今のニコニコとした様子で飴をなめる少女と、それを微笑ましく見つめる神官の様子は、日常にありふれた光景の一つに過ぎないだろう。


「ところでイナリさん。そろそろ私の方のベッドで一緒に寝てみませんか?そろそろリズさんに蹴り落されるのも辛いとお思いになられているのでは?」


「む?まあ確かに最初は実に不快じゃったが、最近大体同じ時間に蹴り落されることに気がついての。いい目覚ましになっておるから良いかと思っておる。蹴られること自体は良くは思っておらんがの」


「……そうですか。ですが一度、私の方でも試してみませんか?」


「んにゃ、別に特にそうする意味は見出せぬがの?」


「…………そういえば、私が用意したお菓子のお味、いかがでしたか?」


「む、美味だったのじゃ!また用意してほしいのじゃ」


「そうですか、良かったです。ではそのお礼といってはなんですが、一度、試しに、一緒に寝て頂けませんか……?」


「……お主、もしや最初からそれが目的じゃったのか?」


 エリスの申し出にイナリは一歩下がって構える。


「……」


「何故、黙るのじゃ……?」


 何とも雲行きの怪しい会話に、三人は再び目を交し合う。


「なあ、やっぱアイツ……」


「……やっぱり、リズの考えすぎじゃなかったかもね……」

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