第56話 急いては事をし損ずる

 やるべきことは決まった。そうと決まれば、少しでも早く行動を開始したほうが良いだろう。


 ステーキの最後の一切れを口に入れ、イナリは席を立ちあがり、人ごみをかき分けてギルドの出口へと向かった。


「人が、多すぎるのじゃ!おわ、と、通らせてほしいのじゃ!」


 しかし、冒険者に押されて出ることが出来ない。


 ピーク時には人が多いとは聞いていたが、出入口で詰まるような規模での話だとは思っていなかった。


 ギルドを出ようとする人の数より、入ろうとする人の数の方が多いことに加えて、ギルドの入り口がそこまで広くないこともイナリの通行を阻む要因になっている。


「ぐぐ……、ふぅう、や、やっと通れたのじゃ……。さて、錬金術師の居る場所は……」


 どうにかギルドの玄関を突破できたイナリは、目的地へと足を運ぶ。


「……どこじゃ……?」


 ……足を運ぶつもりだったが、全くもって場所がわからない。


 この街にイナリが連れてこられた日、教会から冒険者ギルドに移動していた際に、エリスが「錬金術師のラボが慌ただしかった」と言っていたところから考えると、恐らく、錬金術師がいるところはイナリも一度は見たことがある場所のはずだ。


 しかし、あの時はまるで街の地形など意識して見ていなかったので、全く場所の見当がつかない。


 辛うじて、遠目にイナリが魔物か検査した教会のある場所が見えるが、結局道のりを覚えていないのだから、そこから逆算することも難しいだろう。


「……もう一度引き返すしかないのかや」


 イナリは再び自身が先ほど突破した人ごみに振り返る。


 今度はギルドから出る者が多く、再びイナリに逆風が吹くことはほぼ間違いないだろう。


「……最悪じゃ……」


 イナリは再びギルドへと戻った。およそ一分を要してのことであった。


「はあ、はあ……ひとまず受付の者に聞くのが確実じゃろか」


 何とかギルドに再入場できたものの、一連の流れで既にイナリは疲れ切っており、玄関の近くの壁に手をついて肩で息をしている。


 少し落ち着いたところで顔を上げて受付の方を見ると、全てのカウンターに人がぎっしりと並んでいるのが確認できた。


「……本っ当に、最悪じゃ。これも全部、あのギルド長のせいじゃ」


 イナリにはもはや受付カウンターに並ぶ気力など残されていなかった。再び酒場のテーブルに逆戻りし、受付の人がはけるのを待つことにした。




「錬金術師の居る場所ですか?錬金術ギルドにたくさんいると思いますよ」


 イナリが受付の男性に錬金術師の居る場所を尋ねたら返ってきた返答である。その通りではあるのだが、イナリが聞きたいことはそういうことではない。


「その錬金術ギルドとはどの辺にあるのじゃろうか」


「えーっと、地図があった方がわかりやすいですよね。街の地図を持ってきますので、少々お待ちください」


「ここを出て右行って左行ったらありますよ」くらいの雑な案内でもいいのに、今回は丁寧に教えてくれるタイプの受付にあたってしまった。


 普通ならそれでいいのだが、今は時間に余裕が無いのだ。少しでも早く行動しないと、エリスが戻ってきてしまう。


 そしてエリスはほぼ常にイナリについてくることになるだろう。つまり、イナリが一人で行動できなくなってしまう事を意味する。必然的に銀貨について隠し通すことが出来なくなるだろう。


「こちらがこの周辺の地図です。まずはこのギルドを左に出てですね――」


 受付によるそれなりに長く丁寧な説明にイナリも気が急いてしまう。


「――で、ここを左に行って少し進むと錬金術ギルドです。もう一度確認しますか?」


「わかったのじゃ。もう大丈夫じゃ、感謝するのじゃ」


「もしポーションがご入用でしたら、冒険者ギルドと提携してますので、冒険者証を提示すると少し安くなりますよ」


「うむ。わかったのじゃ」


 ご丁寧なことに、別に使う予定のないお得情報まで頂いてしまった。しかし、既にイナリの頭の中は錬金術ギルドに向かうことでいっぱいである。


 丁寧に対応してくれた受付の男性に感謝を告げると、イナリはすぐに振り返って急いで出口へと向かう。


 そして勢い余ってギルドに入ってきた冒険者と衝突した。


「いだっ、あ、すまんのじゃ。ちと急いでおって――」


 イナリは、衝突した冒険者に謝罪をしながら顔を上げた。


「あれ?イナリさんじゃないですか。どうしてここにいるのですか?」


 そこにはエリスがいた。イナリは思考が固まってしまった。


「大丈夫ですか?どうして何も言わなくなってしまったのでしょうか……?それに急いでいるというのは、何かあったのですか?」


「どうしてここにいるのですか?」とはイナリが言いたいセリフである。確かに依頼から翌日には帰るとは聞いていたのだが、思っていたより早くの帰還であった。


「……今、急ぎの用事は消えたのじゃ……」


「……あ!もしかして私に会おうとしてくださっていたのですか!?嬉しいです!」


「……ソウジャヨ」


 エリスと遭遇した時点で既に、一人で錬金術ギルドに出向き、硬貨を補充するというイナリの計画は破綻してしまった。そのため、自分に都合よく解釈してご機嫌になっているエリスに対する返事ももはや適当になっている。


 視界が狭くなっていて気が付かなかったが、周りには他にもぞろぞろと冒険者が入ってきており、その中にはエリックやディル、リズの姿もあった。


「とりあえず一旦ギルドの方に帰還報告を出してきますので、ちょっと待っていてくださいね」


「そうか、わかったのじゃ」


 エリスがエリック達の方に合流し、イナリがここにいることを共有しているのが遠目でわかる。


 すると、パーティメンバーがカウンターの方へと向かう中、リズだけがイナリの方へと駆け寄ってきてイナリに耳打ちした。そんなことをしなくてもイナリの耳なら声を拾えるが、何か周りに聞かれたくないことを話すという雰囲気的に大事な動作なのだろう。


「ちょっと、緊急で共有したいことがあるの。ちょっとこっち来て」


 リズはかなり真面目な面持ちでイナリをギルドの端の人気の居ない方へと連れて行った。


「リズ達、色々あって依頼の遂行過程で、イナリちゃんの家に行ってそこで一晩過ごしてきたの」


「ふむ?そうかの。中々よい家であったじゃろ?我の手作りじゃ」


「そ、そうだね。まあ、風通しが良くていいなって思ったよ」


 リズは、イナリの誇らしげな態度に歯切れの悪い返事を返す。


「で、まあそれは置いておいて。あの三人なんだけど、イナリちゃんの事、生贄かなんかだと思ってるっぽくて」


「……何故そうなるのじゃ?」


「多分、イナリちゃんの事を神だと思ってないから、じゃあイナリちゃんの言動と整合性がある程度取れる物って何かって考えた結果そうなったっぽい。ほら、人の街で過ごしたことが無いとか、食べ物は与えられてばかりだったとか、そんな感じの話」


「何じゃ、妙に深読みしておるのう……」


「で、それだけならイナリちゃんが元生贄ってことにして話を合わせればいいかなって思ってたんだけど。なんかエリス姉さんが変に深読みしまくってて、イナリちゃんが皆に隠してこっそり魔王誕生を阻止しようとしてるみたいなことになってる」


「何じゃそれ???」


「とりあえずリズは何も知らないフリして適当に頷いておいたけど、正直わけわかんないことになってる」


「我も意味わからんのじゃが……」


「一応リズはイナリちゃんの正体知ってるからそれが見当違いなのは分かるんだけど、じゃあ、あの家に置かれてる石は何なの?皆アレが魔王か何かの召喚のための触媒だと思ってるよ」


「アレか?あれは近くにいると疲れが抜ける石じゃ。割と便利じゃ」


「……確かになんか今日、ちょっと寝覚めが良くて体の調子がいいなとは思ったけど。……え、それだけ?あんな意味深な感じに置いておいて、あの石から出てたエネルギーの効果ってそれだけ?」


「多分それだけじゃ」


「え、じゃああの門みたいなのは?」


「鳥居って言っての、神の通り道とされてるものじゃな。我にピッタリじゃろ?」


「……あれを通してなんかヤバいものが出てきたりは?」


「出るわけないじゃろ。そんなもん出てくるなら我はあんなもの建てぬのじゃ」


「……なるほど……」


 恐らくリズは、想像に反してあまりにもしょうもない事実を脳内で処理しているのだろう。


「……これ、どうするの?イナリちゃん今のところ悲劇のヒロイン状態だよ」


「我に聞かれても……。まあ、魔王だ何だと言われるよりは余程マシではないかの」


「まあ、そうなんだけどさ……」


 「生贄じゃなくて魔王だと思われてる神です」などと言うわけにもいかないし、かといって変に行動を起こして、却って事態が悪化しては目も当てられない。こればかりは、リズに話を合わせてもらいつつ、三人に勘違いしておいてもらうことにするしかないだろう。


 イナリとリズが話している間に、他のメンバーが二人の方へと歩いてくるのが見えてきたので、ここで会話を切り上げることにした。


「お待たせしました、イナリさん、食事はもうとりましたか?」


「うむ」


「とりあえず帰還報告と報酬受け取りはしておいたよ。で、ちょっとイナリちゃんに話を聞きたいんだけど」


 エリックがイナリに話しかけてくる。少し嫌な予感がする。


「……何じゃ」


「イナリちゃんさ、何か隠してることとか、ない?」


 イナリは、この場をうまくやり過ごさなくてはならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る