第55話 そして夜は明ける
そんなこんなで時が流れ、ギルドの窓から日の光が差し始める。
既に何人かの冒険者や職員が姿を見せ始め、少し前までの静けさは無くなりつつある。
彼らは時折、視線をイナリに向けてくる。
すぐに目を逸らし、各々酒場の別のテーブルや、エントランスに置かれた椅子などに座る者もいれば、チラチラとこちらに視線を飛ばしてくる者もいる。
チラチラとこちらを見てくる者について、考えられる原因は色々あるが、まず間違いなくイナリの見た目か、長椅子に寝そべっている、現在の状態が理由となっていることは確実だろう。
リズのように、見た目がイナリと同じような者がここに出入りする例があるとはいえ、見た目十三歳程度の子供が、それなりに高価そうな着物を着て酒場の椅子に寝そべっているという絵面は、さぞ斬新に映っているに違いない。
尚、イナリは気づいていないが、この世界において着物という概念は存在していない。そのため、かなり斬新な服だな、などと思われていることも理由の一つとなっている。
「流石に、いつまでもここで横になっているわけにもいかぬな」
イナリは身を起こし、テーブルの上に腕を乗せて周りを見回す。
今までイナリがギルドに赴いた時は、大抵所謂ピークの時間帯以外の時であった。
恐らく、まともにギルドに人が多くいたのを見たのは、イナリが初めてギルドに来た時くらいであろう。
その時以外は、受付は常に三つ中一つしか人員がいないし、酒場で昼から酒を飲む何やら残念そうな雰囲気をまとった人間や、飲食をする者が何人かいる以外には全然人がいないといった様相であったものである。
しかし今は、瞬く間に人が増えており、既に貼り出される依頼を取るべく掲示板の前に陣取る者や、それをかき分けて書類の整理をする職員の様子が玄関と受付の周辺に見える。
受付も、いつもイナリを担当してくれていたリーゼや、先ほど疲労困憊になっていたアリエッタの姿は見えず、知らない者しかいないが、三つ全てに誰かしらが立っている。
「にわかに騒がしくなってきたのう。これがリズだかが言っておった、ピーク、とやらかの。……む?」
イナリは玄関、受付と視線を巡らせ、そしてそのまま酒場の厨房の方へと目線が行く。
酒場の厨房のギルド受付に近い側には、本日のメニューをはじめとしたメニュー表や、注文スペースが設けられており、そこには何人かが、朝食をとるためだろう、料理を注文するべく待機している。
厨房では既に料理人が何か作業を始めているようだし、すぐに料理の提供も始まることだろう。
「……ちと、物足りぬと思っておったんじゃよな」
先ほどアルベルトに渡されたやたら高級なパンは、美味ではあったが少々上品な量であった。そのため、イナリの空腹はまだ満たされていないのだ。
これまでの人間社会での生活を通して、注文の流れは全て理解している。
ギルド内の喧騒にを聞きながら、イナリは席を立ち、列へと並んだ。
「……なんじゃか、先ほどよりも見られている気がするのじゃ……」
先ほどチラチラと見られていた視線が先ほどよりも多く感じる。
しかしイナリは今、ただ列に並んだだけだ。一体何か視線を集めるようなことをしただろうか?
疑問に思ったイナリは、自身の優れた聴覚を持つ狐耳を、こちらを見ながらパーティの仲間と話している冒険者であろう二人の少女の声に集中させた。
「あの狐の女の子って、この前オムライス頼んで失敗して泣いてた子だよね」
集中させて拾った一言目の時点で、彼らがイナリをどう評価しているのかが分かった。もしかすると、あの場面は有名になっているのだろうか?この注目の集まりようはそれが原因かもしれない。
イナリは何ともいえない羞恥心を、尻尾を揺らして気を紛らわせつつ、彼らの話をもう少し拾ってみる。
「……今日はエリックのパーティの人らはいないのか。この前の様子からすると彼らが保護者だったはずだが?」
どうやら「虹色旅団」の名前はまだ浸透していなさそうだ。
「大丈夫かな、何か自信たっぷりな感じが、どことなくダメそうに見えるんだけど……」
「……あの子、こちらをずっと見てきていないか?」
「え、ウソ、もしかして聞こえちゃってる……?」
イナリはここで集中して彼女らの話を聞き取るのをやめて、口を動かして「聞こえておるぞ」と声に出さずに伝えた。
イナリを「ダメそう」と評した方の少女が若干慌てた様子になったのを確認し満足すると、イナリは意識をメニュー表の方へと向ける。
「……ふむ。朝食は最低銅貨十枚からとな。……『まんぞくオムライス』は銅貨六十枚……すごい額じゃな……」
硬貨の価値を知ってから改めてメニューを見ると、「まんぞくオムライス」の異様さが浮き彫りになっているのがよくわかる。流石に、二度とあのような過ちは犯さないだろう。
それにしても、リーゼの話だと牛系の肉を一食分で銅貨二枚という話であったが、あれはきっと肉のみの話であって、味付けに用いる調味料や添えられた惣菜等はまた別であったと考えるべきなのだろう。
イナリがメニューを吟味している間にどうやら注文の受付が開始していたようで、イナリにも順番が回ってくる。
「ご注文は?」
「銅貨十枚の朝食を頼むのじゃ」
「かしこまりました。隣の受け渡し所でお待ちください。朝食セット入りまーす!次の方どうぞー」
店員がイナリから銅貨を受け取り、イナリの注文を厨房の料理人へと伝えた。
「まんぞくオムライス」が酒場のテーブルまで店員の手によって運ばれていたのが特殊だったのであって、基本的には注文したら、その横で料理を受け取るのが基本的なこの酒場における食事のプロセスである。
イナリが受け渡し所で待っていると、さほど時間もかからずに、以前食べたものと比べると若干小さめなステーキとサラダ、そして黒パンが載ったプレートが渡されたので、それを受け取って、先ほど自身が寝そべっていた席に戻って食べ始める。
ちらりと先ほどイナリの事を話していた冒険者の方を見ると、イナリが無事まともな料理を注文できたことにホッとして、そのまま依頼掲示板の方へと向かっていた。
「全く、子供ではあるまいしの。我を何じゃと思っておるのじゃか」
イナリは一言こぼすと、再び朝食の方へと意識を戻す。三品で銅貨十枚はかなり割の良い食事なのではないだろうか?
「……待つのじゃ。あれが銀貨一枚と銅貨二十五枚って、流石におかしいのではないか?」
イナリは朝食のお得感に思いを馳せているうちに、ふと疑念を抱いた。
それはアルベルトから渡されたパンについてである。高級とは言っていたが、いくら何でも価格がおかしすぎないだろうか。
「まさか我、あやつに謀られたのでは……?」
あの妙に茶化すような態度は、騙されているとも気づかずにパンを美味しく食べていたイナリをバカにしていたのではないだろうか?
騙されていたと考えると、悔しさか、怒りか、そういった感情がイナリにこみあげてくる。
「……もしかしたら今も銀貨を持っておったかもしれぬのに……うぅっ……」
イナリの頭の中では、何も疑わずに銀貨を出してしまったことに対する後悔が押し寄せてきている。
イナリはこれまではまともな人間との出会いに恵まれてきていたが、やはり人間の中には狡猾な者もいるのだ。それが察せるような会話はこれまでいくらでもあった。
したがって、現状はそれを失念していた自身の落ち度であるとイナリは考えた。
それにしても、リーゼの話では、確か銀貨はそれなりの価値を持つものであったはずだ。そんなものを一晩で無くしてしまったとエリスに知られてしまったら一体どうなってしまうだろうか。
「……あまり、良くないじゃろうなあ……」
この件については、エリスにバレないよう、うまいこと立ち回らないといけないだろう。
となると、やはり差し当たっては所持金をある程度回復させなくてはならない。
「……錬金術師とやらにあたれば、硬貨が手に入るはずじゃ」
銀貨は手に入らないかもしれないが、少なくとも残額銅貨十五枚というのは減り方が異常だと勘づかれてしまうだろう。
地上の情報収集に加えて、金銭の確保という目標も付け加えておかねばなるまい。イナリはそう肝に銘じて、ステーキを齧った。
「必ず、かの邪知暴虐のアルベルトを打倒せねばならぬのじゃ」
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