第54話 この恨みはらさでおくべきか
「お主ら、魔法だのなんだの使えるのじゃし、そんなに嫌ならそれでどうにかすればいいのじゃから、幽霊など恐れる必要なかろ。何故恐れておるのじゃ」
アリエッタのような戦闘力がなさそうな人ならともかく、アルベルトはかなりいかついし、魔の森を力技で抜けてきたディルやエリックをして、現役の時はとても強かったと言わしめたような人物なのだ。
アルベルトならば、見た目からして「破ッ!!」とか言うだけでそのまま幽霊は消し飛ぶことだろう。果たしてそのような人物が幽霊を恐れる必要があるのだろうか?
「幽霊はな、それなりに上位の神官にしか対処できない」
「ふむ?」
アルベルトに上位の神官と言われると、いつもイナリの尻尾を触っている一人の神官が思い浮かぶ。とても上位という印象は受けないが。
「しっかり説明するにはまず幽霊とゴーストの区別から話す必要がある。ゴーストってのは、簡単に言うと実体を持たない魔物だ。実体は持たないが、目視で観測できる。例えばシンプルに半透明だったり、靄みたいなやつだ。何かしらの意思は持たないし、知能もない。そして、多少厄介だが、魔法や聖属性を持つ武器で対処することが出来る。あれだ、聖剣とかが代表的なやつだな」
アルベルトはまずゴーストについての説明をした。
ゴーストはイナリには聞き慣れない言葉であったが、どうやら幽霊と似たような系統のものらしい。
「一方幽霊はどうかって言うと、まず基本的に、あちらが見せようとしてこない限り存在が観測できない。当然魔法やらでどうにかすることは難しい。次に、幽霊の元になった人間がいる。大抵は死亡時に何か強い目的をもって幽霊化するっていうのが通説だが、まあつまり、意思があるってことだ」
「まあ、さっき言ったゴーストとやらとは違うものというわけじゃな」
「そうだ。で、一番の問題は幽霊には意思があるってことだ。死んだ後、強い目的をもって幽霊になったやつがすることなんて大抵は復讐や報復だろう」
「ふーむ、そういうものじゃろか?我の知っているものとはだいぶ違うようじゃな」
アルベルトの話だとイナリが地球で観測した幽霊とはだいぶ様子が違うが、異世界だと幽霊の様子も違うのだろうか。イナリは不思議に思ったが、いずれ実際に見るだろうから特に何も聞かないでおくことにした。
「まあ、幽霊について調べるのは相当難しいから、詳しいところは殆ど不明なんだが。まあつまりな、ここに幽霊がいるということは、ここが危険な場所であるということに他ならないわけだ。洒落にならないだろ?」
「なるほどの、そういうわけであったか……」
「わかってくれたようで何よりだ。というわけで、そのパンは狐っ子の自腹だ。まあ、美味いもん食えたんだから満足だろう?」
「ぐぬぬ……」
既にイナリはお金に余裕があれば他に色々食べられるということを理解しているので、密かに、どうにかして対話から食事代の減額に持ち込めないかと画策していたが、失敗に終わってしまった。
「まあよい、今回は一本取られたということにしてやるのじゃ」
イナリはそう言い残すとパンの残りをモグモグと食べ終え、硬貨入れから硬貨を取り出してテーブルの上に置き、席を立った。
そしてギルドの扉に手をかけてアルベルトの方を振り返る。
「お主は我に勝ったと思っておるかもしれぬが、次会った時はこうはいかんのじゃ。では、さらばじゃ!」
「待て。こんな時間に子供を外に歩かせたらマズいし、普通に危ないから今日はここに泊まっていくんだ。あと銅貨が三枚足りていない」
「……」
決め台詞を言った後に引き返すことによる羞恥か、事が思うように運ばないことからの苛立ちか、イナリは色々な感情が渦巻きながら先ほど座っていた席に戻り、銅貨を三枚テーブルに置いた。
「落ち着け。人は間違いを積み重ねていく生き物だ。硬貨の払い間違いぐらい何度もある。今度から気を付ければそれでいいんだよ。あ、あと決め台詞もカッコよかったぞ」
「黙るのじゃ」
強く生きねばらならない。イナリは強くそう思った。
あと、この微妙に茶化してくるおじさんをボコボコにする方法も考えた方が良いかもしれないとも。
「とりあえず俺は上の部屋に戻るが、狐っ子はどうする?」
「我はここにおる。日が昇ったらすぐに帰るのじゃ」
「……そうか。まあ、なんかあったら呼んでくれ。アリエッタもじきに起きるだろうし、日が昇れば他の職員や冒険者も来るだろうからな」
顔をそっぽに向けて返事をするイナリに対し、アルベルトはそう告げると、「少し茶化しすぎたかな」などと呟きながら自室へと戻っていった。
彼は昨日イナリがギルドに登録した時に感じた印象とはうって変わって、意外にも気さくな人物であった。
しかし、それはそれとして今日受けた屈辱はいつか返さねばならない。イナリはそう胸に刻んだ。
しかし誰もいなくなり、食べるものもないとなると急に暇になる。
地球での暮らしから、何もせずに時間が過ぎるのをただ待つことには慣れたものだが、しかし最近は色々な出来事が立て続けに起こっていた――厳密には、起こした、かもしれないが――ので、急に何もなくなると少し困ってしまう。
手持ち無沙汰になったイナリは酒場の長椅子に横になり、天井を見上げる。冒険者ギルドは木造らしく、壁や梁、柱など様々な場所に木材が使用されているのがよく見える。
「板の数でも数えて待つかの。一、二、三……」
「四百六十五、四百六十六、四百六十七……」
「あの……」
その後、イナリはひたすら板材の数を数え続けた。天井を数え終えたら今度は壁や床の方を見て数えていった。きっと冒険者ギルドの酒場で横になって建材に使われた板材の数を数えた者は未だかつていないだろうし、今後も現れないだろう。
「四百七十五、四百七十六……」
「すみません!!!」
「……む?何じゃ?」
突然視界に木材以外のものが現れてイナリは困惑したが、すぐに人であることに気が付いて返事を返した。
「『何じゃ?』じゃないですよ!子供がこんな時間に、こんなところで何をしているんですか!?ずっとブツブツと何か数えているので幽霊かと思って超怖かったんですからね!?」
「お主は……ああ、起きたのじゃな」
話しかけてきたのはアリエッタであった。どれくらいの時間が経ったのかはイマイチわからないが、ともあれ回復したらしい。
イナリは体を起こしてアリエッタの方に向き直る。
「先ほどはお主を失神する程驚かせてしまったようでな、すまんかったのじゃ」
「え?あ、ああ、ご丁寧にどうも……?っていや、そうじゃなくてですね!何をしているのですか!?」
「うーむ、そうじゃな。食事をしに来たらお主が失神して、ギルド長に高い食事を渡されてここにいるように言われたのじゃ」
「とりあえず、全然わからないことはわかりました」
「ここに来た動機についてはギルド長もあまり納得してくれなかったのじゃ」
「まあそうでしょうね。……というかギルド長に高い食事を渡されたというのは一体?」
「あっちにあったパンを渡されての、喜んで食べていたら銀貨一枚と銅貨二十五枚を請求されたのじゃ。おかげで懐が軽くなったのじゃ……」
「あの人もあの人で何やってるんですか……」
アリエッタは頭を押さえて唸る。
「む、まだ頭が痛むのかや?」
「まあ、回復はしましたが、おかげさまで別の意味で頭が痛くなってきました……」
「休んでおった方が良いのではないかの。倒れたときものすごい音がしておったのじゃ」
「いえ、仕事が溜まっていますし、夜勤が終わったらしばらく休みですので……うう、やっぱり夜勤なんて引き受けるんじゃなかった、どうせ誰も来ないし……。ともあれ、ギルド長にも話が行っているのなら私がとやかく言うべきではないですよね。ごゆっくりどうぞ……」
アリエッタはそう言うとふらふらと事務室へと戻っていった。
「人間とは実に難儀な生き物じゃな……」
アリエッタの背を見送り、イナリは再び長椅子に寝転がる。
「……うーむ。木材も数えつくしたし、もうやることが無いのじゃ。何か時間つぶしの方法を聞いたりすればよかったかもしれぬな」
ついにやることが尽きたイナリは、流石に満身創痍といった様相のアリエッタを呼び出すのも憚られ、ただ天井を眺めるだけの時間を過ごすことになった。
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