第18話 灯台下暗し
夕方になったので食事をするべく、イナリ、リズ、エリスの三人は街道を歩いていた。道を歩く人は日中よりも減ったように見えるが、依然としてそれなりの人気はあるようだ。街灯に火をともす仕事をしていると思われる少年が走っていたりするのも目につく。
それを見たイナリが「大変そうだな」という適当な感想を持ったところで、ふと思ったことを、イナリと手を繋いでいるエリスに尋ねる。イナリは若干不服に感じているが、エリスに手を繋がれている状態がスタンダードになりつつある。
「特に行き先を聞いておらんかったのじゃが、我らは今どこに向かっておるのじゃ?」
「どこというのは特に決めてないのですが、とりあえず商業地区の方に向かって、現地で決めようかと。飲食店は商業地区の外周辺りが一番多いのですよ」
「ふむ。商業地区とな?」
「簡単に言うとたくさんの人が物を売ったり買ったりするところです。その周辺は人の往来が激しいので、飲食店が多く立ち並んでいるのです。あ、せっかくなので、食後に商業地区を覗いて、イナリさんが使う道具とかを軽く下見しておきましょうか」
「うむ。ところで、たまに道でやってる屋台とかがあるのじゃが、アレはダメなのかや?」
「特に問題はないですよ。ただ、味や価格がピンキリなのと、結構な割合で前触れもなく移動したり、店を畳んだりするので、あまり普段から通うようにはしない方が良いですね。折角おいしい屋台を見つけても、ある日突然なくなってがっかりすることがあるのですよ。旅行先であるとか、一時的な利用であればいいと思うのですが……」
「結構前に、エリス姉さんそれですごい悲しんでたんだよ。おいしい串焼きがあるから紹介します!って言ってついて行ったら何もなかったあの時の空気と言ったらもう……」
「うーむ、我は一回食べたもの、特に料理などは基本二度と食べられぬと思いながら生きてきたからのう……。あまりピンとこないのじゃ」
イナリの飲食事情は基本的に果物や野菜をそのままで、偶にお供え物が来たらそれを食べるといったものであった。つまり、イナリが何を食べるかは他者に依存していた。そのため、イナリが言うように、基本的には一度しか食べられないと思いながら大事にお供え物を味わい、もし気に入ったものが再び供えられたら御の字といったところであった。
「イナリちゃん、考え方がシビアすぎない?」
「イナリさん、今まで大変だったのですね……」
イナリの発言を聞いた二人はイナリを、驚愕の、あるいは憐みの目で見る。
リズは単に「この子すごい世界観持ってるな」くらいの感想であるが、エリスとしてはイナリは生贄であったから故郷では碌な扱いも受けられず、丘での生活も食事の確保がやっとだったのだろうなどと考えていた。
エリスは、イナリの頭を撫でながらイナリにやさしく語り掛ける。
「イナリさん、今後は色々なものを食べて、色々な事を経験しましょう。私たちが協力します。もう一人じゃないのですよ」
「……?? うむ、そうじゃな?」
突然雰囲気が変わったエリスを見て、イナリは何となく会話がかみ合ってないような雰囲気を感じたが、とりあえず頷いておいた。
イナリ達は、冒険者ギルドを通過し、そのままずっと歩いて商業地区の手前の飲食店が立ち並ぶ地区に着いた。多くの人々がところせましと歩いている。恐らくイナリがこの街に来てから一番人口密度の高い場所である。
「すごい人が多いのじゃ。この人の量は祭り以来じゃろうか。うぁっ!?」
イナリは人に押されないように避けようとするも、人々はイナリが見えていないかのように歩いてゆく。イナリの身長だと目につかないのだろうか。
「イナリさん、手を繋いでいるとはいえ、はぐれないように気を付けましょう。リズさんもですよ」
「リズは大人だから大丈夫だよ!それに、もしはぐれても探査魔法もあるからね!」
「……街中では魔法を使うのは原則禁止ですよ」
「……気を付けます」
三人は一旦道の端により、何を食べるか決めることにした。
「イナリさん、リズさん、何が食べたいとか希望はありますか?」
「リズは特になし!イナリちゃんに任せる!」
「我は人間の料理について殆ど知らぬからのう……。お主らに任せたいのじゃが」
「ちなみにイナリちゃんはどういうのを知っているの?」
「うーむ。こっちに来てからじゃとオムライスぐらいではないかの。後は肉串。……あれってなんの肉だったのじゃ?名前とかあるのかの?」
「えぇ……肉串は肉串だからなあ……。ほ、他にはないの?」
「うーむ。名前のようわからん菓子とかばかりじゃったからなあ、多分糖とかがたくさん使われてるのじゃが……。あ、稲荷寿司とかどうじゃ?」
「うーん、聞いたことないなあ。イナリちゃんの作った料理か何か?……ていうか、甘いお菓子って結構高級なやつじゃないの……?」
「いや、普通に地面に直置きで置かれたりもしてたから、高級とかではないと思うのじゃ」
「イナリちゃん本当にどういう生活してたの!?」
「イナリさん、聞けば聞くほど辛い生活だったとしか思えないのでその辺で……。ひとまず、お二人とも特に希望はなさそうなので、私が決めましょうか……『木漏れ日亭』はどうですか?全体的に軽めなメニューが多い店ですし、この時間でも空いていることが多いのでちょうどいいと思いますよ。少しここからは離れてしまいますが」
「まあ、この辺だと結構待ち時間がありそうだしね。そこにしよう!」
「木漏れ日亭」は飲食店がひしめく場所からは少し離れた場所に位置する、飲食店というよりかは喫茶店といった雰囲気の店だ。少し離れた場所にあるだけあって、若干人は少なくなっている。
店内もいくつか空いている席があるのを確認したところで、エリス達はドアを開ける。
「ふむ。落ち着いた雰囲気で良いのう。装飾が植物っぽいのも中々わかっておるのじゃ」
「実は私、一人の時とかにはよくここに通っているのですよ。落ち着いて考え事をしたいときなどにはうってつけの場所です」
イナリは入店してすぐに店内を見回し始めた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「いえ、三人です」
「かしこまりました。空いてる席へご案内します」
店員がすぐに受付に来たものの、どうやらエリスが先に入ったからか、後ろにいたイナリとリズの内どちらかが見落とされてしまったようだ。
「全く、リズを見落とすとはあの店員はなってないのじゃ」
「イナリちゃん、見落されちゃってかわいそうに……」
「……む?」
「……ん?」
エリスに続いて席に着いたイナリとリズは、それぞれ自分は確かに店員の目についていたはずだと信じ、お互いをフォローしあっていた。二人とも身長は同じくらいなので、どちらが見落とされているかは五分五分といったところだ。
「それでは、ご注文が決まりましたらお呼びください」
二人が視線を交差させているところで、先ほどエリスを案内した店員が水を運んできて、一声かけて去っていった。
運ばれてきた水は二つ。エリスとリズの前に置かれている。
「………」
三人の間に気まずい沈黙が流れる。
「これは、我は、招かれざるということかの。あるいは、我に出す飯は無いと。そういうことかの?」
「い、いや、そんなはずはないと思うよ。イナリちゃん、泣かないで。ほら……」
イナリの目がうるうるとし始め、リズが持っていたハンカチをイナリに差し出す。
「おかしいですね。普段こんなことは無いのですが……」
この店の特徴の一つは、入店するだけでコップ一杯の水が提供されることである。絶対に人数分提供されるし、少々特殊な耳や尻尾を持ったイナリのような、純粋な人間でなくてもそれは例外ではないはずだ。
「ちょっとこれは店員さんに一言言わないとダメだよ!すみません!店員さん!」
怒った様子のリズが席を立って店員を呼ぶ。
「はい。何かございましたか?」
「あの、提供されるコップが一つ足りないのです。持ってきて頂くことは可能ですか?」
「はい、構いませんが……。お客様がご来店前にお出ししてしまうと、氷で冷やした水がぬるくなってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「……んん?来店前?」
「はい。お客様方はお二人でのご来店でしたので、三名と伺った段階で、後程もう一人ご来店すると判断させていただきました。勝手に判断してしまい大変失礼いたしました」
「え、あ、いえ、すみません。少々お時間いただいてもよろしいでしょうか?」
「え?えぇ。かしこまりました」
この場にいる全員が困惑している。
イナリ達は三人でこの店に来たのに、店員はこうして会話をしている今でも、エリスとリズの二人しかここにいないと思っているようだ。
「あ!もしかして!」
リズが何かに気づいたように声をあげた。店員の人が少し驚いている。
「イナリちゃんさ、不可視の術が掛かったままじゃない?」
「ぁ……」
ぽろぽろと泣いていたイナリが声にならない声を出す。
「ええぇ……それ、解除しないと永続するのですか……」
イナリと手を繋いでいたエリスは、商業地区を歩いていた時から、何だか妙にイナリだけ人とぶつかりそうになったり、あるいはぶつかったりした回数が異様に多いとは感じていた。そもそも相手から見えていないのなら、その件も、今のこの状況の説明も辻褄が合うのだ。
「あ、あの、店員さん、今ここのテーブルに何人いますか?」
「えぇっと、二人、でしょうか?」
「そ、そうですよね」
どうやらリズの推理が正しかったようだ。再び気まずい雰囲気が場を支配した。
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